16 領地境 ~赤の領地から白の領地へ (1)

 これまでノエルが着ていたのは弟マーテルのお下がりである。

 上に兄弟がいるとお下がりをもらうのは普通だけれど、ノエルの場合は普通なら姉のミゲーラからもらうもの。

 だが彼女は着られなくなった自分の服は町の古着屋に売ってしまい、そのお金をお小遣いにして貯めていたのである。

 エビラもそのことは知っていたはずなのに、それでもミゲーラのお下がりがあるからと言ってノエルに服を買ってやることはなかった。

 そのためノエルは、仕方なく弟マーテルの着られなくなったお古を着ていたのである。

 そんな服に未練も執着もあるはずはなく、アーガンに言われるまま店に引き取ってもらうことにした。

 帽子だけはそのまま、無造作に束ねた黒髪を押し込むように被り、下働きの男児という体裁で一行に混じっている。


 ノエルは九歳でありながら五、六歳にしか見えない。

 馬を預けた駅で合流したセスは、サイズの合った服に着替えて一回り縮んだノエルを見て、またしても 「ちっさ!」 とか 「ガリガリじゃん」 などと大きな声で言って、ファウスに無言で拳骨を落とされる学習能力の低さを発揮。

 まさに脳筋である。

 ノエルは怯えながらも言われたとおり、アーガンの陰に隠れてその様子を見ていた。


「セス、いや」


 ノエルのポツリとした呟きを耳にしたアーガンは、その小さな頭を帽子の上からゆっくりと撫でてやる。


「さて、領地境りょうちざかいを越えるぞ」

「……白の領地ブランカ、いくの、たいへん」


 色を問わず、学校に通っていれば少なからずこの国の成り立ちや領地境について学ぶもの。

 特にノエルたち、領地境近くに住む者たちにとっては重要なことである。

 だがノエルは学校に通っておらず、村の北西にある山には近づいてはいけないと、村の大人たちが話しているのを聞いて知っているだけ。

 町の入り口で、馬車や馬を預かる駅周辺に漂うぴりっとした空気を感じたノエルの問い掛けに、アーガンは少し困ったように首を傾げる。


「そうだなぁ……」


 そんなことを呟きつつセルジュを見るけれど、彼は相変わらず知らん顔。

 本気でノエルの世話を丸投げするつもりらしい。

 思わず顔面に力を込めて (あの野郎……) と内心で毒突くアーガンだが、ぼんやりとした顔で見上げるノエルの 「アーガンさま」 という声で我に返る。


「あー……俺は剣や馬のことなら話せるが、どうもそういうことは苦手でな。

 おい、ファウス!」


 基本的な領地境のことならイエルもわかっているが、ファウスを指名したのは適材適所ということだろう。

 本格的な旅の出発を前に、鞍の具合を見たり、荷物の固定を確認したりと忙しくしていたファウスだが、あとをイエルに任せると嫌な顔もせず講義を始める。


「領地境は加護の違いが反発しあって不安定になるのです。

 見える風景は変わらないので植生に影響はないようですが、人を含む動物の方向感覚を狂わせるのがその一番の特徴と言われています」


 赤の領地ロホ白の領地ブランカ、その両端にある町を道は繋いでいる。

 その道は確かに目に見えているのだが、なぜか方向感覚を失ってしまうのである。

 そうして狂った方向感覚のため領地境を延々と進んでしまった迷い人は、運がよければ自力で脱出することも出来るし、他者との偶然の遭遇で救出されることもある。


 だが自力で脱出することが出来ず、偶然の遭遇に救出されることなく、そのまま行き倒れてしまう旅人も多い。

 大人数の移動だからと油断すると、隊商からはぐれてしまう用心棒も少なくない。

 時には馬が方向感覚を失っていることに御者が気づかず、馬車ごと遭難してしまうこともある。

 その防止のため隊商も旅人も魔術師、あるいはそれなりに高い魔力を持つ者を道案内に雇う。

 領地境の向こう側にある加護の強さを道しるべにして進むのである。


 領内の旅であれば地図があれば十分だが、領地境だけはどうしても加護の違いによる反発があるため地図だけではどうにもならない。

 その代わりを務める道しるべが神殿である。

 神殿にある祈りの対象……これは石柱であったり宝珠ほうじゅであったり、また像であったりと、その形は領地や神殿の規模によっても異なるが、膨大な魔力を有するそれらを探知して方位を定める。

