13 目的

 ノエルの空腹感はとっくに失われていたけれど、食事は食べられる時に食べなければ、次はいつ食べられるかわからない。

 だから食欲がなくても食べられる時は食べる。

 そうして口にしたスープはいつものように味はしなかった。

 しかも与えられたスープが多すぎて食べきられない。

 でも残したら怒られるのではないか。

 そう考えると、折角今日のご飯にありつけたけれど恐ろしくなって、余計に食が進まなくなる。


 けれどその表情をぼんやりしていると勘違いした周囲の男たちは、食べられないなら残しても怒らないという。

 それを聞いて安心したノエルは、残したスープを明日の朝ご飯にしようと考えた。

 きっとそれでもまだ残るから、晩ご飯も食べられる。

 あるいはもう一日分もあるかもしれない。

 そんなことを考えて安心したのも束の間、今度はどうやって持ち運べばいいかわからない。

 こうやって持っていられるのならいいけれど、そうすると水汲みに行けないし、掃除も洗濯も出来ない。

 どこかこぼれない場所に置かないと……と思ったところで、頭上から声が掛けられる。

 一番背が高く大きな男が、ノエルが手にした器を指さしていう。


「それは駄目だ。

 明日の飯は明日、用意してやる。

 だからそれは駄目だ。

 わかったな?」


 それはノエルにとって信用出来ない言葉である。

 いつも姉や弟の食事は用意されるけれど、ノエルの分は必ずあるとは限らないから。

 せっかく明日は朝ご飯も夜ご飯も食べられると思って安心したノエルは、男の 「駄目だ」 という言葉に悲しくなって、辛くなって、無意識のうちに 「ごはん……」 と呟いてしまう。

