一学期剪定試験〈前編〉
7月24日。一学期剪定試験・料理科実技試験当日、午後2時50分。
料理科棟・第十料理科実習室では、縦3列に並んだ横長の調理台の前に、30名の候補生たちが背を正して並んでいた。
彼女らは皆、緊張した面持ちで前を向き、教官からの合図を待っている。
不運にもこの教室の担当試験官は、最も厳しい評価を下すであろう料理科教官長、陳・デュカス・吉弘だ。
「それでは試験のルールを確認します。第一、各生徒は指定された調理台でのみ、調理を行うこと。第二、食材は同じく指定された冷蔵庫内ないし、調理台上に置かれた調味料のみを使用すること。第三、調理推奨時間は15分、最大調理時間は20分とし、試験官のキッチンタイマーが鳴った時点で、即座に調理を止めること。第四、調理が終了した生徒はその場で手を挙げ、報告すること。以上のルールに従って、『15分朝食』を完成させなさい。では、始め」
キッチンタイマーの電子音とともに、候補生たちは一斉に、実習室の左右の壁に並んでいる冷蔵庫まで向かった。
冷蔵庫の中身はその内容、配置にいたるまで、配布されたプリントで告知された通りの状態になっている。
必要となる食材を小声で唱えながら、両腕いっぱいにそれらを抱えて、調理台へと戻っていく候補生たち。
慌てて卵を落とす者、何度も冷蔵庫との間を行ったり来たりする者、緊張で手を震わせる者。
試験会場は静かな喧騒に包まれていた。
そんな中、芍薬タヅナは一人、左手で人参をクルクルと回しながら、右手の包丁で器用に皮を剥いていた。手のひらに汗が滲むほど緊張していたものの、その手に染み込んだ技術はひとりでに調理を進めてくれた。
炊飯器のスイッチを入れると、水を入れた鍋を持ってガスコンロへ。鮭に塩を振ったかと思えば、豆腐と油揚げに包丁を入れる。
全ての料理の完成イメージが頭の中にあり、それらを同時並行で仕上げていく。
その様子は、オーケストラの指揮者のようだった。
油がジュワジュワ、お湯がプクプク、鮭がパチパチ。
耳で感じながら、次の動作を思い描く。卵を割る。塩を振る。火加減を調節し、味見をする。
料理は一旦始めたら後戻りが出来ないコンサートだ。それを味わってくれる観客の顔を思い浮かべながら、真摯な態度で作り上げていく。
卵焼きの最後の一巻きを終えて、まな板の上に乗せると、白い蒸気が立ち上がる。それらを均等な幅で切り分け、包丁で下からすくって皿に盛る。
味噌汁の火を止めると、鮭を焼いていたグリルと炊飯器のタイマーが鳴った。焼き鮭、白ご飯、味噌汁、卵焼き、きんぴらごぼうとほうれん草のごま和えを所定の皿へと盛り付けていく。
白いトレーの上に“計5品”を並べると、タヅナは一息ついて右手を挙げた。
「出来ました」
「ウソでしょ……」「はっや……」「いや、無理だって……」
候補生たちの視線と驚嘆の声が集まり、タヅナの頬が真っ赤に染まる。
試験終了時間まで16分30秒を残して完成させた者など、他にいるはずもなかった。
しかも店での仕込みと同じく、料理を進めながら調理器具まで洗ってしまうという手際の良さ。
陳教科長はその卵焼きを一切れ箸でつまんで食べると、ボールペンを握り、手元のチェックシートに何かを書き記していた。
「私の目には、計6品あるように見えるのですが、気のせいですか?」
「えぇっと、あっ、これはっ、『ほうれん草の胡麻和え きんぴらごぼう添え』……という料理になります」
タヅナは「スキルを見る試験だし、もう少し包丁を使ったり、炒めものがあった方がいいのかな?」と考えて、ついつい料理を1品追加してしまったのだ。
でも、よくよく考えてみたらルール違反かもしれない。和食選択なら、ご飯とお味噌汁の他に3品を作るっていうのが試験内容だし。
陳教科長はあご先に生えたヒゲを指でイジりながら、タヅナの『言い訳』の正当性を考えていた。
「ふむ、まぁいいでしょう。こちらの料理は保存容器に入れて持ち帰ってください。あぁ、時間があるので使用したお皿も洗ってくれたら助かります」
「承知いたしました、お義父様」
タヅナはひとまず、怒られなくてホッとした。もしかしたら減点になるかもしれないけど、それはしょうがない。
試験会場から出てくると、同じく別会場で試験を終えたであろうマリア・カサブランカが出てきた。
ヒイロと同じく制服を着ることのなかったマリアも、今日は濃い緑色のセーラー戦闘服にその身を包んでいる。
