113 収穫祭 (6)
「セイジェルさま、いいにおいする。
だからノエル、ずっと、ずっと、ずーっとセイジェルさまといっしょにいる」
「そうか」
「しろちゃんたちもいっしょにいる」
「好きにしなさい」
「よかったね、しろちゃん。
セイジェルさまとずっといっしょにいられる」
抱えた小さなしろちゃんに話し掛けたノエルは、すぐそばで床に鎮座している大きいしろちゃんの首に抱きつく。
「おっきいしろちゃんもいっしょ。
あおちゃんもいっしょ。
あとでみんなにもいう。
みんなみんなずっといっしょ。
うれしいね」
むふー
満足そうに再び大きいしろちゃんといっしょに床にすわるノエルを見て、控えていたニーナがすかさず毛布を掛けてやる。
そうしてノエルが落ち着く頃を見計らってラクロワ卿オーヴァンが口を開く。
「……姫も承諾なさったということですかな」
「そう理解している」
ゆっくりと話し掛けるオーヴァンに対し、セイジェルはいつものように淡々と答える。
「でもやはり、そんなに急ぐ必要はないのではなくて?
ノワールもまだ幼いのだし」
ちらりちらりとノエルを見ながらも、遠慮がちではあるが食い下がるマリエラに、セイジェルではなくオーヴァンが返す。
「案じられるお気持ちもわかりますが、先延ばしにしても意味はございますまい。
むしろ
領地をあげての慶事となりましょう。
城内だけでなく、領民にとっても明るい話題は日々の活力となります。
それを先延ばしにする意味はないでしょう」
「それはそうですが……」
もっともらしいことをゆっくりと並べるオーヴァンは、煮え切らない様子のマリエラに対して続ける。
「それにマリエラ様、これはアスウェル卿家にとっても喜ばしいことではございませか?」
「もちろんセイジェルは子どもの頃から見守ってきた大事な甥です。
ノワールも
その二人の婚約は喜ばしいことではあります。
それはわかっておりましてよ」
いつも穏やかなマリエラにしては少し苛立った様子を見せるが、オーヴァンは 「そうではございません」 と静かに続ける。
「
長らく控えておられたご子息の婚姻の儀を進められてはいかがでしょう?」
そう言ったオーヴァンがゆっくりと視線をセルジュとミラーカに向けると、どうやらオーヴァンの指摘を受けるまで当人たちもすっかり忘れていたらしい。
オーヴァンと目が合ったセルジュが 「あ」 と小さく呟くと、その隣にすわるミラーカも 「あら」 と声を上げて二人は顔を見合わせる。
そしてほぼ同時にノイエを見る。
普段はあまり表情を変えることのないセルジュは困惑を浮かべ、ミラーカは期待と不安のない混じった表情である。
「……
「まぁ、ノイエ!
セルジュ、ミラーカ、おめでとう!
マリエラも忙しくなるわね」
真っ先に祝いを口にしたのはエルデリアである。
エルデリアもオーヴァンの指摘を聞くまですっかり忘れていたらしく、驚きのあまり素っ頓狂な声になる。
「ありがとう、お姉様」
「なにかあればいつでも相談して頂戴。
わたくしに出来ることはなんでも協力してよ」
「おめでとう、セルジュ、リンデルト令嬢」
「ありがとうございます、叔父上、叔母上」
「ありがとうございます、ラクロワ卿、ラクロワ卿夫人」
従兄弟同士であるセルジュとミラーカが婚約して随分になるが、とうに二人とも成人しているのに未だ婚約者同士のままなのは、セルジュの父であるアスウェル卿ノイエが二人の婚姻に待ったをかけていたからである。
理由は、セルジュと同い年の従兄弟である
もちろんアスウェル卿家にとってもセルジュは一人息子であり、大事な跡取りである。
その婚姻は非常に重要なものである。
それでも、クラカライン家やラクロワ卿家などから特に要請があったわけでもないが、その関係性の近さなどを考慮したノイエが二人の婚姻に待ったをかけていたのである。
そのセイジェルの婚約が整ったのである。
ノイエが息子たちの結婚に待ったを掛ける理由はなくなる。
許可を出すのは当然だろう。
だがセイジェルの相手がノエルということに不安を隠せないマリエラは、そのことばかりが気にかかっていた。
そんな妻マリエラの隣で静かにことの成り行きを見守っていたノイエは、本当はとっくに気づいていたのかもしれない。
けれどこの場の話題は 【領主の婚約】 であるべきと考え、あえて沈黙を守る形で配慮していたのだろう。
だから義兄であるラクロワ卿オーヴァンから話題を振ってくれたのは、妻マリエラの思考を逸らすのに都合がよかったのかもしれない。
「忙しくなるわね、ノイエ」
夫のノイエを見て嬉しそう言うマリエラはいつもの穏やかさを取り戻している。
一方、ラクロワ卿家夫妻からかけられる祝いの言葉に頬を赤らめて喜んでいたミラーカだったが、あることに気づいて不意に表情を曇らせる。
その目が見たのはノエルである。
「……おめでとう……」
叔母夫婦が従兄弟セルジュとその婚約者ミラーカを
「セルジュとあれの婚姻が決まったのだ。
とても喜ばしいことだ」
「こんいん……よろこばしい……いいこと」
「結婚……今は結婚を約束した関係だが、正式に婚姻し夫婦になることだ」
「ふうふ……おとうさんとお……」
おそらく 「お母さん」 と言い掛けたのだろう。
だが脳裏を掠める恐怖心がノエルの言葉を詰まらせる。
セイジェルはそれに気づかない振りをしたのか、あるいは本当に気づかなかったのか。
そのまま話し続ける。
「とても喜ばしいことだ。
そなたからも二人におめでとうと言ってやりなさい」
「わかった」
セイジェルに促されたノエルは、小さいあおちゃんとしろちゃんを両手に抱えて並んですわるセルジュとミラーカを見る。
「ミラーカさま、セルジュさま、おめでとう」
「ありがとう」
普段はノエルと話すことのないセルジュも、さすがにこの時ばかりは返礼をするが、隣にすわっているミラーカの様子に気づく。
「どうかしたのか?」
「どうか……その、少し気がかりと申しますか……」
ミラーカの立場でどこまで言及が許されるのか?
