12 袋の外

 突然ひらけた視界には、とても背の高い男が二人そびえ立っていた。

 事実二人はとても背が高く、ノエルの目にはまさにそびえ立つように映ったのである。

 けれど誰? ……とは問わない。

 家の中に隠れるように暮らしてきたノエルは、家族や親族以外に知っている村人はほんの数人だけ。

 ほとんど知らない人ばかりなので、尋ねたところでわからないのである。

 すでに空腹感は失われているけれど、眠気と喉の渇きにぼんやりしながら周囲を見回していると、そびえ立つ一人が声を上げる。


「……これがノワール・マイエルだと?」


 その声の大きさに、反射的に体が強ばる。

 そしてこの時になって帽子が脱げていることに気がつき、慌てて拾い上げて髪を押し込むと、怒られるのが怖くて逃げ出した。


 直前にぼんやりと部屋を見渡していて扉がどこにあるかは知っていたけれど、そこには三人目がそびえ立っていて外に出られそうにない。

 だから鞄を抱えて部屋の隅に逃げ込むと、壁を背に身を小さくする。


 決してノエルの動きは速くない。

 捕まえようとすれば簡単に捕まえられたはずだし、呼び止める声が聞こえたような気はしたけれど捕まえられることはなかった。

 けれど逃げられたとは言えない状況に身を小さくして怯えていると、三人のあいだで短い会話が交わされ、やがて戸口にいた男がいなくなった。


(おみず……ほしい……)


 三人のあいだで交わされた短い会話の中、聞き取れた 「水も頼む」 という言葉。

 反射的に喉から出掛かる言葉をぐっと堪える。

 一人はどこかに行ってしまったが、残った二人は母親よりずっと大きい。

 きっと叩かれたら母親に叩かれるより痛いに違いない。

 男の人だから、ひょっとしたら蹴られるかもしれない。

 それはきっと、叩かれるよりずっともっと痛い。

 そう思うだけで全身が恐怖に支配され、強ばる。


 体を小さく小さくして、深く被った帽子の下から上目遣いに男たちを見ていたけれど、奇妙なことに男たちはノエルを殴らなかった。

 それどころか片方が 「とりあえず話を聞こう」 と促すともう一方もそれに応じ、まるでノエルに興味を失ったように、並んだ寝台にそれぞれ腰を下ろして話し始めたのである。


(たたかれない?)


 怖くて声に出して訊くことが出来ず、じっと男たちの話に聞き耳を立てる。

 どうやらつい先程のことやノエルのことを話しているらしい。


 ノエルがエビラの家からいなくなったのはユマーズが連れ出たからだが、その理由やユマーズの目的はわからない。

 アモラという村男がノエルを匿っていたのは、自分の息子の嫁にするためだった。

 そんなことを簡潔に話していた。


「……確かに黒髪だったな」


 少しわかりにくいところもあったが、極めてシンプルにまとめられたアーガンの話を聞き終えたセルジュは小さく息を吐くと、チラリと部屋の隅にうずくまっているノエルを見る。

 ノエルのほうも上目遣いに二人の様子を見ていたから、その黒々とした目とセルジュの緑色の目が合った瞬間、目で見てわかるほどにノエルの体がビクリと強ばる。

 それがセルジュの溜息を誘う。


「……しかし出立前の話では九歳だと聞いていたが、どう見ても……」


 言い掛けたセルジュは無意識のうちにノエルを見ようとする自分の視線に気づき、わざと逸らせるために反対方向を見る。


「満足に食事を与えられていないらしい」

「なぜそんなことを?」

「あのエビラとかいう女に訊いてくれ。

 だが村の連中がそう言っていた」


 セルジュを先に帰したあと、アーガンが一人で聞き込んでいた時の話である。

 そのふて腐れた様子と、今朝のエビラ家でのことを思い出したのか、セルジュもだいたいの見当をつけるとまた溜息を小さく一つ。


「……確かに珍しいが、髪が黒いというのは平民にとってそんなに不吉なことなのか?