「マリアさんも試験終わったんですね。あれっ? 花麒麟さんも一緒ですか?」
「いえ、社長は今、大阪で業務用ロボットの展示会に参加しております」
「ええっ!? そうなんですかぁ? それじゃあ、試験に間に合わないですね……」
「いえ、間に合いますよ。あっ、それはこちらにお願いします!」
マリアの手招きで青い作業服を着た運送業者が台車をカラカラと押してきて、ツルリとした光沢のある白い物体が運ばれてきた。
その脚部は下に向かってスカートのように広がっている円錐形になっていたが、顔と胴体と両腕が付いていることから、タヅナはそれが人型のロポットなのではないかと考えたのだが、間違っているかもしれないので一応聞いてみることにした。
「何ですか? これ」
「これから楽しいショータイムが始まります。タヅナさんも是非ご一緒にご覧ください」
微笑したマリアは、台車から降ろされたロボットの背中を押しながら、教室の中へと入っていった。
「ちょ、ちょっとあなた、何しているの?」
謎のロボットを試験会場に運んでいることを教官が咎めたところ、その教室の天井から吊されていたディスプレイの画面が切り替わり、ヒイロの顔がアップになった。そしてその映像はしばらくすると、どこかのホールの舞台上全体を中継した映像とへと切り替わった。
『どうも皆さんこんにちは。『三倍速で生きよう』という著書を発売した翌週に、過労で倒れて病院に運ばれた花麒麟緋色です』
爆笑する人々の声がスピーカーから流れてくる。
『いやぁ、時間というのはいくらあっても足りません。猫の手も借りたい現代人が今最も求めているスキルは『分身の術』ではないでしょうか? 特に家事というのは未だに大変な仕事で、便利な家電が増えてきた近年においても、やってもやっても終わらないタスクの内の一つですよね。仕事で疲れて帰ってきたら、手の込んだ料理なんて作ってられません。だからいつも冷凍食品、インスタントラーメン、ウーウーイーツ。でもやはりどの味も、ご家族が自宅のキッチンで愛情を込めて作った手料理にはかなわないもの。作りたい想いはある、けれど作る時間と気力が無い』
「なんだこれは……?」
陳教科長は、とっくに試験開始時間を過ぎていたにもかかわらず、ストップウォッチのボタンを押すのも忘れ、映像に映ったスーツ姿のヒイロの独演会に魅入っていた。
『そんな皆さんに今回ご紹介したいのが、まさしくその『分身の術』。これからの時代、ご自宅に料理人が伺わなくても、作り立てのオーダーメイドディナーが楽しめます。このロボットさえいてくれればね。その名も〈
映像はプレゼンするヒイロから、その手前を水平移動する白いロボットへとズームインした。
「MyCookは、あなたの分身です。あなたがキッチンに立ち、調理する工程を学習し、完全に同じ料理を再現してみせます。そう、たとえばこんな風に」
会場にいたロボットが、目の前に置かれたテーブルで調理を始めると同時に、教室内にいたロボットも全く同じ動きで調理を始めた。MyCookと呼ばれた半人型ロボットは、調理台に置いてあった――いつの間にか揃えられていた人参を手に取りながら、もう片方の手で蛇口を捻り、それらを水道水で洗うとまな板の上に置いて、なんと包丁で人参のヘタの部分を横に切り落とした。
「また、ネット回線に繋がっていれば、遠隔で調理を行うことも可能です。これなら単身赴任先から、遠く離れた自宅で待つ子供たちに、手料理を食べさせてあげることも出来ますね」
ロボットは計量カップでお米や水の分量を計り、炊飯器のスイッチを入れ。鍋を煮立てて鰹出汁を取りだした。それと同時にほうれん草を下茹でし、五本の指で卵を掴むと、グチャグチャにすることなく黄身を綺麗に割ってボウルの中に入れてみせた。
「お手並みを拝見しましょう」
陳教科長は騒ぎを聞きつけた周りの教官たちを制し、その謎のロボットに調理作業を進めさせた。
「もちろん、世界の名だたる料理人も分身できます。我が社のネットショップで食材さえ取り寄せれば、どのリビングも今日から高級ホテルのレストランです。わざわざ飛行機に乗って、海外まで出かける必要もありません」
ロボットは全ての調理を終えると、右のアームを挙げた。完成させてみせたのはお茶碗に盛った白ご飯、わかめと油揚げのお味噌汁、卵焼き、焼き鮭、ほうれん草の胡麻和えの5品だった。
手元のストップウォッチで計測した時間は、14分52秒。
