15 領地境の町 (1)

 ファウスに馬をなだめてもらいながらその背に乗るセルジュだが、乗り手の不安定さが伝わるのだろう。

 馬はしきりに足踏みをしてさらにセルジュを不安定にさせる。

 貴族のたしなみ程度には乗馬の練習もしており、一人で乗れないというわけではない。

 本人曰く、普段から仕事が忙しくて馬と接する機会が少なく、扱いが苦手とのこと。

 実際上席執政官という役目柄日々忙しくしており、それを口実に遠乗りや狩りの誘いも断っているという。

 そもそも彼は子どもの頃から体を動かすことが苦手だったから、仕事の忙しさはいい口実になったのだろう。

 そのためこの旅のため馬に乗ったのがどれほどぶりだったか、思い出せないほどだったという。


 アーガンたちだけならばともかく、旅慣れた商人でも十日はかかる赤の領地ロホへの旅。

 下手に怪我をさせるわけにはいかないが、かといってセルジュを馬車に乗せてのんびり旅というわけにもいかない。

 この旅自体が内密であったことはもちろんだが、のんびり出来ない一番の理由はセルジュが長く留守に出来ないから。

 そんなことをすればするほど仕事が大きく滞ってしまい、セルジュの不在がおおやけになってしまうのである。


 そこで本人から特に希望はなかったが、アーガンの配慮で、セルジュが騎乗する時はファウスかイエルが手を貸すことになっている。

 そのあいだもう一方は馬を預かる形になるのだが、残るセスはと言えば、その様子を自分の馬の影から見て 「へったクソ」 などと悪態を吐いていた。

 さらにそんなセスを、アーガンの影から窺い見ているノエル。


「……セス、こわい」

「あいつはなぁ……。

 怖ければ近づかなくていい。

 俺かイエルの側にいろ」


 ゆっくりと大きく頷くノエルを見て、アーガンは帽子の上から頭を撫でてやる。


「次の町に着いたら約束通り飯を食おう」

「ごはん……」

「もう少しだけ我慢してくれ。

 そうだ、服も買おう」


 あまりにもその格好はひどすぎる……と不憫がるアーガンだが、ノエルにはその視線の理由がよくわからない。

 しかもいきなり抱え上げられて馬の背に乗せられたから、考えるどころではなくなってしまう。

 なにしろ生まれて初めての乗馬である。

 緊張と恐怖に身を強ばらせ、落ちないよう必死に鞍を握りしめていたのだが、あまりに強く握りしめすぎて、目的の町に着いた時にはすっかり手は白く冷たくなっていた。


「小さい手だな」


 先に馬を下りたアーガンはすぐにノエルを下ろし、その小さな手を両手に包んでさすってやる。

 すぐ横に馬をつけて下りたイエルは、そんな二人を横目に見ながら放置されたアーガンの馬の手綱を取って笑う。


「見事に手懐けられましたね、隊長」

「俺が手懐けられたのか?」

「どう見てもそうでしょう」


 イエルはそう言って笑いながら二頭の馬を引いていく。

 そんな大人二人のやりとりを、アーガンの大きな手で手をさすられながらぼんやりと眺めていたノエルは、「さぁ飯にしよう」 と声を掛けてくるアーガンに抱え上げられる。


 ノエルには親に抱っこされた記憶はない。

 こんな風に冷えた手をさすってもらったこともない。

 笑いかけてもらったこともない。

 無い無い尽くしのノエルは初めてのことをぼんやりと眺めていたけれど、周囲を埋め尽くす人波に気がつくと一瞬にして表情が凍りつく。


 この町は街道沿いにあるとはいえ、朝発った町に比べれば随分小さい。

 そもそもこの街道は、白の領地ブランカの領都ウィルライトと赤の領地ロホの領都フェイエラルとを繋ぐ街道を遙か西にはずれたところにあり、比べれば通行量も遥かに少ない。

 それでも白の領地ブランカから赤の領地ロホの南部を直接繋ぐ街道のため、緑の季節には季節労働者たちで賑わい、白の季節には作物の買い付けで行き交う商人たちで賑わう。


 そして今はちょうど白の季節。

 年中を通して気温が高い赤の領地ロホは、西の白の領地ブランカや北の青の領地アスールに比べて収穫期が長く、赤の季節の終わり頃から青の季節が始まる頃まで続く。

 つまり今は収穫期真っ只中。

 荷馬車の数が増える分二つの領都を繋ぐ街道と同じくらい賑わう頃で、これまでノエルが暮らしてきた村とは比べるべくもない人が集まっている。

 その賑わいに怯えるノエルを見て、アーガンはそれまでの陽気な声を潜める。


「大丈夫だ。

 帽子を被って髪を隠していれば誰もお前には気づかない」


 村人たちも 「いつも帽子を被って髪を隠しているから気にならない」 と言っていた。

 そのことを思い出してノエルに教えてやったのである。


