#07 ~ 現実

「え……?」


 いつものように中庭に向かった恭一を待っていたのは、数人の男子生徒。しかも全員に見覚えがあった。

 ……加藤慎吾。そして彼の取り巻きたち。


「な、なんでここに……」


「よー城木! 毎日中庭で楽しそーだからさぁ、俺らも混ぜてもらおっかなーって思ってよ!」


 そこにあったのは無邪気さ。そして無邪気がゆえの悪意であった。


「……別に、花を育てたいなら、自分で係になれば……」


「そういうんじゃないんだって」


 加藤が、恭一の肩に腕を回す。

 身体が、思わずびくりと震えた。周囲でにやにやと笑う少年たちの目線が、恭一の全身に突き刺さる。


「最近、楽しそうだよなぁ城木……俺らのこと、忘れちゃったんじゃないかって思っちゃったよ」


「そんなわけ――」


「あるっつの」


「っ――」


 思わず恭一が顔を歪めた。

 見下ろせば、加藤の足が恭一の足を思いっきり踏みつけている。肩をがっちり組まれ、ただでさえ体格差のある恭一は抜け出すことも叶わない。


「てめぇ、あの千堂ってガキとつるみやがって。え? 俺がアイツにビビって手を出せないとでも思ったのかよ?」


 そんなことない。

 言おうとした瞬間、加藤の拳が恭一の腹にめりこんだ。


「なあ城木。可哀そうだと思わねぇか?」


 うずくまる城木を、嘲笑うように加藤が言った。


「お前と一緒に居たらさ、あいつらにもお前の根暗菌が移っちゃうじゃん。――そしたらあいつら、イジメられるぜ。なあ?」


 ――その言葉に。

 がつんと、城木は頭を殴られたような気がした。


 どうして気づかなかったのだろう?

 イジメられている自分と付き合えば、その矛先が彼らに向きかねなかったことに。

 祐真なら、自分で何とかするのかもしれない。

 でも……。


「城木くん――」


 不意に、女子の声で名前を呼ばれて。

 恭一は視線を上げた。

 そこに立っていたのは、心配そうな顔で自分を見つめる、一人の少女……綾辻琴羽。


 彼女は、すう、と息を吸い込むと、


「――あんたら、何やってんのよッ!」


 大喝一声、甲高く声を張り上げた。

 その姿に、恭一は思わず目を見開く。少女の強さに。

 いくら歳の割に成熟しているといっても、彼女が真正面から食って掛かった相手とは体格がまるで違う。そして、そもそも男女という埋めがたい差があるにも関わらず。


「来ないでッ!!」


 気がつけば。

 恭一は、ただ叫んでいた。

 だが叫んでから、すぐに顔を伏せた。どうしても琴羽の顔が見れなくて。


「……なんでもないから……」


 戸惑いながら、琴羽から目を背け、恭一は囁くように呟いた。

 その隣で、彼を殴り飛ばしたはずの少年がにっと笑う。


「そーそー。俺らダチだし。ちょっと遊んでただけ。なあ?」


「……ああ」


 琴羽が大人だったら、きっと二人の嘘を見破れただろう。

 だが彼女は、背丈はあってもまだ子供。違和感のようなものを抱きながら、「そうなんだ」と納得せざるを得ない。


「つーか城木がさぁ、言ってたぜ? 後輩のガキにつきまとわれて迷惑だって」


「えっ!?」


 恭一は、ただ目を背ける。

 一緒にいれば迷惑かもしれないという恐怖が、彼をそうさせた。


「そーいうわけだから、お前ら、あんま城木に迷惑かけんなよ?」


 そう言って、男子生徒たちは去っていった。

 取り残された恭一は、琴羽から必死に目を逸らす。


「あの、城木くん――」


「ごめん」


 ……それは一体、何に対する謝罪なのだろう?

 恭一は、それさえも分からないまま頭を下げて……そしてその場から逃げ出した。

 背後から呼び止める少女の声を、振り切って。


 小学校を抜け出して、ただ走る。

 走って、走って――そして河川敷の芝生の上に、力なく腰を落とした。


(――俺、何やってんだ)


 頭の中が、もうぐちゃぐちゃだった。

 悔しさと悲しさと後悔とがないまぜになって、恭一の目尻から涙となってこぼれ落ちる。


 こんなとき。

 いつも蘇るのは――亡き母の言葉だった。


 どうか強く生きてと。

 やせ細った手で頬を撫でてくれた、母のぬくもり。


(無理だよ……)


 恭一は、自分の両腕をかき抱くように握った。


「無様だな、城木恭一」


 そんな彼の頭上から降った声は、聞き覚えのあるものだった。

 はっと顔をあげ、少し滲んだ視界に映ったのは小柄な少年――千堂祐真。


「気分はどうだ? 年下の女にさえ劣る、みじめな男の気分は」


「――ッ!」


 恭一の頬が、かっと赤く染まった。


「僕は……っ! あの子が、巻き込まれると思って――!」


「違うな」


 恭一の言葉を、祐真が鋭く遮った。


「お前が琴羽を拒んだのは、あいつのためなんかじゃない。お前のためだろう?」


 冷たく見下し、告げられた祐真の言葉。

 何一つ言い返せず、ただ心の深いところに突き刺さる。


「女に庇われて、自分がその足元にも及ばないと知って、だから逃げ出したんだ。自分の弱さを、惨めさを、突きつけられるのが怖くて」


「……!」


 目を見開き、後退あとずさろうとする恭一を、しかし祐真は許さなかった。

 見下ろすように歩み寄り、その顔を至近距離まで近づけて。


「――なあ、どんな気分だ? 負け犬」


 ただ現実を、彼に突きつけた。

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