放って置けない性
依頼は可能な限り短期間で済ませ、支払いは依頼主の希望の通り。
小切手の場合もあれば、現金の事もある。
振込やクレジットカードなど、それぞれの事情により様々。
大概の名家や旧家は絆の工作について出来る限り痕跡を残さないようにするが、そうでない者もいた。
帝事務所の依頼主は、現状100%現金払い。
個人個人で怪しまれないお金の動かし方は異なる。
だが、人はなぜか自分だけが自由にできるお金、いわゆるへそくりを持っているものだ。
途中で依頼している事が
痕跡を残したくないのは当然の事。
「随分時間がかかってしまいましたが、これからは覚悟を持って、
と、
すると、
「相変わらず、自分の気持ちに鈍感なのね。」
告げられたいくつかの注意事項の中に、日記を書くことがあった。
「日記を書くように言ったのは、
書き出して客観的に見る事で、気付かなかった事を発見できるかもしれない。
そう思ったからよ。」
当時、
「日誌ではないから見せなくて良い。
見せたいのならば、見せてくれても構わないわよ。」
そう言って、日記を書くためのノートを手渡した。
ありふれた大学ノートだ。
見られていいのは
だから鍵のかかる戸棚で管理している。
実際に最初のうちは見せていた。
「もっとこう、素直に何も考えないで書いてみなさいよ。
見せなくて良いのよ。
あなただけの記録なんだから。」
そう言われてから、書き方が多少変わったものの、今でも変わらず
だから、見返すことなどなかったのだ。
「前に受けた依頼の内容や人の事、
「前に似たような依頼がありましたよね。」
とか。
「そう言えば、あの依頼のあの人は今何をしているんでしょうね。」
などと話すことがある。
「はい。」
「覚悟と責任を持って仕事をしている証拠よ。」
では何故、禁忌の技については話そうとしなかったのか。
「禁忌については、知らなくて済むのなら、知らないままの方が良いと思ったから。
少なくとも、私は知らない方が良かった。
いくら取り繕ったって、結局は自分を基準にしか考えられないじゃない。」
聞いてから後悔したのでは取り返しがつかない。
だからこそ、
とはいえ、やはりそれまでの自分が持っていたのは何となくの覚悟だ、と
そして、自覚のある覚悟が出来て良かった、と感じた。
帝事務所でアルバイトをするようになって、何件目かの依頼。
その依頼主の男性は、
実の母親は1人で
しかし、これ以上は無理だと自ら判断し、児童養護施設へ自ら連れて行く。
寂しいとは感じたけれど、母親は自分のことをよくわかっていた。
このまま育児を続ければ、自分の意思とは関係なく
ヒステリーを起こして我を忘れて何をするかわからない。
暴力は振るいたくない。
最初は母親と離れるということを受け入れられず、泣いて話を聞かなかった
だが、最後には納得した。
そうして
その後、
元の名は忘れたという。
6人兄弟の4番目。次男だ。
相続時に兄弟姉妹で分け、税金を支払い残った土地は山一つと200坪ほどの土地。
首都圏とはいえ、交通の便が良いとは言い難い場所。
まずは相続した山を整備してキャンプ場を運営する事にした。
土地は半分を売却し、残した100坪を担保にして開業資金を調達。
リノベーション事業を開始。
拠点を市街地へ移した。
経営が落ち着いた45歳の頃。
妻も40歳になり、もはや夫婦の子は望めないと判断。
以前から視野に入れていた養子を迎えると決めた。
そうして、当時4歳の
せっかく拡げた事業だから、跡を継いでくれる者が欲しい気持ちもあった。
夫妻は決して無理強いするつもりはなかった。
当人が何か目標を見つけたならば廃業しても構わない。
だが、
最初から跡を継ぐつもりで、卒業した大学の学部は経営学部だ。
引き継いだ事業は、しばらくは順調であった。
しかし、不景気のあおりを受け業績は悪化。
何とかギリギリのところで踏ん張っていたが、いよいよ倒産するしかないという状況に陥った。
そのため、結婚を考えている女性と縁を切りたいという依頼。
相手の女性は、貧乏で苦労しても良いから一緒になりたいと望んでいる。
むしろ、彼女の存在があったからこれまで何とか踏ん張れた。
必要な資金を得るため
廃業すれば雇われの身になるだろう。
だが、借金は一般的なサラリーマンの収入ではとても返しきれる金額ではない。
それでも彼女は、一緒に返そうと言っている。
二人で無理を続けながらも、笑っていられるかもしれない。
何があっても二人でいれば幸せだろうとも思う。
しかし、借金の返済に追われる生活をすれば、いずれ身体を壊すかもしれない。
少なくともやつれてしまうのではないだろうか。
あるいは、心身共に疲弊すれば笑えなくなってしまう事もあり得る。
例え彼女自身がそれで幸せだとしても、やつれた彼女の姿を見たくない。
健康的で血色の良い笑顔のままで幸せになってほしい。