「ぼうし、かぶってたらごはん、たべられる?」

「ああ、大丈夫だ。

 食いに行こう」

「いく」


 珍しく迷いのない返事をするノエルに、アーガンは真っ白く丈夫な歯を見せるようにニカッと笑う。


「俺は約束を守るからな」


 一行は馬を駅に預けに行く三人と、先に食堂に向かう三人の二手に分かれる。

 もちろんアーガンとノエル、それにセルジュが先に食堂に向かう三人である。

 アーガンとセルジュの二人だけならよかったが、ノエルも一緒ならイエルかファウスのどちらかも一緒に……という話になったが、セスが 「俺、一人で二頭は見られない」 と言ったため、イエルとファウスが二頭ずつ引き受けることになり、三人ずつで二手に分かれることになったのである。


「お前……公子の乗馬を下手くそとか言っていたくせに、自分だってまだまだじゃないか」

「だってさぁ……」


 からかうように言うイエルにセスが口を尖らせる。

 三人の直接の上司はアーガンなので、セルジュはそんなやりとりも他人事とばかりに知らん顔。

 口は挟まないが決定には従うし、特に話し合いを急かすこともせず。

 ノエルはそのそばで大人たちが話し合う様子をぼんやりと眺めていた。


 適当に入った宿は、荷造りなど早朝の一仕事を終えたところだろうか。

 入ってすぐにある食堂は多くの客で賑わっていた。

 しかもこの町に寄る隊商や旅人のほとんどは、ただの隊商でもなければただの旅人でもない。

 危険な領地境りょうちざかいを越えるため普通の隊商より用心棒の数も多く、普通の用心棒より力自慢の荒くれが多い。

 しかも普通の酔っ払いよりたちが悪いのは、酒が入っていなくてもすぐに手を出すこととその腕力だ。

 だから喧嘩なんて起こった日には被害甚大。

 巻き込まれでもすればノエルなんて一溜まりもないだろう。


 そんな客たちのあいだを縫うように、少し大柄な宿屋のおかみが注文を取りに来る。

 あとから来る三人分も合わせて注文すると、三人が追いつくタイミングで、やはり宿屋のおかみが食事六人分を一度に運んできた。


「あー腹減った」


 そう言って真っ先に食べ始めるセスは真っ先に食べ終わり、少しの量をゆっくり食べるノエルの器に目を付ける。


「お前、食わないんだったらそれくれよ」


 言っているそばから手を出すセスだったが、容赦ないアーガンの手刀がセスの手に落ちる。

 目に止まらぬ早さで決着がついた攻防戦にノエルが気がついたのは、容赦ない力で打ち付けられた手の痛みにセスが上げた悲鳴を聞いてから。


「ごはん……とらないで」

「大丈夫だ、それはお前のだ。

 食べきられなければ残していい」


 アーガンの言葉にセスが 「どうせ残すんだったら……」 と懲りない発言をしたところ、今度はセスの隣にすわるイエルがその頭に拳骨を落とす。


「お前、本当にいい加減にしろよ」

「だってそいつ、下働きだろ?

 ちっせぇし。

 残り物で十分じゃん」

「お前……!」


 見せ所を間違えている不屈の根性に呆れ果て、もう一つ拳骨を落とすイエルの反対側ではファウスが大きな溜息を吐いている。

 ノエルが一行の下働きというのはあくまでも設定であり、出立前の挨拶の時にアーガンがそう紹介したのだが、まさかセスが真に受けるとは思わなかったに違いない。

 あるいはわかっていて悪ふざけをしているのか。


 白の領地ブランカでは、種まきが終わる緑の季節の終わり頃に成人の儀が行われる。

 その年の豊作を祈る新緑節に続く年間行事の一つで、セスは今年の成人の儀を受けたというからもう十六歳。

 来年には十七歳になるというのに、いつまでもこの調子では困ったものである。

 今後、食事時はノエルとセスを離してすわらせるということで話をつけ、食事を終えた一行はまだまだ賑わう食堂を出る。


 食堂以上に賑わう町中で一行が二手に分かれたのは、イエルとセスで、領地境を越えたあとに摂る昼食を調達するため。

 明日の予定に合わせて今日は早く宿をとるが、そのために昼食は道中で摂ることになる。

 その買い出しに行ったのである。


 そしてもう一方は先程の三人にファウスを加えた四人で古着屋を訪れていた。

 あまりにもノエルの着ている古着は大きく、随分とくたびれている。

 履いている靴までサイズが合っていなかったから、古着屋でサイズを合わせた服と靴を買い求めることにしたのである。


「おかね……」


 村から出たこともなければ買い物もしたことのないノエルだけど、買い物にはお金が必要であることは母や姉たちの話を聞いて知っており、半銅貨の一枚も持っていないノエルは、所狭しと並べられた古着を前に目を回しそうになる。

