第9話:放蕩息子の知らぬが仏
多少の作法に細かな違いはあれど、基本的に社交界のマナーはどの国も似たり寄ったりだ。
特に私は過去の2回の人生分、より板に付いた動きができる。
さらに、幼い時分に親元を離れ国を渡った経歴が大々的に知られている私に対し、細かなマナーの違いを逐一注意する裁量な貴婦人はいない。
なので、特に気負わずに公爵夫人に連れられるままに、あちこちのお茶会やサロンについて行き、実践の中でこの国のマナーを学ぶことができた。
この3年ですっかり自分の居場所を確保した私は、手慣れたものとばかりに未婚女性の社交界を楽しませてもらっている。
正直に言えば既婚だけれど、そこは内緒なのは変わらず。『公表』でなければ話すことは禁止されていないが、なんとなく誰も口にしないのでいる。
なので、私がお義母さんから単独で任される社交場も『未婚女性』の集まりになる。
お義母さんと一緒に参加する時もあるけれど、入場してしばらくしてからはそれぞれが顔馴染みのいるテーブルに言って自由に過ごしている。
今日きたお茶会はそんな未婚女性の集まりで知り合った令嬢主催のお茶会だ。
案内された席のお隣のテーブルでは、隣国で聖女となり得る少女が発見された、と言う噂話で盛り上がっていた。
まだ
隣の話が聞こえたこちらのテーブルでも噂の少女の話が始まってしまい、愛想笑いと曖昧な返事で誤魔化しつつ、聞き役に徹して情報入手に集中する。
地方に土着の信仰がありつつも、世界で1番の信者数を誇り、貴族の人間は誕生とほぼ同時に洗礼を受ける都合上、馴染み深いのが『主神エセル』を信仰する『エセル教』だった。
万物を見通す光の守護者と言われ、この世界が明るく豊かなのは豊穣の輝きをもたらすエセルが加護を与えてくれているからだ、と謳っている。
このエセルと同じ『光』の属性を持つ者がごくたまに現れ、『聖光』へと覚醒させた者を『聖人/聖女』と呼ぶ。
光属性者は世界のどの国からも出現する可能性がある。
クソ乙女ゲームのヒロインの『アイリス』は、数百年ぶりに現れた『光属性』の少女として国に保護され侯爵家に預けられた後に侯爵に気に入られ養女となり、ゲーム中で悪役令嬢の罠で命の危機に瀕したことで覚醒。見事『聖光』属性者となる。
ここまでくると、教会が全面的な後ろ盾となって覚醒者の願いはほぼ全てが希望通りになると言っても過言ではない。
教会のトップであり熾烈な権力闘争の末にその椅子に座っている教皇と同等か、場合によってはそれ以上の発言力を持つようにもなれる。
だからこそ、王太子と結婚できるルートが存在しているのだ。
王家としても、教会と言う後ろ盾を持つ王太子妃は大変に使い勝手の良い嫁となる。
私は転生し、彼女と関わったのは1回目と3回目の時。(2回目は悲観してRTAした)
いじめも嫌がらせも犯罪依頼もしていないのに、彼女はまさにゲーム中でのヒロインのように数多のトラブルに見舞われ、その都度なぜか私の所為であるかのように匂わせた。
その中で覚醒も果たしていたので、あれはいわゆる『確定イベント』なのだろうと思っていた。
4回目に当たる今回は、とっとと国を出てしまったので顔も合わせていないし、ヒロインの『アイリス』は侯爵家預かりでもなくなっている。
いじめられた、と訴える相手もいなければ、犯人とする相手もいない。
実は、名前も『アイリス』なのかも定かじゃない。
『アイリス』という名前は、侯爵家に引き取られる際に名付けられる名前だ。
これはプレイヤーの名前入力のタイミングになっていて、特に変更をしなければデフォルト名の『アイリス』になる、というシステムになっていた。
深く思考していたのか、気がつけば話は全く違うもの…王室ゴシップに移っている。
「聞きました?王子殿下のお噂。なんでも最近は市井の悪所に出入りしているのだとか…」
心底嫌そうに眉を顰めながら、扇で隠した口元は笑っているだろう。
下世話なこの手の話が好きなのは、どの世界でも国でも身分でも共通だ。
最近のどこでも1番盛り上がる話題は王子殿下の醜聞で、お茶会もサロンも夜会もそれで持ちきり、とお義母さんが言っていた。
この国の王子は今年、立太子式を行い正式にこの国の後継となって今が1番忙しいはず。
それなのに市井に降りてばかり。
立太子式直前に学友たちに誘われ、城下…それもかなり治安のよろしくない場所に行ったことからすっかりハマってしまったのだ。
安酒を出す酒場に、路地裏の喧嘩。
元々、そこまで出来は良くはなかったけれど、父王はそれも見越してのサポート体制を今から作っていた。
当然、息子の周りにおく友人という名の後の側近たちは厳選してあった。
しかし、そんな親の敷いたレールも監視の目も掻い潜れてしまうのが学生時代というもの。
王子はそこで『悪友』と呼べる友人らを得て、端的に言えばバカに拍車がかかってしまった。
父王の言うことは聞かず、母王妃の小言も何のその。その両名すらも相手にしないバカが、今までの友人を無視し始めるのにそう時間は掛からなかった。
結果、大事な立太子式の当日に朝帰りを決め父を激怒させ、それでも懲りずにまだ悪所通いを繰り返している。
お忍びで王室の人間が城下に出かけるのは、昔からよくあることなのでそこまで目くじら立てて禁止されたりはしない。
しかし、悪所は表向きは黙認されている場所だ。そういった場所に王族が出入りしていることが公然となってしまうと、国が認めた、と捉えられかねない。
それに、金のない病人や怪我人がすぐそばの路地裏に転がっていて、入り組んだ街並みに上下水道の整備も満足ではなく、どうしても不衛生な場所でもある。
今ここで出る話題はまだ『悪所に出入りしている、賭け事にハマり、ツケで飲みまわり、この間は喧嘩でもしたのか怪我をしていた』程度で済んでいるが、私は知っている。あと半年もしないうちに『王太子が悪所の売春宿に出入りしている』と噂が広がり、しまいには孕ませてしまうことを。
『やだわ。またですの?』とか『困ったものですね』なんて、半分笑い話にしている今は華だ。そのうち、口にするのも憚られるほどの醜聞が広まり、口に出す事もできない空気になる。
「聞いた話ですと、廃太子して王弟殿下のご子息を改めて立太子させよ、とのお声もあるとか…。」
一人の令嬢が意味ありげに私をチラリとみる。
やっぱり来たか、と思いながらなんと答えるか迷っていると、別の令嬢が『不謹慎ですよ』と嗜め、この場は終わった。
帰りがけに今日のお茶会の開催をした令嬢にも話が回ったらしく、『あの人は噂好きなのは良いんですけど、少し好奇心が旺盛すぎるのが困りものですわね』と帰りの見送りの時にフォローを入れてくれた。
いえいえ、お気になさらず。と親切で物分かりの良い顔で答え『楽しかったですよ。またお誘いください』と、帰路に着く馬車に乗り込む。
私としてはこうしてお茶会やサロンなんかで噂話を聞いて、現実との成否やどこまで話が広まっているかを調べる一環にもなっているので、例えその噂話のネタに自分がなっていても不快に思ったりはしない。
むしろ、自分たちに関わる噂こそ念入りにチェックしなければいけないと公爵に言われている。
それにしても、あの噂好きなご令嬢は耳が早いのか、勘が鋭いのか、優秀な情報屋でも雇っているのか…なかなかに侮れない早耳だ。
思えば当然の話だけれど、国の命運に関わる事を昨日今日の事件で突発的に取りやめたり再決定したりはしない。
それがどれだけ大事件で、どれだけの十分沙汰だったとしても、だ。
この辺りの認識で考え違いをしていたことを改めて反省した。
前世の日本で大学生だった頃、婚約者である王子に一方的に婚約破棄された令嬢が別の人と婚約し、しかもその相手がもっと偉い人物だったり、幸せになったりして『ざまぁ』となる展開のティーン向けマンガや小説を好んで読んでいた時期があった。
