瑠璃色の

たんぽぱ

草原を歩く

 草原を歩く。さくさくと、軽い足音と、草を撫でる風の音。


 そして、目の前のリュックから下がっている金属製のコップが二つ、かちゃかちゃ鳴りあっている音。


「ねえ、いつになったら着くの?」


 僕は聞いた。


「もうすぐ」


 ハタツルは振り向かずに言った。そのぶっきらぼうな言い方に、僕は少しムッとした。


「もうすぐって、いつなの?僕、はやく休みたい」


「あと少し。……今日、いや、陽が沈む前には着く」


 そう言う間にも、ハタツルはどんどん進んでいく。

 僕は空を見上げた。太陽は西へ少し傾き始めたくらいで、まだ全然明るかった。遠くには緩やかな斜面の山が見える。


「あ!あそこに座りやすそうな石がある!休もーっと」


 僕はハタツルを追い越して石にどっこいしょと座った。僕がふうと一息つくと、ハタツルは僕の目の前を通り過ぎた。


「休憩しようよ。ハター?……待って待って、分かったから!」


 僕は休むのを諦めてハタツルを追いかけた。そんなに急いでも変わらないのに、と思ったけど、言っても意味がないことは分かっていた。ハタツルは、頑固で、頑固で、頑固だから。自分のスタイルを曲げたことなんてほとんど見たことがない。変えたことがあるのは、おやつにコーヒーゼリーしか食べないハタツルの前で僕がプリンを美味しそうに食べてたら、一口ちょうだいと言ってきたことくらいだ。

 追いついて、じーっとハタツルの顔を見上げ続けたけど、やっぱり表情ひとつ変えなかった。


「そんなに急いで行くものなのかなあ」


「花が枯れる前に着かないと……」


 ハタツルはリュックの中を気にしているらしい。


「平気だよ枯れちゃっても。そんなに花好きじゃなかったし。向こうでも多分、何かしら咲いてるだろうからそこで摘めばいいでしょ」


「なんで……」


 ハタツルは、すごく嫌そうな顔をした。せっかく摘んで持ってきたのに、とでも言いたそうだ。歩く速さが少し遅くなる。僕はため息をついた。


「はあ、ハタったら。何もそこまで頑固じゃなくてもいいのにさ……とにかく!僕はゆっくり行きたいの!もっとゆっくり歩いてよ」


 すると、ハタツルの歩幅が少しずつ狭くなっていき、しまいにはその場で止まってしまった。


「休憩?もしかして休憩する?やっと?」


 ハタツルはしばらく空を見上げていた。短く切られた髪がなびく。すると、ハタツルはため息をついて頭を横に振り、


「……休憩にするか」


と言った。


「やった!やっと休憩だよーいっぱい休もう!」


 僕は飛び跳ねながら言った。

 ハタツルは座ってリュックから水筒を取り出すと、その中身を片方のコップに開けた。コポポ、と空気が混ざる音がする。

 ハタツルは僕のコップを置いた。そして自分のコップにも水を注ぐ。


「え、なんか僕のほう少なくない?ハタのほう並々入ってるのに。ずるい」


「うまい」


 ハタツルは水を飲んでつぶやいた。


「うわー!そうやって誤魔化そうとするとか、極悪非道だー!いじわる。悪魔!権力濫用!」


「いい景色だなあ……」


 ハタツルはそっぽを向いてそんなことを言う。


「無視するなー!!」


 そこまで叫び終わった僕は、ハタツルが泣いているのを見た。ハタツルは、ふうとため息をついて、涙を拭った。

 僕は黙った。こんなに叫んで、馬鹿みたいだな。僕は草の中に倒れこんだ。寝そべると、風と草の音に紛れて、ハタツルが一回だけ鼻をすするのが聞こえた。

 静かになってからしばらくして、僕が歌を歌っていると、ハタツルも同じものを口ずさみ始めた。僕たちは一緒になってそれを歌った。

 歌い終わるとハタツルは残りを飲み干してコップを片付け、立ち上がった。


「ダメでもともとだな」


 そう言って歩き出した。僕はまた、ハタツルの後についていった。

 さくさくと歩く足音。さっきよりも早い歩幅でハタツルは進んでいく。僕は置いていかれないように頑張って進んだ。




 黙々と進んだおかげで、山がすぐ近くに見えてきた。木々の一本一本も見分けられる。見ると山まではそう遠くなさそうだから、そのまま足を運び続けた。本当に一日で着きそうだ。


 そして山の麓までやってきた。日は落ちかけていて、夕焼けの色が辺りを照らす。葉っぱが赤く燃えているように見えた。風が強く吹き上げて、ざわざわと木が揺れる。森の近くまで来たというのに、動物の鳴き声が一つも聞こえてこなかった。


 ごくり、と僕は息を呑んだ。


「ちょっと怖いね」


 ハタツルに言うと、


「もう少しだ。あと少し」


と返ってくる。そしてハタツルは道のない鬱蒼とした森の中へと、ゆっくりと分け入っていった。

 入ってみると、森の中は急斜面がずっと続いていた。山の土からは巨大な岩が顔を出して、僕たちの行手の邪魔をする。岩にはなにも生えていなくて、登ろうとすると、ずるっと滑って危なかった。ハタツルは息を切らしながら進んでいく。岩に登るたびに、コップが熊よけのように大きな音をたてた。


「ここまで来たんだ。必ず会える。きっと」


 ハタツルが大きくつぶやいた。


「そうだよ!神様かなにかが会わせてくれるのか知らないけど、きっと会える!……僕も会いたい!」


 僕は叫んだ。しばらく沈黙が続く。


「……そういえば前に、こんな……じゃなかったけど、森の中を歩いたっけな」


「覚えてるよ!懐かしいなあ」


「秋頃だったから、綺麗だった」


「僕はどっちかっていうと桜の方が好きだけどね!ハタは春か秋だったらどっちが好きなの?」


「嬉しそうにはしゃいで走り回って」


「それはハタと散歩なんて初めてだったからさ!」


「予想通り。石につまづいて転んで」


「あーあれは自分でもちょっとびっくりした……って、僕の質問に答えてない!春か秋か!ちなみに僕が一番好きな季節は夏!」


「転んだのに、笑ってた」


「良かったね!はい答えて!」


「あの時は、楽しかった」


 ハタツルは息を切らし、喋りながら登っていく。


「答えろよー!」


 僕はハタツルのリュックを掴もうと手を伸ばした。だけど、分かっていたけど、触れられなかった。僕の手はハタツルのリュックをすうっとすり抜けて、空を掴んだ。虚しすぎるほど簡単にすり抜けた。

 ハタツルはそれを気にも止めず、どんどん僕を置いて進んでいく。ハタツルには、僕の姿も見えていない。僕はその後ろ姿を見て、やっぱりすごく寂しかった。


「……ハタの態度、生きてた頃とそんなに変わらないのになぁ……」




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