 すぐさま代わりにアーガンが慣れた調子で店主と交渉を開始する。


 そもそも子どもを連れて旅をすること自体危険なのに、女児など問題外。

 そこでセルジュを商家の若旦那に見立て、アーガンたちはその護衛。

 ノエルをセルジュの身の回りの世話をする下働きの男児という設定を組んだのである。

 だから当然買い求める古着も男児の服。

 日数的に二、三着あれば十分だろう。

 さすがに肌着だけは女児のものになったが、他にはいま穿いているものよりも丈夫な長靴と携帯用の毛布、それに風雨除けのマントを購入する。

 支払いの段になって不安で不安でたまらないノエルだが、時間がもったいないからと、交渉ついでにアーガンが店主に頼んで借りた奥の部屋に追い立てられ、購入したばかりの古着に着替えるよう言われる。

 どうやら支払いはそのあいだに済まされてしまったらしい。


 赤の季節は特に暑さが厳しい赤の領地ロホ

 赤の季節用の服は風通しがいいように、襟ぐりや袖口、裾が広く、全体的にゆったりと作られている。

 生地も汗を吸収しやすく、乾きやすい物が用いられる。


 だがアーガンがノエルのために選んだ古着は少しもゆったりしておらず、襟ぐりも袖口も広くない。

 特に襟の締まった感じにノエルは違和感を覚える。

 ほっそりとした首回りには十分すぎるほど余裕があるのだが、首回りに触れる物があるという感覚に違和感があるのだ。

 生地も赤の領地ロホで使われる物ほど風通しはよくなく、狭く汚い部屋で着替えているせいもあってか、少し暑く感じられるほど。

 帽子だけはそのままに着替え終えたノエルが着心地や肌触りの違和感にモゾモゾしているのを見て、アーガンは歩きながら説明してやる。


「それは赤の領地ロホの服ではなく白の領地ブランカの服だ。

 今は少し暑いかもしれんが……」


 せめて襟を緩めて……と言いかけてアーガンはやめた。

 おそらくごっそりと浮いた鎖骨が見えてしまうだろう。

 アーガンのせいではないけれど、元来がお人好しの性格である。

 自分のせいではないとわかっていてもそれを見れば申し訳なくなり、また情けなくもなり、怒りを覚える。

 そんな自分を抑えるために、ノエルには悪いと思いつつ言い掛けた言葉を飲み込む。


 白の領地ブランカにも赤の季節はあり、赤の領地ロホほどではないけれど暑い。

 だが季節は一つ移り、白の季節に入って一番目の月が半分ほど過ぎようとしていても、赤の領地ロホの日中はまだかなりの暑さが続いているが、領地境の向こう側にある白の領地ブランカでは年中を通して吹く風は熱を失いはじめ、森や林はすっかり色づいている。

 多くの田畑も黄金色に色づいて収穫期を迎え、明らかに白の季節が始まっていた。


 そんな白の領地ブランカから来たアーガンたちは、用を済ませればすぐに戻る予定だったため衣類はそのまま。

 そのためセルジュはしきりに暑い暑いといっていたわけだが、羽織ったマントの下で襟を緩めるなどしてなんとか体温を調整している。

 それでも暑いものは暑いのだが、アーガンたちは日頃から肉体と共に忍耐力も鍛えられており、体力も有り余っており耐えられる。

 そういう意味では鍛えていないセルジュがしきりに 「暑い」 を連呼していたのも無理はないだろう。


 赤の領地ロホで生まれ育ったノエルは暑さに慣れているためか、あの狭い部屋を出れば、白の領地ブランカの服を着てもそれほど暑いとは思わなかったのだが、どうしても首回りが気になって仕方がない。

 何気なく襟を引っ張って伸ばそうとして、アーガンを慌てさせてしまった。


 このあと金物屋に寄るとノエルのための水筒を買い求める。

 さすがに子ども用の水筒はなかったが、水は足りなくなるより余るほうがいいに決まっている。

 だからアーガンたちと同じ大人用の水筒で十分。

 ただしっかり者のファウスが、水漏れがないかをその場で調べて店主の機嫌を損ねてしまった。



【ノエルの呟き】

「ごはん、たべられた、よかった。

 アーガンさま、やくそくっていってた。

 ……………………

 つぎのごはん、たべられる」

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