「彼女の意見を無視した自分勝手な言い分だとわかっています。
結局は自分が彼女を幸せにできる自信がないだけなんです。」
と、自嘲気味に言った。
彼女は高校の同級生。
別々の大学に通っていたが、交流会で再会したのをきっかけに付き合い始めた。
彼女も同じく28歳。
今ならまだ別の相手とやり直せる。
「だから、どうか彼女と縁を切ってください。
出来れば、彼女を幸せにしてくれるような方と…新しい縁を結んでください。」
それは
見て見ぬ振りをして依頼内容の通りに対応できるはずがない。
と、
本当に、事業を立て直す手立てはないのか。
依頼人としては、借金の問題がなければ彼女との将来を考えられるのか。
相手の女性は実際のところどう考えているのか。
可能な限り調査を進め半月が経過した頃、
そして、自分と
今ある絆を強くする。
工作してどうこうなる問題ではない。
そんな依頼を引き受けるのは帝事務所くらいのものだろう。
彼女は
だが、
決定的証拠があったわけではないだろうに、彼女が確信していることは言わずもがな。
依頼の事実が
前向きな解決策を見つけられるよう努力すると約束した。
その時点をもって帝事務所は依頼を終了。
後日、帝事務所への支払金額を携えた
事業形態にこだわらず、方向転換をして業績を改善する方法を模索すれば改善の余地はある。
金銭面で厳しい現状はすぐにはどうこうならない。
しかし、魅力的なビジネスならクラウドファンディングで資金を募る手もある。
無いと諦めてしまえば、無いと言う結論に向かうものだ。
希望を持って探し続ければ、思いもよらなかった所から未来へと進む道を見つけられる。
法的な知識をもってアドバイスした結果、
打開策を探してもがいてみる、と前向きになった。
帝事務所としては調査の実費だけ支払ってもらえれば良いと伝えていた。
最終的に
だが、彼女が帝事務所を訪れた時の対応や、弁護士の紹介に対して礼をしたいという
結局その分は、そのまま
この時、
しかし、この件が
夢から覚めた
2017年に帝事務所へ宛てて届いた年賀状に印刷されていたのは、
裏書には春に二人目が誕生する旨が記されていた。
大学在学中、
と、感じた事が何度かあった。
決して後悔ではない。
学んでいる知識が、いずれ役に立つと確信できた瞬間だ。
氏名
生年月日
依頼主から見た妻子の経歴・性格・特徴・趣味・特技など
家族一緒に過ごす場合の行先
平日妻子がどのように生活しているのか
画像データ
など
インターネットを通じて集めた情報と、観察の結果を含めて整理すると。
依頼主・
仕事は好きだったが、今は家事育児に集中する、と半ば自分に言い聞かせている。
本音は、仕事を続けたかったのだろう。
簿記2級の資格を持っている
加藤家の経理担当は仕事が早い。
娘の
SNSを使用して料理写真を公開しており、時には料理シーンを撮影した動画を投稿する事も。
毎日朝に洗濯しており、外出を伴う用事は出来る限り午前中に済ませる。
簡単に昼食を摂ってから、夕食作りに取り掛かる。
かなり時間をかけて料理をするから、圧力鍋で煮込んでいる間やオーブンで焼いている間など、料理の合間に掃除をする。
家に同性の友人を招くことはたまにあるが、怪しい人間関係は見受けられない。
休みの日には、ホームパーティーをすることがある。
インドア派で出不精。
買い物はネットで済ませられるものならネットで済ませる。
引率してくれる存在があれば、旅行やキャンプなど外でのアクティビティも嫌いではない。
ホームパーティーは自ら企画するのに対し、自ら企画することはなく、お弁当作りなどに徹して当日はついて行くだけ。
娘の
火曜と木曜の週2回、学習塾へ通っている。
塾への送り迎えは、
自営業なので融通は効くが、仕事でどうしても行けない時には、
下校の時間に合わせて学校まで迎えに行き、塾まで送り届け、塾が終わるころ塾の付近に迎えに行く。
絵を描くのが好きで、漫画家に憧れている。
憧れているだけで漫画家になろうとは思わないらしい。
将来は安定した職業に就きたいと話している。
妙に現実的なところがあるのは、両親が共に数字を扱うのが得意な影響があると考えられる。
実際、両親はあらゆる場面で計算を教えているようで、算数が得意。
小学校の登下校時は友達と一緒に歩いているし、塾は必ず両親のどちらかが来るまで送り迎えをしているから、危険は及びにくいだろう。
妻子との縁を切りたいと希望する者は、帝事務所が受けた依頼に限って言うと半数以上が妻子になんらかの危険が及ぶのを避けるためだ。
データが全てではないが、
自分にとって不都合があり、自衛のために家族と縁を切りたいと依頼をする者とは雰囲気が違う。
焦っていることが「藁にも縋りたい」という言葉に現れていた。
どの程度ひっ迫しているのだろう。
いつ、ことが起こるかわからない状態なのか、はたまたXデーが存在するのか。