 そのため領地境を通る街道近くには、必ず、より多くの魔力を有する祈りの対象を所持する大きな神殿がある。


「神殿には他にも役割がありますが、領地境近くに設置される神殿の最たる役目はこの道しるべです。

 他に魔石ませきを授けることもします」


 アーガンたちのように両側の魔術師を揃える一行が少ないのは、そもそも魔術師の多くが貴族だから。

 よほど困窮した下級貴族でもこんな危険な仕事はしないだろう。

 まして平民に雇われるなど矜持プライドが許さない。

 だが平民出身の上位魔術師は育成の段階で神殿が取り込むことが多く、そこから志願、あるいは推薦を受けて領都の魔術師団に転籍する者も少なくない。


 大規模な隊商ならば自前で案内人を雇っているところもあるが、その給金は決して安くないので少数派である。

 多くは領地境を越える時だけ雇う。

 必要な時だけ雇い、必要な経費だけを払うのである。

 そのため神殿や魔術師団に属さず仕事にありつけない下位の魔術師や、魔術師になり損なった魔力持ちの平民などが、危険な案内の仕事を請け負うため領地境近くの町にいる。


 神殿に 「寄付」 をすることによって授かることの出来る魔石は、魔力を有する黒い石のことである。

 だが高価な魔宝石まほうせきに比べて含まれる魔力は少なく、再利用が難しく使い捨てである。

 しかも始めから魔力を持っているとはいえ、スイッチを入れる必要がある。

 使用する前にほんの少し魔力を注ぐ必要があるのだ。

 そうすることで注がれた魔力の色をほんのりと帯びたまだら模様になり、ようやく魔力の補助として使うことが出来る。

 そのため魔力を持たない者にとってはただの黒い石。

 けれど魔力の低い者にとっては、少しでも安全に戻ってくるため・・・・・・・の保険となる。


「白は白、赤は赤の魔力しか探知出来ないから、基本は二人ひと組で雇う。

 値が張るのは当然と言えば当然だな」

「逆に魔石は……おそらくこの町のどこかでも売られているでしょうが、ほとんどがまがい物です。

 神殿以外では、まず本物は入手出来ません」


 魔石を授かるための 「寄付」 は決して安くない。

 それでも安物には手を出さないようにとファウスは釘を刺す。


「安物買いの銭失いで済めばいいが、命を失ってはケチる意味もない。

 もののわからん阿呆のすることだ。

 さて、この辺で講義は終わりだ。

 そろそろ出発する」


 アーガンの言葉に 「はい」 と静かに答えるファウス。

 その顔を見上げるノエルが問い掛ける。


「ファウスさま、まじゅつしさま」

「いえ、わたしは魔術は使えません。

 多少の魔力はありますが……」


 そう言うファウスは少しぎこちなく笑う。

 いつもこの男が澄ましているのは、ひょっとしたら感情表現が苦手なのかもしれない。


 開放されている井戸で水を分けてもらった一行は馬と装備を最終確認する。

 そしてファウスを先頭に、アーガンの合図で領地境に向けて出発する。

 他にも同じタイミングで出発する隊商や旅人もおり、その中に紛れて一行も出発した。

 アーガンの馬に乗せてもらっているノエルは、町の外れあたりで変わった衣装を着た三人連れを見掛ける。


 なによりも目を引いたのはその色である。

 一人は、洗いざらして薄くなったような赤色。

 残る二人は灰色の衣装である。

 性別は三人とも男だが、町を出る者たちをうつむき加減に見送っているためその顔は見えない。

 けれど肩幅や線の細さに少年らしさが残る。

 ノエルはその服を以前にも見たことがあった。


「しんかんさま……」


 もちろんここに神官たちが立ちんぼをしている理由がノエルにわかるはずがない。

 しかしわかるアーガンは彼らの姿を見つけて驚いていた。


巫子コーラルっ?!

 奴ら、遭難が出ても探す気はないのかっ?

 見習いグレーなんぞ何人連れていても意味がないだろう……」


 コーラルレッド、グレーは赤の神殿に仕える神官たちの官衣の色であり、巫子ふし、見習い、それぞれの通称でもある。

 貴族社会同様神殿も階級社会であり、それを官衣の色で表わしているのである。

 赤の神殿では巫子コーラルの上に下級神官セピア上級神官マルーンがおり、当然階級が上がれば権限も大きくなる。

 領地境で遭難者迷い人が出れば少なからず混乱が起きるため、現場にはそれなりに権限を持つ人間が必要となる。

 しかもこれは騎士でも町の守備隊でもなく、領地境近くに建つ神殿の役目の一つ。

 神殿だけの役目でもある。

 それをまだ少年とおぼしき平民出身・・・・巫子ふしと見習いの三人に任せるのはあまりに無責任では無いか! ……と、馬を走らせながら憤るアーガンだが、すぐ脇を走るセルジュに注意される。


「アーガン、気を散らすな!