「MyCookは、あなたや、あなたの家族の味覚も深層学習します。飲食記録アプリと同期していれば、各自が不足している栄養成分や嗜好傾向のデータをマッチングして、今夜のメニューを考えて、自動で作ってくれるようになるでしょう」
陳教科長は箸を取り、一口サイズに均等に切り揃えられた卵焼きを口に運んだ。
その卵焼きは、自分がつい先ほど味見した、シフォンケーキのようにフワフワとした卵焼きにそっくりだった。
「一家に1台、MyCook。皆さんのキッチンを、未来へとアップデートしませんか?」
* * *
料理科の試験と試作品のプレゼンを同時に終わらせた花麒麟緋色は、展示会での商談を終わらせるとすぐにビデオ通話をかけた。
「(やあ、ペドロか)」
「(まーたトラブルシューティングかぁ? 悪いが今夜は妻とのデートで――)」
「(今日は違う――)」
クビを通告したはずのリードプログラマーは、なぜか長期の育休を取った状態で社員登録されたままになっていた。きっとブロンド髪のCOOが、自己裁量で彼の籍を残しておいたのだろう。
「(君にまだちゃんと謝ってないと思ってね。あのとき、『休むのなら辞めろ』と言ったことを)」
『(ふーん)』
「(あのときは私が悪かった。君のような天才エンジニアは、たとえ1年でも2年でも好きなだけ休みを与えて、引き留めるべきだったとな)」
『(どうした? らしくないじゃないか。そこは『粉ミルク飲ませながらでもリモートワークできるだろ』って言うところだろ? いつもの威勢がないな……少し休んだ方がいいんじゃないか?)』
ペドロは持ち前のユーモアで私の過ちを許してくれた。
「(マリアから聞いたよ。Prophecyのコーディングを手伝ってくれたんだってな? おかげで私は別件で動けたんだ)」
『(それは良かった。そうだ、会社のデスクに忘れ物をしてきたから、落ち着いたら取りに行くよ。まだデスクが残ってたらね)』
緋色は開発部のスケジューリングも全面的に見直し、長期的な利益を見込めないプロジェクトは全て中止して、見込みのあるプロジェクトへと社員を再配置した。
社員数こそ創業時の千倍以上になったが、世界的シェアから見ればまだまだベンチャー企業の一社だ。『選択と集中』を忘れてはならない。
開発室で教育用幼児ロボットの歩行プログラムの調整を行っていると、黒髪デザインパーマの男が私の背後に近付いてきた。
「さすが『三倍速の女』は違うな。家事と通学の他に、育児にも精を出すとは」
「もう三倍速で生きることは諦めたよ。今は、せいぜい一・五倍速だな」
「なぁんだ、暇になったなら良かった。今夜ニューヨークで、家事ロボットに興味のある投資家の集まるパーティーがあるんだ。お前が来てくれると――」
「悪いがその誘いは断るよ。まだ抱えてる仕事もあるし、2学期の授業の予習もしておかないといけない。“元彼”と遊んでるような暇は無いんだ」
「おやおや、CEOが大株主に対して、そんな態度とっちゃっていいのかなぁ~?」
緋色は笑い、火継に背中を向けて開発室のドアまで向かった。
「クビにしたけりゃ、好きにしろ。もう辞任表のPDFは、Thiscordに送っておいた」
振り返らなくてもわかる。きっと彼は今この瞬間、両手を挙げて首を横に振るいつものジェスチャーをしていることだろう。
緋色は自家用ジェットのリクライニングシートに背中をもたれながら、空中のARパネルを指で操作していた。
隣には自社COO兼、秘書であり、大学の元同期でありながら、高校の同級生にもなったブロンド髪の女性が座っていた。
「本日のスケジュール表を、Thiscordにお送りしました」
マリアから送られてきたガントチャートを見ながら、ビデオ通話で繋がっている部下の面々に、脳内でタスクを細分化して割り振っていく。
「(アンドレスはProphecyⅡの開発進捗チェック、ペドロとやり取りして納期を見積もってくれ。ジェイコブはの宇宙用調理器具開発の件でスペースZ社との交渉。パウウェルは次期モデルのプレセン――いや、資料だけではなく、発表も任せる。君は口が巧いからな。フィリップ、バッテリーの件だが今回は外部に委託しよう。でも小型化のチャレンジは続けていいぞ。マテオは……ああ、君は私の本を執筆してくれてたな。じゃあ、4半期の予算会議はマティアスに頼もう。トーマスはPMの面接、本社で14時からだ。よろしく頼む)」
我が社には使い切れないくらい優秀なスタッフがいたのだと、部下に仕事を任せてみてようやく気が付いた。