と、いうよりは抱えている。
今日は土曜日だから、休みの日の過ごし方を観察する。
外出の予定があれば、可能な限り連絡するように伝えてあるが、
連絡をする隙が無かったという可能性も考えらえるし、急遽外出する可能性もある。
対応できるように
近所の人を装ったり、カップルを装って対象に近付くことがある。
だから、依頼主へは必ず、もし外でばったり会ってもそ知らぬふりをするように伝えている。
依頼主が敢えて話さないこと、伝え忘れることもある。
加えて、依頼主が思っているのと事実が異なることがある。
いくら客観的に見ているつもりでも、人は少なからず主観でものを見ている。
だから、観察は必要不可欠。
依頼に至った経緯を知り、最適と思える対応をするためには、どんな依頼の時にも同じだ。
帝事務所は4週間を目処に調査を行い、工作している。
基準にしているのは、いわゆる別れさせ屋がどのくらいの期間で同様の依頼に対応するか。
やろうと思えば、最短数日で依頼を達成できてしまう。
しかし、あまりに期間が短いと、不自然になる。
あくまでも表面上は人間関係を工作しているだけなので、それなりに時間がかかることは、依頼主も承知の上。
別れさせ屋が平均して2~3ヶ月はかかるところ、帝事務所は長くても2ヶ月。
短期間で依頼が達成される。
なおかつ成功率が高い。
設定料金が安い。
期間が短く済むので合計金額すら安い。
当然、同業他社からは常に目をつけられている。
表面上でやっていることは、別れさせ屋とおおよそ同じこと。
同じことをやっているように見えるのに、結果が異なる。
実際にやっていることが違うのだから仕方がない。
依頼主を装って、同業他社が偵察に来ることがあるけれど、能力者でもない限りは解明できないだろう。
離婚だけでも相当時間がかかる案件だ。
その上、子供が会いたがったりしないようにとなると一般的な別れさせ屋はどう対応するのか。
結婚していると、別れるハードルが上がる。
永遠を誓っているのだから、当然のこと。
恋愛感情が冷めても、家族として生活しているから、パートナーが他の相手と恋愛をしても結婚生活を継続する人すらいる。
別れさせ屋がカップルを別れさせようとする時、大抵は恋愛感情を利用して別れさせる。
依頼主の側に浮気相手がいると見せかける方法もある。
だが、結婚している場合、不倫相手は訴訟の対象になってしまう。
依頼主の側に、その示談金すら用意する覚悟があればそれも一つの手段だ。
だがそれはもはや帝事務所の仕事ではない。
帝事務所の場合、依頼主の側に片思いの相手が出来たことにして。
結婚を前提に付き合いたいと思う相手ができたから、別れたいと
結果的にうまくいかなくとも、もう
別れさせ屋がこの手段を取ろうとすれば、
更に、本当のところ既に不倫関係なのではないかと疑った
よほどの事情がない限りは
帝事務所では、絆の調整で危険を回避することが可能だ。
起こしたい関係性の変化から逆算して、表面上で行う工作を選定する。
加藤からの依頼では、
子供は多くの場合、母親が引き取るのだから、離婚さえさせてしまえば子供は気にしなくて良いという考え方もある。
だが、最後には別れが待っている。
これでは
別れる以上、いかようにしても誰かが傷つくのは避けられない。
それでも、なるべく傷つかない帝事務所だからできる方法を模索する。
そこで考えるのが、そもそも依頼の遂行が本当に必要なのか、ということ。
出来るが、そう簡単なことではない。
帝事務所としても、それなりに装わなくてはならず、結果的には余分な金銭をもらう事になる。
無為に長引かせることを決してしないのが帝事務所の方針。
やり直しを望まれても断らざるを得ないことがある。
帝事務所としては、絆を動かすことは可能でも表面上の工作が成り立たないことは引き受けられない。
よほど見かねた場合には、依頼を断った上で、黙って絆を操作する。
そんな風だから、帝事務所は業績赤字ではないものの、大きな儲けはない。
絆はいくら操作できても、感情はどうにもできない。
命さえも思うままにできるという点では、
一方で、時には想いの力が強すぎて、
傷ついた心は元に戻せない。
心は
だから、傷をつけないように細心の注意を払う。
心理に影響を与える工作を行っていると見せかけながら、依頼の背景にある事情を探って解決しようと躍起になると、依頼主が不信に思う。
見せかけられるかどうかの匙加減が重要だ。
大切なのは、依頼主と
元より、
そのため、
実際に絆を切ることはないから、操作したことで都合が悪くなり元に戻してほしければ、改めて依頼すれば良い。
実に単純だ。
それでも、
大抵の依頼は、1週間以内に終わる。
「難儀なものですね。
放って置けない性。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます