一学期剪定試験〈後編〉
8日間に渡る剪定試験の全行程が終わった翌日の朝、候補生食堂前の連絡掲示板には、人だかりができていた。
掲示板の全面を覆うように白い背景のポスターが貼られており、候補生たちの名前が整然と並べられていた。
[一学期剪定試験 総合順位]
[一位 牡丹ミヤビ]
[二位 マリア・カサブランカ]
[三位 芍薬タヅナ]
[四位 ――――
「タヅナ! 来て来て! すごいよ! 総合三位だって!!」
「ウソだぁ……あっ、ホントだ……」
ジュンに手を引かれてやってきたタヅナは、自分の身長よりも遙か高い位置に、その名前を見つけた。
「タヅナくん、すごーい」「ウチら男子に負けちゃったよ……」「いや、でも別格でしょ、あの子は……」
女子候補生たちからの声が上がり、注目を浴びたタヅナは恥ずかしそうに頬を赤らめて、その身を縮こませた。
なんと料理科では100点満点中の100点で、二位のミヤビに10点差をつけての一位になっている。5品作るところを6品作ってしまったのは減点にならなかったようだ。
清掃科六位、治癒科四位、育児科三位、保健科八位、作法科五位、美貌科六位、そして鬼門だった教養科は、健闘して百二十一位。家計簿の計算問題では、算数ドリル地獄を乗り越えた努力が実を結んだらしい。
[蓬莱羊歯ジュン]という名前も、マッサージや鍼灸などを学ぶ治療科の一位に記されていた。
「この結果には恣意性がある! 私はリモート調理で試験内容をクリアしたじゃないか!」
「試験会場にも来なかった者に、つける点数などございません!」
タヅナがポスターを見上げている隣では、お騒がせ候補生の花麒麟ヒイロがノートパソコン片手に、生徒指導部顧問を務める清掃科教科長・清住正美に食いかかっていた。
「MyCookに学習させたのは、他ならぬ私の調理モーションだ。ほらここに証拠映像もある。私の成果にするべきだろう!」
「論、外、です! 諦めて進学申請費を払いに行くか、転校または退学しなさい!」
「ファック!!」
〈進学申請費〉とは、成績下位候補生に対して下された退学処置を撤廃するための課金のことだ。
成績が悪ければ悪いほどその費用は高くなるらしく、中には――
「一億円なんて払えないよぉ~」
「わたし、退学したくないよぉ~」
なんて呟きながら、事務室前で泣き崩れている候補生たちもいた。
「筆記試験は満点にもかかわらず、総合で三百三位か。私の学生生活史上最低のスコアだな。まっ、このくらい小銭程度の出費だが」
そう毒を吐きながらも、花麒麟ヒイロは花フォンで進学申請費36万ポイントを支払っていた。
『各科最優秀候補生、牡丹ミヤビ、マリア・カサブランカ、芍薬タヅナ、蓬莱羊歯ジュン、桃アゲハ、花麒麟ヒイロの6名は、本日午前8時に儀礼館舞台袖まで来るように』
校内アナウンスで名前を呼ばれたタヅナは、ジュンと一緒に、7時50分に儀礼館の舞台の階段を上がってきた。なんでも成績優秀者として表彰されるらしい。
すでに天井まで伸びた長いカーテンの内側には、名前を呼ばれたうちの二人の候補生が待ち構えていた。
一人は、当学校の風紀委員長を務めながら、成績も総合一位という牡丹ミヤビだ。
日本の伝統芸能である飛噴伎役者の名家に生まれたミヤビは、どの教官からも一目置かれており、候補生のお手本となる存在として知れ渡っていた。
「ヒイロとマリアはんは仕事で来れへんらしいわ、これで
京都弁、もしくは独特なアクセントの標準語で話すミヤビは、どことなく古風な雰囲気を漂わせている。噂では、この前の授業参観でアラブの石油王からのアプローチを受けたとか何とか。
あとのもう一人は――
「タァーくん、すごいじゃあん。アンタみたいなおバカさん、普通の学校ならビリッケツだったんじゃなぁい?」
「たしかに……」
キャバクラ嬢のようにセットされた髪型が個性的な桃アゲハだ。遅刻・欠席・学内での素行不良で有名なアゲハも、化粧や美容を学ぶ美貌科の授業は堂々の一位。人よりも熱心に学んでいたらしい。
「うっせ、タヅナに話しかけんなビッチ」
「はぁ? やんのかメンヘラ」
アゲハが睨みをきかせると、ジュンが額をぶつけ合わせる形で応戦した。
まるでその間には、火花が散っているようにも見える。
「ちょっと、やめてよ~。喧嘩しないで~」
「ええ加減にしぃや!」
ミヤビが間に入ってくれたことで、なんとか取っ組み合いとなる事態は防げた。