 それとも赤の領地ロホではそういう謂われのようなものでも?」

「どちらも聞いたことはない。

 それよりセルジュ、お前、俺に隠していたことがあるだろう?」

「隠していたこと?」


 藪から棒に……と、言わんばかりのセルジュだが、真っ直ぐに自分を見返してくるアーガンの視線に 「ああ」 と声を漏らす。


「脳筋のくせに、よくもそこまで考えついたものだ」

「俺だって気づきたくはなかった。

 だが……」

「すでに断は下されていた。

 思考する筋肉は必要ない。

 どんなに帰還を切望されても、白の領地ブランカにあの方の戻る場所はない。

 それどころかクラカライン家は、あの方の存在をどうあっても絶たねばならぬ禍根とみなした。

 結果として、わたしたちがなにかする必要はなかったわけだが」

「それは確かにそうだが……」


 歯切れ悪くなりながらも文句を言い続けようとするアーガンに、セルジュは淡々と続ける。


「安心しろ、労せず自分の手柄にするつもりはない。

 ありのままを報告する」

「そこは心配していない。

 何年の付き合いだと思っているんだ」


 苦笑いを浮かべるアーガンに、セルジュは鼻でふんっと笑う。


「お前こそ人さらいのような真似をして。

 子ども相手に手荒なことをするなど、らしくない」


 らしくないことをしたのはアーガンが一番よくわかっている。

 その結果が部屋の隅で怯えるノエルの姿だと思うと良心が痛む。

 本当は違うし、アーガンも違うとわかっている。

 けれど自分のせいのような気がして良心が咎めるアーガンは、それを誤魔化すように、ほんの少し申し訳なさそうな顔をしながら 「それについてだが……」 と歯切れ悪く切り出したのは、セルジュが言うところの 「人さらいのような真似」 をするためにかかった経費についてである。


「人さらいどころか人買いだったか」


 話を聞いて人さらいよりたちが悪いと呆れるセルジュだが、アーガンにしてみれば穏便に済ませるための必要経費。

 苦笑いを浮かべながらも 「そんな言い方するなよ」 と食下がる。


「金貨三枚……これ・・の価値を思えば安いか」

「お前もそういうところな。

 俺のことばかり言うな」

「いいだろう、わたしが払っておく」

「助かる」


 そうして二人が金のやりとりをしているところに、なぜかファウスではなくイエルが木製のトレイを片手に部屋に入ってきた。

 トレイの上には湯気の上るスープの入った皿が二つと、匙と空のコップ。

 そしてイエルのもう一方の手には水差しがある。

 両手が塞がっているイエルのために扉を開け、彼の背中で閉めた手は、セスではなくおそらくファウスのものだろう。


「遅くなりました。

 喧嘩が始まってしまいまして」


 どうやら食堂で酔っ払いが暴れ出したらしい。

 そのこと自体は珍しいことでもない。

 むしろ酒場や宿の食堂ではよくあることだ。

 だがおかげで用意に時間が掛かってしまったというイエルは、騒ぎに巻き込まれそうになりながらも自身の食事を済ませ、髪一筋乱さず麗しい顔に余裕の笑顔を浮かべて登場する。