[花麒麟花君専門高等学校・校長への教育用幼児ロボットプレゼンテーション]
そして最後に残った、どうしても誰にも振り分けられない仕事だけをtodoリストに記載しておく。これで私の仕事は百分の一以下だ。
「社長、ようやく気付かれたようですね」
マリア・ブリリアンティンはノートパソコンを開きながら、マグカップのコーヒーを飲んでいた。
「気付いてたのに言わなかったのは、私の怒りを恐れてか?」
「いえ、お話ししても無駄だと思ったからです。ヒイロ・ハナキリンは、自ら失敗したと認めない限り、考えを改めない人じゃないですか」
「私は人からそう思われていたのか……」
「それにしてもこの変わりよう、やっぱりオトコってオンナを変えるノネ~」
マリアはプライベートでは、インチキ外国人が話すような、カタコトの日本語になる。
「あ~あ! マリアもかわいい男の子にヨシヨシされたいナァ~」
「なっ、なんで……それ、知って……」
「アァ~ン、ヌケルゥ~! ヌケテッチャウ~! タァヅゥナァ~! ヨシヨシシテェ~!」
足元をパタパタと上下させているプロンドヘアーのCOO兼秘書は、こちらをからかうように目を細めてニヤつき、こちらを流し見てきた。
いや……お前なんでそれを……まさか盗聴――いや、盗撮でもされてたのかっ!?
車か!? 教室か!? それともホテルか? 私たちの何を、どこまで知ってるんだ!?
「マァァァリィィィィアァァァァァァ!!」
「危ない!! 離陸します!! 座ってベルトして!!」
* * *
仕事が終わって家に帰ると、トレーニングウェアに着替えて家の周りをランニングするのが、最近の緋色のルーティーンとなっていた。
ランニングから帰ったらシャワーで軽く汗を流し、試作機の調理ロボットが作ってくれた夕食を食べる。
十六穀入り玄米ご飯、白ねぎの乗ったあさりのお味噌汁、納豆に焼き鮭と卵焼き。
あさりやにぼしに含まれているグリシンには入眠をスムーズにする働きがあり、白ねぎの硫化アリルや、雑穀・玄米に含まれているGABAにも精神安定・安眠効果がある。納豆や鮭や卵にはトリプトファンが豊富で、体内でリラックスホルモンとして機能するセロトニンやメラトニンを生成するための材料となる。
この睡眠特化型夕食メニューを考案してくれたのもタヅナだ。
バスタブに入って39度のお湯で15分間の半身浴。クラシック音楽を聴きながら、ベルガモットのアロマに浸るとさらにリラックス効果が高まる。
入眠予定時刻の1時間前には全ての通信デバイスの通知を切り、就寝直前にブルーライトを見ないで済むようにしておく。
部屋のライトも暖色系の間接照明に切り替え、ヨガマットの上で深呼吸とストレッチをしながら瞑想して、頭の中を空っぽにする。
川のせせらぎの音が、ヒーリングミュージックの優しい旋律に乗って聞こえてくる。
昨夜は睡眠導入剤を飲むのを忘れてしまったが、飲まなくてもグッスリ眠れた。クーラーの効いた部屋で、体の深部体温を落としていくことで自然な眠気を感じたのか、今夜も大きなあくびが出てきた。
ベッドの中に入ると、かけていたBGMの音量が小さくなっていく。これらのスマート家電は、私の入眠を感知して照明や音楽を切ってくれるから安心だ。
カーテンから漏れた朝日によって、自然な形で目覚める。
棚に手を伸ばしてスマートグラスをかけると、睡眠時間が表示されていた。
[睡眠時間 6時間28分]
[健康評価 A判定]
[完全に疲労が回復しています!]
以前はF判定しか出なかったのに、最近はCとかBとかばかりで、今日なんてA判定だ。壊れていたのはデバイスのセンサーではなく、自分の生活習慣だったらしい。
そうだ、ベッドそのものに分析センサーを組み込んで、スマートグラスと同期させよう。いやそれとも、ハックするべきはマットレスの方か? 一本一本のスプリングにセンサーを組み込めば、寝返りを正確に計測できるな。今度はマットレスのアップデートか……。
アイディアが次から次へと湧いてくる。こんなに頭が冴えているのは、いつぶりだろうか? これまで寝起きはいつも、昨日終わらなかった仕事のことを思い出して、憂鬱な気分になっていたというのに。
これも全部、タヅナのおかげだ。
彼には返しきれないほどの恩がある。
私はその恩に、報いなければならないだろう。
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