まさかアゲハとジュンが、この学校で再会するなんて……。
小学校では天敵同士だった2人が、これから仲良く学校生活を過ごしていく姿は、タヅナにはまるで想像がつかなかった。
『それでは花麒麟花君専門高等学校、一学期終業式を始めます。全候補生、起立――』
教官がマイクで話し始めると一瞬で館内は静寂に包まれ、そして整然とした動きで彼女たちは席を立った。
会場の埋まり具合は3分の2程度、ということは2000名前後はまだいるのだろうか。入学式のときと比べたらだいぶ少なくなってしまったが、まだそれでも膨大な数の花君候補生たちが背を正していた。
『――牡丹ミヤビ、芍薬タヅナ、蓬莱羊歯ジュン、桃アゲハは前へ』
花麒麟厳吾から名前を呼ばれると、タヅナの緊張度は最大にまで高まった。
「諸君らは、この一学期剪定試験において、特に優秀な成績を収めた。よってここに、模範候補生の証となる〈
制服の右胸――向かい側から見ると左側――に、各学科の教科長たちが花型のブローチを付けていった。
タヅナの着ていた上着のジャケットに陳教科長が付けたのは、フワフワとした青い花を模したのブローチ。それはタヅナの学内名字でもある『芍薬』をデザインしたものだった。
『それでは一言ずつ、全候補生に訓辞を述べよ。牡丹ミヤビ――』
ミヤビの手元にマイクが渡されているのを見て、タヅナは頭が真っ白になってしまった。
『クンジ』って何? 聞いてないんだけど? 何か話さなくちゃいけないの? こんな大勢の前で?
しかもマリアさんが欠席してるから、僕、もしかして牡丹さんの次??
えっ!? 何を話せばいいの??
どうしよ、どうしよ、どうしよ、どうしよ――
『風紀委員長、牡丹ミヤビどす。入学してから早四ヶ月が経ちましたが、緊張感の抜けている候補生が多数、見受けられます。この学校内では、『常に旦那様から見られている』という自覚を持って、真剣な態度で授業を受け、身だしなみを正し、日々の家事訓練をこなしていきましょう。以上どす』
渡されたマイクが床に落ちて、ギィィィンと鼓膜に響く。ミヤビからマイクを受け取るタヅナの手はあまりに震えていて、金属音がスピーカーから放たれたのだ。
とにかく何かを話さなければならないという強迫観念に怯えながら、タヅナは震える手でマイクを拾い上げ、震える口元までもっていった。
『えっ、えっ、えっ、あっ、あっ、あっ……これマイク入って――あっ、入ってますよね? あっ、うん! えっとぉ……えぇーっとぉ……あぁ、ごめんなさいっ!! なっ、なっ、何もっ……とくにっ、特に無いでっす!!』
クスクスと候補生たちの笑い声が湧き、教官たちが咳払いをしているのを聞いて、タヅナは顔を完熟トマトのように真っ赤にさせていた。
あんなに多くの人たちの前で、自分のアイディアだったり、商品の紹介が出来る花麒麟さんって、本当にすごい。もう僕なんて、頭が真っ白になって、何も話せなくなっちゃったもん。
20分間に渡る終業式が終わると、もうその日から二学期が始まってしまった。
専業主婦(夫)を目指す者に、休日など無いのだ。
試験期間内は免除されていた家事訓練も復活し、またこれまでと同じ、家事育児訓練と勉強に消耗する日々が始まった。
でも一学期までとは異なり、二学期からタヅナは、新しい立場を任された。
3時限目の料理科の授業では、タヅナは調理台に立つのではなく、教官と一緒に教室を見回って指導する役を担うことになったのだ。
――「タヅナ君には、料理科の模範候補生として、授業中に私の補佐をしていただきたい」
陳料理科教科長からの申し出を一度は断ったものの、結局タヅナは受け入れることにした。
支給される花君ポイント(月額6万ポイント)に釣られたのではなく、単純に陳教科長のお願いを聞いてあげないと、授業が円滑に進まないと思ったからだ。
「ねぇ~! タヅナくぅ~ん。こっち、こっちぃ~」
「はい! いま行きます!」
料理科の授業でタヅナは、常に誰かからの質問に答えていくだけで50分間の授業が終わってしまった。これだと、たとえ生徒側に回っていたとしても、まともに授業を受けられなかっただろう。
「タァーくん!! 助けてぇぇぇ!!」
「今いきま――うわっ、火ぃ止めて!! 引火してるっ!!」
タヅナはコンロのガスを止め、燃え盛る黒焦げの何かを乗せたフライパンを取ってシンクに投げこみ、調理台の下に備え付けられたミニ消火器を使って放射して、鎮火させた。