 直後、その男がなにか言いだしたと思ったら、また三人でなにか話し出す。

 なにを話しているのかよくわからなかったけれど、一番大きな男が怒っていたのはわかったから怖かった。


「とりあえず、これは片付けましょう」


 不意に傍らにすわる男がノエルの器に手を伸ばしてくる。

 取り上げられると思ったノエルはほんの一瞬抵抗しようとしたけれど、無駄なことは知っている。

 そんなことをしたら次の瞬間には殴り飛ばされるのだ。

 けれど不思議なことに、おとなしくスープがなみなみと残る器を渡したら、空のコップを渡される。

 もちろん傍らの男にである。

 意味がわからず両手に受け取ったノエルが男を見上げると、男はなにも言わず水差しの水をノエルが持ったコップに三分の二ほど注ぐ。


「おみず……」

「飲んでいいですよ」


 傍らの男に言われるまま飲むと、三分の一ほどに減った水を、男はまた水差しの水を注ぎ、コップの中の水を三分の二ほどに戻す。


「好きなだけ飲んでいいですよ」


 食事に続き水も飲めて少し落ち着いたのか、「おみず……」 と呟くノエルの表情が少し和らぐのを見て、頭上の男と傍らの男はホッと息を吐く。

 けれどやはり床にすわらせたままというのは話しづらいのだろう。

 不意に体が浮いたと思ったら再び寝台の上に座らされる。

 どうやら頭上の男に持ち上げられたらしい。


「少し話がある、おとなしくここにすわっていろ。

 水は好きな時に飲んでいい」

「俺は片付けてきます」


 傍らに跪いていた男が不意に立ち上がり、二人分の器を載せたトレイを手に部屋を出ていこうとするが、戸口で外にいる誰かと話すと、トレイだけを渡して戻ってくる。

 その顔を見て、ノエルの隣にすわる一番の大男が少し笑う。


「どうした?」

「代わってもらおうと思ったんですが……」

「ああ、ファウスに思惑がバレて断られたか」


 今度は立っている男が力なく笑う。


「諦めて給仕でもやってるんだな」

「席、外さなくてよろしいんですか?」

「セスには黙っていろよ。

 あれは口が軽そうだ」


 少し不満そうではあったけれど、長身の男は天井を仰いで大きく息を吐くと 「では給水係を務めさせていたきます」 と答えると、なりきるつもりなのか。

 少しだけ笑うと、一度は床に置いた水差しを両手に持ってノエルの傍らに立つ。

 そうして話が一段落付くのを待って、今度はノエルの向かいにすわる男がノエルに向かって話し始める。


「まず、わたしはセルジュ・アスウェルという」


 赤の領地ロホでは、まず見ることのない薄い金色の髪に明るい緑色の瞳をした、綺麗な顔立ちの青年である。

 続いてノエルの隣にすわる一番の大男を紹介する。


「隣にすわっているのはわたしの古くからの友人で、アーガン・リンデルト。

 そっちに立っているのはアーガンの部下で、イエル・エデエだ」

「ぶか……」


 言葉の意味はわからなかったけれど、ノエルが口の中で反芻しながらイエルを見上げると、彼は片手を胸のあたりにあて、少し仰々しくお辞儀をしてみせる。


「イエル・エデエと申します」

「お前はなにもしなくても女が寄ってくるんだから、余計なことをするな」

「挨拶は大事ですよ。

 隊長だってモテるくせに、なに言ってるんですか」


 少しからかうようにイエルがいうと、アーガンは 「はぁ~?」 と眉間に皺を寄せる。

 だがそんな彼が言い返すより早く、セルジュが低い声で 「話を続けてもいいか?」 と割り込む。


「お? 悪い」

「失礼しました、公子」


「ぶか」 に続く謎の言葉 「こうし」 を口の中で呟くノエルだが、セルジュは気にすることなく話を続ける。


「同行者は他に二名いるが、そちらは明日の朝にでも紹介しよう。

 まずは、アーガンが随分と手荒なことをしたようで申し訳なかった。

 代わりにお詫びする」


 すわったままの状態で頭を下げるセルジュにノエルは首を横に振るが、これは 「謝罪の意味がわからない」 という意味。

 だがセルジュはノエルが謝罪を受け入れたと解釈して話を続ける。

 見事にすれ違っているが、どちらにとっても不都合はないのでかまわないだろう。


「わたしたちは白の領地ブランカから、ある方の使いでそなたを迎えに来た」

白の領地ブランカ……やまのむこう……?」


 ノエルが生まれ育った村に迫る山裾。

 その向こうにそびえる山の向こう側が白の領地ブランカであることも、山が領地境りょうちざかいであるため越えることが出来ないことも、家族や村人たちの話に聞き耳を立てて得た知識としてノエルも知っている。

