夢の中の、青い屋根の離れ

かつエッグ

夢の中の、青い屋根の離れ

 ――夢というものは、記憶の残渣であると思う。

 みた夢の内容を思い出しながら検討してみると、その日に経験した出来事や、あるいは読んだ本、目にした映像などが、あるものはそのままに、そしてまた、あるものは変形されて、それが夢の部品となっている。

 以前、トラブルがあって仕事が遅くなり、終電に間に合わず、職場に泊まる羽目になったことがある。いまさらホテルをとる気にもなれず、地階にある休憩室のソファで寝たのだが、夜中に気づくと、わたしの横に、日本軍の兵士が立っていた。

 彼はその手をわたしに伸ばしてきて、わたしもどうしてか、その手を取って握手をした。

一見怪談じみた話であるが、わたしはその兵隊の手を握った瞬間に、それが夢であることに気づいたのだ。なぜなら、わたしが握ったその兵隊の手の感触、骨ばった、ごつごつしたその手に、覚えがあったのだ。その日の夕方、「ではよろしく」そう言って、握手し帰って行った取引先の営業担当の手の感触、そのままだったからだ。

 そのことに気づいた瞬間に、わたしには、ああこれは夢なんだなと分かった。

 そのあと、兵士との間にどんなやりとりをしたのかは覚えていない。

 もちろんこの話には何の後日談もなく、その営業担当者の身に何かがあったという話も聞かない。


 そんなふうに、わたしは夢から覚めるたびに、その夢の構成要素がなんなのか、それを探るのが習慣になっている。


 夢には、その元となった現実の成分がある。

 ところが、不思議なことに、いくら考えても、その材料となったはずの要素が分からない、そんな夢があることにも気がついた。

 いくつかある、そんな夢の一つが「離れ」である。

 時々わたしの夢に出てくる建物があるのだが、その建物は、青い四角錐の屋根(方形屋根、というらしい)を持ち、一つしかない畳敷きの部屋の周りを、縁側がぐるりと取り巻いていている。四方はすべて、ガラス戸となり、家の外と中を隔てているが、ガラス戸の下三分の一はすりガラスだ。

 透明な部分からみえる家の外には、広い庭があるようだ。

 ようだ、といったのは、わたしが夢の中でその離れにいるときは、常に夜なので、外の様子はよくわからないのだった。

 考えてみれば、夢の中で、わたしはその離れから外に出たことがないのだから、その離れが青い方形屋根になっていることをなぜ知っているのか、それも不思議なことである。

 その建物には畳敷きの十二畳ほどの部屋がひとつあるだけで、それ以外の部分はない。だからこれは、離れなんだろうと判断したのだ。どこかにおそらく、母屋があるのだろう。ただ、その母屋を目にしたことはない。

 いつも夢の中で、わたしはその離れに一人でいる。

 蛍光灯の灯りに照らされた畳の部屋に、ただ立っている。


 今年も年末には、実家に帰省した。

 実家は、田舎町で小売店を経営している。父が始めたその店を兄が継いだのだが、今のご時世、個人経営の商店はきびしい。もともとは商店街であった、店のある通りも、今はシャッターをおろした店舗ばかりとなり、活気がない。兄も色々と苦労しているようだ。

 わたしと同様に、今は他県に住んでいる弟も帰省し、おとこ兄弟三人でこたつに入り、酒を飲みながら雑談をするが、兄の話は愚痴がやはり多かった。わたしと弟は、なんだか申し訳ない気持ちでそれを聞いていた。