スカッとする気分の良さが目的だったし、特に変にも思わなかった。
けれど、現実として考えてみるとありえない展開だと言うのがよくわかる。
そもそも、政治にも直結する王太子の婚約は王命で行われる。
それを独善で破棄しようなんてやらかしをする王子なんて、何年も前から危険視され、代打が決められていて当然なのだ。
どれだけ親である国王夫妻が自分の子供に継がせたいと願っても、何千何万もの民の命がかかっている。親心だけで押し通すことは許されない。
王太子の事件はまだ数年先の話だが、その出来事がきっかけでカーネリアン青年が王太子になる流れだとずっと思っていたし、そこに疑問はなかった。
しかし、カーネリアン青年への打診はすでに来ていた。
私は、この3年間ですっかり見慣れた公爵領の景色を、馬車の窓越しに眺めながら去年の出来事を思い出す。
貴族学園の卒業も目前に控えたある夜。
いつも飄々とした顔の公爵が珍しく厳しい顔をして座っていた。
時刻は深夜。1人別邸を訪ねた公爵は、国王からの密書を差し出し『慎重に考え、答えなさい』と息子であるカーネリアン青年と私に言い、黙って目を閉じてしまった。
眠ってしまったのかと思ったけれど、手紙を読んで納得した。
息子の反応を見れば、止めてしまいそうな…。そんなもの無視しろ、と親心を出してしまいそうだからだ。
その手紙は端的に言えば『王太子への打診』だった。
国王となる重積は、王弟として間近で見ていた公爵には分かりすぎるほどだろう。
ましてや、王太子となるために『国王との養子縁組』が条件に書かれている。
自分の息子でなくなり、簡単に会うことも言葉を交わすこともできなくなってしまう。
親ならば止めたくなる。
しかし、王子の行動を知っているからこそ『あれを王にしてはいけない』と言うことにも考えついてしまっている。
それは、同年代のカーネリアン青年も同じなのだろう。
だからこそ、かつての彼は結果的に王太子となる話を受けたのだから。
『少し2人で考えたい』と言うのでどちらかの部屋で話合うのかと思ったら、夫婦の寝室へと腕を引くので少し身構えた記憶がある。
まさかこのタイミングで変なことはしないだろう、と思いつつもドキドキしつつベッドに腰掛けると、カーネリアン青年は私の前に跪き、ひたすらに謝ってきた。
『こんなつもりで連れ出したワケじゃない。けれど、国の大事を見過ごすことはできない。幸せにする。家族も一緒に作ろう。だから、王妃になると頷いて欲しい』
嫌がられ『それならば離婚だ!』と、言われると思ったのか。
もうずっと大人になったと言うのに、12歳の少女に涙ながらに縋り付く190cmの青年の図は、側から見たら奇異にしか見えない。
しかし、どれだけ滑稽に見えても本人は悩みに悩んで出した結論だ。
『一生を添い遂げる覚悟で、この国に参りました。たとえ側室でも良いので、お側に置いてください』
と、答えると
『絶対にそんな目には合わせない!!!』
と、まぁ…本格的に大泣きしてしまったので宥めるのが大変だった。
感動しいというか、涙腺が弱いというか。感情が昂るとすぐ涙ぐんでしまう体質のようで、この辺り母親の公爵夫人によく似ている。
なんとか泣き止ませ、ずっと待っていた公爵に返事を伝えに行けたのは明け方近く。
目をぱんぱんに腫らし、鼻もかみすぎて真っ赤にした息子の顔に吹き出しつつも、息子の決意を聞いて『苦労を掛ける』と言った声は震えていた。
噛み殺そうとして失敗した笑い声だった。
去年のこの出来事以来、私とカーネリアン青年は密かに国政を担えるようにみっちりとお勉強をしているが、遊び歩いている王太子はそんなことは知る由もなかった。
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