 領地境だ!」


 ほんの一瞬の隙が命取りとなる領地境。

 意識を持っていかれたら最後、前を走っているファウスに続いているつもりで全く違うところに向かってしまうのである。

 そうとも気づかないうちに……。


 もちろんアーガンの場合、途中で正気を取り戻せば赤の領地ロホに戻ることが出来る。

 ただそうなると一行とはぐれてしまい、改めて白の領地ブランカに向かうには案内人が必要となるなど時間と手間が掛かってしまう。

 最悪正気に返れず、白の領地ブランカに戻ることも赤の領地ロホに行くことも出来ないまま、延々と領地境を彷徨うこともあるのだ。


 しかも一行ははぐれないよう密集して馬を走らせているため、アーガンが遭難すれば後続のセスやイエルを巻き込む恐れもある。

 二人は全く魔力を持たないため方向を見失えば最後、自力での帰還は極めて難しいだろう。

 二人の部下をむざと失う原因を隊長である自分が作ってしまうなど、もっとも恥ずべき行為であった。


「すまん!」


(助かった、セルジュ)


 気心の知れた従兄弟に心の中で礼を言って、改めて前を走るファウスの背中と手綱を握る自分の手に意識を集中させる。

 町周辺は白の領地ブランカとの領地境に近づくほど緑が少なくなり、街道はほどなく砂と石ころだらけの荒れ地に出る。

 敷かれた石畳は間違いなく白の領地ブランカに続いているけれど、所々にある大きな岩陰にわずかな草が生えている程度の荒涼とした景色が果てしなく広がる。

 その景色を見たからだろうか。

 不意に背筋を走るぞわりとした感覚にノエルは身震いする。


「アーガンさま、きもち……わるい」

荒野ここを越えれば白の領地ブランカだ。

 もう少しだけ頑張ってくれ」


 鞍の端をしっかりと握りしめ緊張と気分の悪さに体を強ばらせるノエルに、手綱を握るアーガンは頭の上から答える。

 その声も明らかに緊張しており、手綱を握る手は、グローブの中でしっとりと汗をかいている。


 この荒野がどこまで続くのか。

 どこまで行けば白の領地ブランカに入るのか。

 それはアーガンも、先頭を走っているファウスにもわからない。

 白の魔術師であるセルジュにも。

 同じようにこの荒涼とした領地境を白の領地ブランカに向かう隊商にも、旅人にも。


 先程ファウスは説明しなかったが、領地境では距離感も時間感覚も狂うらしく、息苦しいほどの緊張感と耐えがたい悪寒がひどく長く続いたような気がした。

 だがある瞬間、ノエルは空気が変わったことに気づく。

 赤の領地ロホの生ぬるい空気が、領地境に入ったと思われるあたりからぞわりとした不気味な空気に変わり、それがまた急に肌をサラッと流れる乾いた空気に変わったのである。

 息苦しさから解放されたらされたで落ち着かず、周囲をきょろきょろと見回していると、気がついたアーガンが頭上から尋ねてくる。


「どうした?」

白の領地ブランカ……」


 質問に質問を返されたアーガンは困ったように周囲を見回す。

 領地境は目に見えるものではない。

 まして領地境は変化する。

 動くのである。

 その変化は微々たるもので、高い魔力を持つ魔術師はもちろん、修練を積んだ高位の神官でも明確にすることは出来ない。


 だがアーガンは数日前、赤の領地ロホに渡る前に見た景色を思い出しながら周囲を見回し 「おそらく」 と答える。

 不思議に思って 「どうしてわかったんだ?」 と尋ねるからノエルも正直に答える。

 空気がサラサラになった……と。

 それを聞いたアーガンは前を行くファウスに声を掛けて馬の足を止めると、自分の荷物から手ぬぐいを取り出してノエルの口と鼻を覆う。


「念のためだ、巻いておけ」


 そう言って再び馬を走らせると、先に行ってしまった仲間たちを追いかけた。



【アーガン・リンデルトの呟き】

「今さらハウゼン家になんの用だ?

 用なんてないだろっ?

 真っ直ぐ城に帰ろう!

 俺は帰りたい!

 お前だって姉上のお顔が見たいんじゃないか?

 な? そうだろ、セルジュっ?

 だってお前、内密のお話だから行き先も言わずに出て来ただろ?

 あの人のことだ、もうとっくにお前がいないことに気づいてるぞ。

 絶対に怒っておられる。

 早く謝ったほうがお前のためだ。


 だいたい何を考えておられるのだ、閣下はっ?!

 憂さ晴らしの嫌がらせに俺たちを使わないでくれっ!!」

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