 どうということもない、他愛のない話題もいくつか出た。

 わたしたち三人が、子供としてこの町で一緒にくらしていた頃の話題もあった。

 そんななかで、

「そういえばさあ」

 わたしは、ふと思い出して口にした。

「夢の中に、よく出てくる家があるんだけど、それがどこなのかわからなくて」

 わたしは兄に聞いてみた。

「なあ、てつにい、こんな感じの家しらない?」

 ひょっとして、記憶も定かでないくらい幼い頃に関係があった家で、年上の兄なら覚えているかもしれないと思ったのだ。

「青い三角屋根の離れ? うーん……」

 兄は首を捻った。

「覚えがないなあ」

 兄は、そう言いながら缶ビールを一口のみ、深皿のうま煮に箸をのばす。

 この日のために、母が何日も前から準備したうま煮は、毎年のことながら、山盛りになっており、どう考えても食べ切れそうにはないのだが。

 ゴボウを箸でつまみながら、

「……親戚にも、そんな家はないよなあ」

「そうか……てつ兄も知らないか」

 と、わたしが言うと

「あきにい、その部屋さ、畳の縁が緑色じゃないか?」

 と、それまで黙って聞いていた弟が言った。

 真面目な顔だった。

「おう、そうだ。確かに、畳のヘリは緑色だったぞ」

 答えてから、気がついた。

「おい、てことはお前」

「そうなんだ」

 と、弟がうなずいた。

「俺もその夢、時々見るんだよ」

「そうなのか!」

 わたしは思わず大きな声を出した。

「それで、あの建物はどこなんだ?」

「いや……」

 と弟は首を振る。

「俺も知らない建物だよ」

「思い当たる節はないのか」

「ないなあ」

 そのあと、わたしと弟は、その、夢の中で見た離れの様子を照合したが、覚えている限りにおいて、完全に一致していたのだ。

 そして、わたしも弟も、現実の世界には、その離れのような場所を思いつかない、ということも一致した。

「そうだったのか……」

 弟が言う。

「俺は、あき兄みたいに、気にして突き詰めたことはなかったが、それにしても、妙だな」

「お前ら……」

 と、兄が、わたしたち二人を、怖いものを見るような表情で見ながら

「二人とも同じ、その訳の分からない建物を夢の中だけで見てるって言うのかよ」

「そうとしか思えない」

 と、わたしと弟は声をそろえた。

「そんなことってあるのか……、で、お前たちはその夢の中で何をしてるんだ?」

 兄が聞いた。

「別に……ただ、その部屋に立っているだけだよ」

 弟は答える。

「俺もそうだ。気づくと、その部屋にひとりでぼうっと立ってるんだよ」

「誰か一緒にいたりはしないか? 例えば、俺とか」

「いや、誰もいないな。てつ兄を見かけたことはない」

「確かに俺も、その夢では一人だ」

「何でだよ」

 と兄が言う。

「なんでお前らだけその夢を見て、俺が見ないのよ」

 悔しげだ。

「何だか、不公平じゃないか」

「いや、そんなこと言われても」

 わたしと弟は反論した。

「好きで見ているわけでもないし。なあ、としお」

「だよな、あき兄」

「でも、同じ夢をとしおも見ているとなると、やっぱり、なにかその元となる現実があるんじゃないか?」

 わたしも弟も首をひねる。

「俺だけ見ないのはどうなんだよ……」

 兄はそれが納得いかないようだ。

 いや、そこじゃないのだが。

 わたしたちは黙って、ビールを飲み、うま煮をつまむ。

「そうだ、母さんたちに聞いてみるか?」

 と、兄が思いついたように言った。

「なにか知ってるかもしれん」

「そうだな、聞いてみるか」

「そうしよう」

 わたしたちは、こたつから立ち上がると、部屋を移動した。


 母と祖母は、祖母の部屋でこたつにはいり、親子でなかよくテレビを見ていた。

 母と一緒になるとき、父は、祖母を引き取った。その父はずいぶん前にこの世を去り、女二人が残ったのだ。

 来年で九十になる祖母は、ずいぶん足腰が弱り、自分の部屋からあまり動かない。さすがにこのごろ、認知機能の衰えが目立つようになってきていた。記憶もあいまいで、つじつまの合わないこともときどきいうようだ。でも、母はうまく合わせて、なんとかやっている。