嬉しい気持ちに偽りはないのだが、やはりどうしても気に掛かり戸惑う。
それはなにかといえばもちろんノエルのことである。
セルジュとミラーカの婚姻はまだ内々の話であり、正式な発表は次の新緑節以降となる。
それに領主の婚約という慶事に、有力貴族とはいえ慶事を被せるのはよろしくない。
それこそクラカライン家とは縁もゆかりもない下級貴族の婚姻ならば気にする必要もないだろう。
領主の婚約に比べれば、下級貴族のどんな慶事も霞んでしまうからである。
だがアスウェル卿家は名門中の名門貴族である。
しかもセルジュはセイジェルと従兄弟同士。
万が一にも発表を被せることで、領主の婚約が霞むようなことになってはならない。
そのため婚姻の発表から婚姻の儀まで慎重に日程を組む必要がある。
婚姻の発表や婚姻の儀、それに婚姻後のミラーカを迎え入れるためのアスウェル卿家屋敷の準備などを秘密裏に進めるとなれば普通より時間がかかる。
それこそ日程を調整しながら少しずつ進めることを考えれば、収穫祭の食事会が終われば準備の下準備に取りかかりたいところ。
そうすると、どうしてもミラーカがノエルのそばを離れることが多くなるのである。
ただでさえ収穫祭のあいだアスウェル卿家の食事会に出席するだけでなく、セルジュの婚約者としてアスウェル卿家の親族や付き合いのある貴族の食事会にミラーカも招待されており、クラカライン屋敷を空ける日が多くなる。
そのまま婚儀の準備を始めるとなると、いつクラカライン屋敷に戻ってこられるかわからない。
そのあいだずっとノエルを一人にしてしまうことを思うと心配になったのである。
「それに側仕えもまだニーナ一人でございましょう。
どうしても姫様をお一人にしてしまう時間が今以上に多くなってしまいますわ」
話し出せば止まらなくなってしまったミラーカは結局全てを言葉に出してしまったのだが、聞いていた誰もが彼女を咎めなかった。
それどころかセイジェルがエルデリアに咎められたのである。
理由は、そもそも貴族の幼い子どもの養育係を務めるのは、親族か下級貴族の、子育ての終わった既婚女性が普通である。
それをまだ若い、子育てどころかまだ結婚もしていないミラーカに任せたセイジェルが悪いというのである。
「あなたは気にする必要はありません。
セルジュと幸せになりなさい」
エルデリアはそう断言する。
「さすが叔母上、はっきりと仰る」
「なにが、さすが叔母上、ですか!
あなたと来たら……」
いつものように淡々と返すセイジェルは、足下で 「セイジェルさま、おこられた」 と不安そうな顔で見上げているノエルに 「心配はいらない」 と答える。
だがセイジェルの口まねを含めて非難を続けるエルデリアは 「なにが心配はいらない、ですか」 と、またセイジェルの口真似をしながら咎める。
「全面的にあなたが悪いでしょう!