 けれどその向こう側にある白の領地ブランカのことはわからない。

 領地境がどういったところなのかも。


「わたしたちが来たのはもっと北だが、そこである方がそなたを待っている。

 詳細は明かせないが、そなたの父君クラウス殿のお知り合いだ」


 一度は断定しながらも、セルジュはすぐに 「いや」 と否定する。

 どうやら律儀な性格らしく、その情報は正しくないと思ったのだろう。


「お二人のあいだに直接の面識はないが、クラウス殿に頼まれてそなたを預かることにしたらしい」


 ここまでを理解出来たか確認するセルジュに、ノエルは少し間を置いて 「ハウゼンさま」 と尋ねる。

 母親エビラや姉弟たち同様、ノエルも父が白の領地ブランカの貴族ハウゼン家の息子であることは知っている。

 だから白の領地ブランカにいる父親の知り合いと聞いてハウゼン家を思い出したのだが、セルジュは違うという。

 首を傾げて考えたノエルは、今度はセルジュの、淡い金色の髪を不思議そうに眺めながら尋ねる。


白の領地ブランカのひと」

「そうだ」

しょうかん・・・・・にいくの?」


 ハウゼン家のことを思い出したノエルは、続いて生前の父が見慣れぬ男と話していたことを思い出し、自分が父に売られたのではないかと考えながら尋ねてみる。

 だが見た目が五歳前後の子どもの口から出てくるとは思わなかった言葉に、隣で聞いていたアーガンは 「なにを……」 と言葉を失う。

 もちろんセルジュも、出てくるとは思わなかった意外な言葉に驚きはしたけれど、アーガンのようにその驚きを表面に出すことなく、まずは否定から始める。


「違う」


 そうして自分を落ち着かせてから話を続ける。


「どうして娼館だと思う?」

「おとうさん、おとこのひと、はなしてた」


 まさかノエルが盗み聞きしていたとは思わなかったアーガンは 「子どもの前でなんて話を」 と呆れ半分に怒るけれど、セルジュは冷静にノエルを観察し続ける。


「娼館がどういうところか知っているのか?」


 アーガンには 「おい、セルジュ!」 と咎められたけれど、気にする様子のないセルジュはノエルが首を横に振るのを見て話を続ける。


「そうか。

 わたしたちがそなたを連れて行くのは娼館ではない。

 先程も言ったが、そなたを引き取って下さる方の詳細は明かせない。

 いずれわかることだが、直接会ってから自分で訊けばいい。

 行き先も娼館ではなくその方の屋敷だ」

「やしき」


 また出て来た初めて聞く言葉をノエルは小さく繰り返す。


「明日の朝、そなたの支度を調え、昼には領地境を越えて白の領地ブランカに入る。

 一度白の領地ブランカに入れば、おそらく二度と赤の領地ロホには戻れない。

 そなたはわたしたちと同じく、白の領地ブランカの民として一生を終えることになる。

 二度と母親や姉弟たちとは会えないだろう」


 それを告げずに連れて行くことも出来た。

 幼い頃からセルジュを知るアーガンですら、彼がなにを思い、あえてそれを尋ねるのかはわからない。

 わからないけれど黙ってことの成り行きを見守る。

 あるいはノエルに覚悟をさせたかったのかもしれない。

 けれど彼女にとって、それは迷う必要のないことだった。


「おかあさん、おこってる、こわい。

 ごはん、たべられない。

 たくさん、たたかれる。

 いたい……いっぱい、いたい、いや」


 ノエルは今日一日なにもしなかった。

 朝の水汲みも竈の掃除も、家の掃除も家族の洗濯も。

 きっと家に帰ったらエビラに厳しく叱られるだろう。

 彼女の気が済むまで殴られるだろう。

 そして何日も食事を抜かれるのだ。

 それはノエルにとってとても怖く、とても辛いことで、たどたどしい言葉で、必死にその恐怖と辛さを訴える。


 恐怖に心を支配されるノエルの、小さな両手に握りしめられるコップの中で水が不規則な波紋を描く。

 その傍らに立つイエルもまた、それを横目に見ながらことの成り行きを黙って見守る。


「ではこのまま、わたしたちと来るがいい。

 だが覚えておけ、わたしたちは連れて行くだけだ。

 目的地でそなたは依頼主に引き渡す。

 あとは依頼主に聞くといい」

「ごはん、たべられる」


 縋るようなノエルの問い掛けに、問われたセルジュがなにか答えるより早く、たまりかねたアーガンが口を開く。


「大丈夫だ、食える。

 もし食わせてもらえなければ俺が食わせてやる。

 寝床も用意しよう。

 着る物もちゃんと用意してやる。

 俺にもそのぐらいの稼ぎはあるから安心していい」

「……たべられるならいい」


 驚くほど細い食をしているのに食べることに執心するノエル。

 その理由を考えてたまらなくなるアーガンだが、改めてセルジュに釘を刺される。


「アーガン、このお人好しめ。

 先程も言ったが改めて言ってやる。

 情を移すな、手懐けるな」

「だが……」

「心配しなくていい。

 仮にも同じ直系だ、粗雑に扱うことはしないだろう

 これは二つと無い貴重品でもあるらしいからな」

「お前、子どもをそんな物のように。

 それに……閣下に子どもの世話はさすがに無理だろう」

「あれに育てられたらろくな人間にならぬだろうな。

 あいつが世話をすることはないが、側仕えが世話をするから心配はない」

「お前が言うな」

「とにかく、お前は余計なことをするな」


 最後に 「いいな?」 と念押しをしたセルジュは、改めてノエルを見ると、話を戻して続ける。


「目的地は少し遠いが、道中はそこにいるイエルたちが世話をするから心配しなくていい。

 食事はわたしたちと同じ物を用意する。

 まずは明日、朝のうちにそなたの身支度を調える。

 そうだな……男の格好というのは都合がいい。

 だがもう少しましな格好をして貰う。

 必要な物を揃えたらすぐ出立するから今夜はもう寝ろ。

 そちらの寝台を使うといい」


 一応相手が子どもということはわかっているらしいセルジュは、面倒くさがらず、いちいちをゆっくりと話して聞かせる。

 彼が言うそちらとは、いま、ノエルとアーガンが掛けている寝台のことである。

 するとアーガンが困ったように言う。


「俺に床で寝ろと?」

「わたしの寝台を半分貸してやる」

「お前と一緒に寝るのはいつ以来だ?」


 少し嬉しそうに腰を上げるアーガンだが、一方のセルジュは迷惑そうであり、うるさそうであり。


「わたしを蹴落としたらただでは済まないからな」

「懐かしいなぁ、子どもの頃はよく一緒に寝たじゃないか」


 いい歳をした青年二人のじゃれあいをよそに、傍らに立つイエルがノエルの手からコップを預かると、窓辺に置き 「ここに置いておきますから、いつ飲んでもいいですからね」 と話し掛ける。

 それに大きく頷いたノエルはセルジュに言われるまま休むことにし、アーガンが立ち上がって空いた寝台の上をもそもそと這うように移動。

 そして毛布の中に潜り込み、丸くなる。

 ノエルが鞄を掛けたままであることに気がついたイエルが下ろすようにいうが、どうやら毛布の中でも鞄を抱えているらしい。


「イエル」


 呼び掛けながら首を横に振るアーガンを見て、イエルは 「よろしいのですか?」 と尋ねるが、アーガンは 「かまわない」 と返す。

 それこそ鞄の中に危険な物が入っていたとしても、ノエルの力でアーガンたちに危害を加えるのは難しいだろう、と。

 そもそも身を守るためにナイフの一本でも持っていれば、とっくの昔に取り出しているはず。

 最初、あれだけ警戒していたのだから。

 それでも出さなかったということは持っていないと考えていいだろう。


 それよりも緊張や警戒して寝付けないのではないかとアーガンたちは心配するけれど、毛布にくるまって数秒後には寝息を立て始めたのには三人ともに拍子抜けしてしまった。



【イエル・エデエの呟き】

「事情はわからないが、この子はクラウス様の娘。

 だが……もしファウスが神殿で聞いたクラウス様の噂が本当だったら、この子は……」

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