 わたしたちが部屋に入ると、

「あら、みんな、お腹へったのかね? なにか作る?」

 母が言った。

「いや、そうじゃなくてね」

 と、兄が言う。

「あきおととしおがへんなこと言うもんだから、確認にきた」

「へんなこと?」

「母さん、青い屋根の離れって覚えがある?」

「はあ? なんのことよ」

 そして、わたしたちは、兄弟の会話を説明したのだ。

「で、どうなの母さん?」

「あるよ」

 と母は、あっさり言う。

「え! あるの!」

 わたしたちはびっくりした。

「どこにあるの、それは」

「やすひろの大伯父さんちにそんな離れあったよ」

 やすひろの大伯父というのは、祖母の伯父さんにあたる人だ。

 母方のご本家である。

 県外にある母方の本家とは、もはやあまり交流はないのだが。

 そうなのか。

 そうだったのか。

 しかし、

「あなたたちと大伯父さんのところにいったのは、たしか……あれ?」

 そして、気がついたように言った。

「あ、それはないわ、やっぱり」

「どういうことよ」

 と兄が聞く。

「だって……その離れ、てつおが生まれる前の年に、焼けちゃったもの」

「焼けた……!?」

「そうよ。ねえ母さん」

 と、母は祖母に言う。

「漏電か何かで、火が出て全焼したのよね。幸い、燃えたのは離れだけで、母屋には火が回らなかったから、良かったねって、そういう話をしたのよね」

 祖母はうなずいたが、どこまで話が分かっているのかはよくわからない。

「だから、あんたらがその離れ、見たことあるわけないわよ」

「じゃあどうして、こいつら、離れのこと知ってるのよ」

 と兄が言う。

「さあねえ……わたしかだれかが、離れの話でもしたのかしらねえ」

「それを、たまたま、俺やあき兄が聞いてたって言うのか」

 そんなこと言われてもわからないよ、と母が言う。

「……まあ、俺が生まれる前って言ったら、なにしろ、四十年も昔だからなあ」

 兄はあきらめたように言った。

 どうも釈然としないが、いちばん可能性が高いのは、やはり、その離れの話題が、母や父、親戚の人たちの会話にでてきて、それをわたしと弟が、たまたま聞いていた、ということだろうか。

 もはやこれ以上探求のしようもなく、その話はそこで打ち切りになった。

「年越しの蕎麦ゆでる?」

 そう言って母が立ち上がる。

 わたしたちも、兄の部屋に戻ろうと立ち上がった。

 部屋を出るとき、テレビの画面をみたまま、祖母がいった。

「てつお、あんた、その離れに入ったらいかんよ」

 ぎょっとして、わたしたちは立ち止まる。

「ばあさん、なんだって?」

 兄が聞き返したが、ふりかえった祖母は、きょとんとした顔で、もう、自分の言ったことを覚えていないようだったのだ。


 それからしばらくして、わたしが自分の家で、遅い夕食を終えて、くつろいでいると、兄から電話がかかってきた。

「ああ、てつ兄、なに?」

「……」

 電話の向こうですこし沈黙があり

「なにか、あったん?」

「たいしたことじゃあないんだが……」

 前置きして、兄は言った。

「俺も、離れを見た」

「えっ!」

「青い三角屋根の離れだ。お前たちがいってたとおりだ」

 兄は続けた。

「俺は、お前らとはちがって、離れの外に立っていてな。離れの中には、人の気配があったんだが」

 祖母の言葉が脳裏にうかび、慌てて聞いた。

「てつ兄、まさか、中に入ったんか?」

「いや……ばあさんの言葉を思い出して、やめた」

「そうか……」

 わけもなく、ほっとした。

 わたしは、念を押した。

あんちゃん、ぜったい、中に入ったらいかんよ」

「そうだな……よくわからんけど、それはダメな気がする。なにがあっても、入らんよ」

「頼むで、兄ちゃん」

「ああ、わかった……」


 その後も、ときどき、わたしは離れの夢をみる。

 外にたたずんでいるかもしれない兄が、入ってこないことを願う。

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