#04 ~ 差し伸ばされた手

 ある少年が、学校のトイレで一人涙を浮かべていた。


(なんで、僕だけ……)


 体中に作ったアザ。

 その痛みが、泣くまいとした少年の心を少しずつ蝕んでいく。


 痛みと、苦しみと、悔しさと、絶望で。


 ――彼は、いじめられていた。

 小学五年生ともなると、いっぱしに自意識も目覚めるものだ。友達ができ、関係が生まれ、そしてそれは時に人を傷つける。

 子供であれ、いや子供であるからこそ、それは残酷なほど少年に鋭く牙を剥く。


 彼は、孤独だった。

 母親は若くして死に、父親は自分に興味がない。

 それは誤解などではなくおおむね事実である。

 彼の父親は愛する妻を失い、その喪失感の埋め合わせを他者に求めた。結果、家庭に対する愛情を失い、ゆえに執着もない。

 たとえ裕福でなくとも、愛があるのならば話は違う。だが親がすべからく子供を愛するかといえば、そうでないのが現実である。


 彼に、救ってくれる人はいなかった。

 親も、友も、そして教師も。

 誰一人として。


 だがこの日。

 少年のもとに、小さな奇跡が降った。


「なあ」


 トイレの扉が開く。

 鍵をかけていたのに何故、と思う間もなく、声が聞こえた。


「お前、俺の弟子にならないか」


 そう告げたのは、両腕を組んだ少年。


 千堂祐真。

 彼の元に舞い降りた奇跡は、そんな名前をしていた。


 ◆ ◇ ◆


 ダンジョンを見つけて、数日。

 結局、ダンジョンは入口を幻術で隠し、後をオウルに任せることになった。


 ダンジョンを使って魔法を広める。

 ただ、魔法を広めるといっても、そう簡単な話ではない。


 無秩序に魔法技術が拡散すれば、社会に甚大なダメージを与えかねない。

 力は、簡単に人を狂わせる。他者を害するというのは一種の快楽なのだ。人間がそれを自制できるほど賢明な生き物でないことを、祐真はよく知っている。


 社会が混乱すれば、その影響は父や母、妹にも及ぶだろう。

 魔法を教える相手は、慎重に吟味する必要があった。


『ご家族では駄目なので?』


「少なくとも今はな」


 祐真の弟子は、すなわち初めてこの世界に現れる魔法使いということになる。祐真は表舞台に立つつもりがないので、当然そうだ。

 そうなれば、色んなところから厄介な話やら誘いやらが来るに違いない。家族をそんな目に遭わせるわけにはいかない。


 そうなると、当然琴羽も却下だ。

 彼女の場合、そのまま雪に情報が筒抜けになる可能性が高い。


 ――その時点で、もう祐真には候補がいなかった。

 どれだけ交友関係が狭いんだという話だが、妹と魔法に脳内を占領されている祐真に、友達作りなど出来るはずもない。というかする気もない。

 候補に悩んでいた祐真だったが……しかしその解決策は、意外にも早く祐真の前に現れる。


(ん?)


 ふと足を止める。

 小学校の中庭に設置された花壇の前に座り込む、一人の少年がいた。

 背からして、恐らく上級生だろう。隠してはいるが、その体は痣と傷だらけだった。


 だが祐真が目を向けたのは、それが理由ではない。


(……あいつ、なかなか才能があるな)


 その日から、祐真によるストーカー……もとい、人間観察がはじまった。

 別に相手が善人であるとか、そんなことは求めていない。

 だが魔法を教える以上、自分――というより妹や両親――に牙を剥かないかどうか、というのは重要だ。

 そうなった場合、する際の手間がかかるし、と。


『主サマ。どうやら、対象の名前は城木しろき恭一きょういちというそうです』


 フィノスの報告がもたらされたのはその日の夕方。

 すなわちたった数時間で調査を完了したということだが、フィノスならばこの程度は朝飯前だろう。


『彼は、相当に劣悪な環境に置かれているようです』


 フィノスの声に、ふうん、と祐真は首肯した。

 家庭環境、学校でのイジメ……教師も見て見ぬフリ、頼れる人間はおらず、と。


 それを聞いて……祐真は、彼に魔法を教えることを決めた。


 同情だとか、そんな心算つもりは欠片もない。

 ただ、祐真は知っていたのだ。

 絶望の中で差し伸べられた手が、救いが、いかに人を惹きつけるかを。


 彼はきっと感謝する。それもとんでもなく深く。

 そうなったらもうこっちのものだ、と、祐真は笑みを浮かべた。


 そして。


「お前、俺の弟子にならないか?」


 打算と共に告げられた言葉は、


「はぁ?」


 コイツ何言ってんだ、という、ドン引きした顔で迎撃された。


 ……確かに祐真は千年間、人の生業を見つめてきた。時に干渉し、干渉されることもあった。その意味で、知識はあった。

 だが、一つ、彼には決定的に欠けているものがあった。


 ――常識、というものが。

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