桃アゲハの作っていたハンバーグは、フライパンの上で白い消し炭になっていた。
「なんでハンバーグを燃やしてたの?」
「いや、フランベしようと思って……」
「火事になっちゃうから、気を付けて……」
明らかに、授業のレベルについていけてない候補生が多すぎる。『カリキュラムが難しすぎる』からか、それとも『授業を受けるレベルになくても、ポイントさえ支払えば進学できてしまう』からだろうか。
「ねぇねぇ、タヅナくん! 今日も補習してくれる? 授業でわからないことがあるんだけどぉ~」
消火器をしまうと、見知らぬ女子候補生から話しかけられた。模範候補生として授業を巡回するようになってから、やたらと知らない人に話しかけられることが多くなったのは気のせいではないだろう。
通常の授業で面倒を見きれなかった候補生は、放課後の1時間、料理科実習室での補習授業に参加してもらうことになってしまった。
「あっ、はい、はい、やりますよ――って!」
「今日はダメで~す! 補習の予約が埋まっているので」
意外にも受講希望者は多く、そしてなぜかジュンが予約者を管理していた。
「次はいつぅ?」
「ごめん、もぉ3週間待ち」
「そんなぁ~」
「まぁぁったくもう、そこタヅナに触るなっ! お触り禁止!! ったく、あぁもぉ、次から次へとぉ!」
「タヅナ。契約では私と相互補習の独占契約を結んでいるはずでは?」
「あの……その件なんですけど――」
「出たなっ! ストーカー女ァ!!」
花フォンでスケジュール管理をしていたジュンが、ヒイロにくってかかった。
「毎日毎日、タヅナをどこかに呼び出しては遊び歩いてるのはアンタね。もう止めて。迷惑だから」
「私は彼の意思を確認して――」
「いーえ!! アンタがタヅナにそう言わしてんの!! もうタヅナには関わらないで!! これ以上タヅナを連れ回すようなら警察呼ぶから」
「彼とはこのように書面で――」
ヒイロの提示した契約書も、ジュンの手によってビリビリに破かれて舞い散り、床の上の塵と化した。
「はぁい、これで契約破棄ィ~」
「書類を破っても無駄だ。電子版を保管している」
「不当契約だっつってんの!! 裁判するかぁ~?」
「やれやれ。(やあ、私だ。ちょっと待ってくれ。)――あぁ、君とはまた落ち着いたときに話をしよう。(なになに? 納期が押してる?)」
「ほんっと、なにあの女ァ……しつっこいんだよ、ったくぅ……」
「あはは……」
ジュンはヒイロのことになると、子熊を庇う親熊のような顔で怒り狂ってしまう。
だからタヅナは、ジュンの前ではヒイロのことを話題に出さず、隠れてヒイロと会っていることも言わないようにしていた。
しかしまもなく花フォンに着信があり、その名前を見るまでもなく発信者を察したタヅナは、教室のカーテンに隠れながら電話をとった。
「もしもし――」
『私だ。最近は健康的になったんだが、久しぶりにまた体調不良でな。ちょっと遠くになるが、今夜20時から少し時間を空けられるか? 約1時間ほどなんだが……』
「空いてますけど、えっ? どこですか?」
『今日は学校の敷地外だ。いつものように飲食棟西側扉を出たところに車を停めておくから19時50分までに乗り込んでほしい』
言われた通りの場所に、言われた通りの時間に到着すると、いつもの白いリムジンが停まっていた。
自動で開いたドアから覗いた車内にヒイロの姿はなく、シートの上には畳まれた着替えと、透明なビニール袋に入った酔い止めが置かれていた。
その上に乗っかっていた手紙によると、その服――薄い水色のシャツにネクタイ、それから黒いサスペンダーの付いた青いロングパンツ――に着替えて、薬を飲んでおく必要があるらしい。
タヅナはその衣装を広げると、すぐにそれが実写映画版『Mr.スカーレット』の登場人物――女ヒーローのパートナーである男子高校生――ラクティが来ていたコーディネートと一緒だったことに気が付いた。
「この服装を着るってことは、もしかして……」
車が発進してから約10分。校門から真っ直ぐに伸びた橋を渡って到着したのは、東京湾沿岸部の港。
そこには白い超大型クルーザーを背景に、赤いドレスを風に靡かせた緋色が待っていた。
「タヅナ、よく来てくれた。今夜、2人だけのディナークルーズに招待しよう」
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