ミラーカではなく、あなたがノワールの心配をなさい!」
「誤解があるようですので説明をさせていただきます」
エルデリアの剣幕もどこ吹く風のセイジェルは淡々と話す。
そもそもミラーカは養育係というのは名目だけの話で、実際はノエルが
もちろんミラーカを選んだのはセルジュへの信頼と、ノエルがアーガンに懐いていたからである。
それを聞いたエルデリアは怪訝そうに尋ねる。
「アーガンとは何者ですか?」
「まぁお姉様ったら、気になります?」
「当然です」
妹のマリエラが少しからかうように言うと、姉のエルデリアはきっぱりと返す。
するとマリエラは楽しそうにふふふ……と笑いながら答える。
「わたくしの甥ですわ」
「そなたの甥……ということは、システアの息子?」
「ええ、ミラーカの弟です」
「確か騎士団に……」
ミラーカの弟であるアーガンが、父親であるリンデルト卿フラスグアと同じく騎士団にいることまでを思い出したエルデリアは、ようやくのことで色々と想像したらしい。
少しばかり沈黙する。
「……なるほど、そういうことですか」
「
収穫期も終わりましたので、これからしばらくはわたしも時間が取れます。
収穫祭が終われば叔母上たちも相手をしてくださるでしょう」
「でしたらはじめからわたくしたちに話していればよかったのです!」
納得したエルデリアにセイジェルも答える。
するとこんな回りくどい真似をして! ……と言わんばかりに不満を口にするエルデリアに、またしても妹のマリエラが 「お姉様、少し落ち着かれては?」 などと声を掛ける。
セイジェルがはじめから二人の叔母を頼らなかったのは、もちろんエルデリアの性格もある。
セルジュの母親ということでマリエラだけならすぐにでも紹介出来ただろうが、それは姉妹喧嘩の火種になることが明らかである。
そこでノエルが勉強に興味を持っていることからルクスを教師役としてノエルに紹介し、それからルクスの母親としてマリエラと一緒にエルデリアも紹介することにしたのである。
確かに回りくどいやり方だが、ノエルのことを考えればこれが最善だと考えたセイジェルの説明をきき、今度はオーヴァンがあることに気づく。
「
「なんだ?」
「エセルスはどこまで知っているのでしょう?」
ルクスの兄でラクロワ卿家の第一公子エセルスは、領都ウィルライトから遠く離れた中央宮に宮官長という重責を負って務めている。
エセルスと同等、あるいはエセルス以上の後任が現われない限り帰還は不可とされており、赴任以来、両親ですらエセルスとは直接会えていない。
そのエセルスをセイジェルが実の兄のように慕い信頼していることはオーヴァンも知っている。
ルクスがセイジェルとセルジュを嫌う理由の一つでもあるのだが、ノエルを引き取るにあたって兄弟のように仲のいいセルジュが、
ではエセルスは?
もちろん中央宮から帰還の叶わない身である。
だがまるでなにも知らないということはないはず。
ではどこからどこまで知っているのか?
そう尋ねるオーヴァンにセイジェルはなんでもないことのように答える。
「はじめから、全て」
「わたしが話を聞かされたのも、すでにエセルスと全てを打ち合わせたあとのことでしたよ、叔父上」
セルジュまでそれが普通だと言わんばかりに続き、オーヴァンは 「そうですか、ありがとうございます」 と引き下がる。
おそらくそれほど重要なことではなかったのだろう。
だが気になったのである。
定期的に連絡を取り合っているとはいえ、息子の動向を把握したかったのもあるに違いない。
そしてそれは今訊かなければ、次に訊ける機会が来るとは限らない。
だから訊いたのだろう。
そして目的を達成したので速やかに引く。
それが名門ラクロワ卿家の当主オーヴァンという人物である。
ルクスも兄が知っていたことを当然だと言わんばかりに父とセイジェルのやりとりを聞いていたが、完全に自分だけが仲間はずれにされていることには気づいていない。
そんなルクスの抜けっぷりに両親は呆れ半分、残念半分に思っていたが、今はおとなしくしていて欲しいのあえて言及はせず、エルデリアが少し早口に話を戻す。
「とにかく、ミラーカは気にせずセルジュと幸せになりなさい。
ノワールのことはわたくしとマリエラで……いえ、マリエラも忙しいでしょうから、わたくしが責任を持ってノワールを養育します」
ここぞとばかりに堂々と抜け駆けを宣言するエルデリアだが、そうは問屋が卸さないと妹のマリエラが返す。
「お姉様、抜け駆けは許さなくてよ」
「人聞きの悪いことを言うものではありません。
折角気を遣ってあげたというのに」
「もちろん息子の結婚も大切ですけれど、ノワールも大切ですもの。
ミラーカも心配しているのですから当然わたくしも協力しましてよ」
ここでマリエラが言葉を切ると、すかさず反論しようとするエルデリアだが、マリエラがそれを許さない。
「お姉様も魔術師団でのお仕事がございますでしょ?
忙しいのはお互い様でしてよ」
「マリエラ……」
ノエルの養育を独占したくてしたくてたまらなかったらしいエルデリアだが、マリエラが譲らず。
セイジェルにも 「お二人の協力が得られれば心強い」 などと言われてしまう始末。
なによりもノエルが見ている前で妹に敗れるわけにもいかず、さすがのエルデリアもここで引き下がるしかなかった。
【アスウェル卿ノイエの呟き】
「あのぬいぐるみの目……まさか……。
それにしても閣下がいい匂いというのはいったい?
いや、そもそも黒髪というのはどういうことだ?
クラウス様の娘というのは……いや、確かにエラル様の面影が濃い。
今更閣下がウェスコンティ卿家と謀って我が家やラクロワ卿家を陥れようなどと考えるわけもあるまい。
となると……さすがクラウス様というべきか。
こんな形で意趣返しをなさるとは、とんだ置き土産を遺されたものだ」
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