 しかし出迎えたアーガンが気にしたのは他のことである。


「ファウスはどうした?」

「外に。

 俺が戻ったら交代してもらえると思っていたらしく、セスが拗ねだしまして」


 それでファウスは頼まれた食事の用意を一階の食堂にいたイエルに頼み、自分は二階に戻ってセスと交代して部屋の外で立ち番をしているらしい。

 肝心のセスは 「もう足が棒」 などとぼやきながら、隣にある自分たち用の部屋で休んでいるという。

 面倒臭い……と話しながら肩をすくめて見せるイエルだったが、直後、部屋の隅でうずくまっているノエルの姿が視界に入ったらしい。

 不意にその麗しい顔にギョッとした表情を浮かべると、恐る恐るアーガンに尋ねる。


「……隊長?」


 部屋にいるのはアーガンとセルジュの二人だけだと思っていたから、イエルが驚くのは無理もないだろう。

 そもそも彼らは、今回の任務をセルジュ・アスウェルの護衛としか聞いていない。

 道中、アーガンとセルジュが交わす会話を漏れ聞いたところから、セルジュは誰かと会うことが目的だったが、目的地に着いてみればその相手は亡くなっていた。

 ならばこれで任務はほぼ終了かと思えば、今度は人探しを始めたのである。


 そして先程、アーガンが担いで持ち帰った麻袋。

 大きさのわりに随分と軽そうだったが、この部屋にはいないはずの子どもの姿を見て、あの麻袋の中身がなんであったかにイエルも気づく。

 その怯える様子を見て無遠慮に疑いの目を向けると、アーガンは 「何を考えている? 誤解するな」 などと言い訳を並べ始めるが、ふと思い出したように話を変えてきた。


「そういやお前、妹がいたな?」


 顔を見てイエルの家族構成を思い出したらしい。

 なにを言い出すのか? ……と言わんばかりの顔のイエルも 「いますが……」 と歯切れ悪く返す。

 その眼前にずいっと顔を近づけて迫るアーガン。


あれ・・はどうしたらいい?」


 あれ・・とはもちろん部屋の片隅で震えている子どものことである。

 改めてその姿を確かめるイエルは困惑を隠せない。

 確かにイエルには妹がいるがすでに成人している。

 部屋の隅で震えている五、六歳くらいの子どもとは全く違う。

 それこそ全く別の生物だというイエルだが、アーガンは 「そこをなんとかしてくれ」 と縋ってくる。


「なんとかと言われましても……」


 困り果てながらも改めて子どもを見たイエルは、「う~ん」 と唸って考える。

 そもそも麻袋の中身が子どもであったこと自体イエルの推測にすぎず、本当のことを知らない。

 だから子どもが何者なのかはもちろん、どうしてここにいるのかもわからない。

 そのことにも困惑していたが、わかっていることもある。

 自分が持っている食事の一食が子どもの分であること、だ。


 馬小屋で馬を休ませてから戻ってきたイエルは、ファウスたち三人はすでに食事を済ませていることを聞き、断わりを入れてから一人食堂で自分の食事を摂っていた。

 そこに酔っぱらい同士の喧嘩が始まって騒然としている中、ファウスがアーガンに頼まれて二人分の食事を取りに来たのである。

 なぜ二人分なのか? ……とその時は思ったけれど、早々に食事を済ませて二階に戻ってみれば子どもがいたというわけである。

自分の他にまだ食事を摂っていないのはアーガンだけだったから、必然的に残るもう一食は子どもの分ということになった。


 あまりにもアーガンが 「早くしろ」 とせっつくものだから、手に持っていたトレイと水差しを半ば強引にアーガンに預けたイエルは、大股に進むと子どものすぐ前に立って屈み、その脇に手を差し込むように抱え上げる。

 その軽さと自分を見る怯えた表情に苦笑いを浮かべたのも一瞬、すぐにあることに気づく。


「捕まえた。

 ……れ? ひょっとして、女の子ですか?」

「女の子だよ、見てわからんか?」

「この格好ではさすがに……」


 ほんの五、六歳の子どもである。

 男児の格好をして長い髪を帽子で隠しているので男児に見えてしまうのは仕方がない。

 けれどアーガンは 「なにを言う」 と抗議する。

 そればかりか 「将来は美人になるぞ」 などと褒めそやすその隣に、イエルは抱え上げたまま運んできた子どもをすわらせる。

 続いてアーガンが寝台に腰を下ろそうとした矢先、なにを思ったのか、尻を滑らせるように寝台から落ちた子どもはぺたりと床に座りこみ、やはり鞄を抱えるように身を小さくする。

 それを見たイエルは一瞬呆気にとられるが、すぐに再び抱え上げようとしたところでアーガンに止められる。


「いや、このままでいい」


 そう言ってすぐ横で寝台に腰掛けるのを見て、イエルはその手にあるトレイからスープの入った器の一つを手にとって子どもに差し出す。


「どうぞ」

「……ごはん、たべられる」

「ええ、これはあなたの食事です」


 掛けられるイエルの静かな声。

 そしてすぐ隣、頭上で一足先に食事を始めるアーガンを見て、子どもは恐る恐るイエルの手から器を受け取って匙でゆっくりとすくい始める。

 アーガンにそのまま世話をしていろといわれたイエルは、床にすわったまま食事を摂る子ども、ノエルの傍らで片膝をついてその様子を見守る。

 もう一つの寝台に腰掛けるセルジュも同じようにノエルの様子を見ていたけれど、その緑色の目は 「見守る」 ではなく、明らかに 「観察」 していた。

 冷ややかに、冷静に……。


 そもそもが床に座りこんでいるのだから、マナーもなにもないのといってしまえばそれまで。

 それでも匙の握り方や運び方、音を立ててすすらない……など、じっくりと観察する。

 アーガンは 「満足に食事も与えられていない」 と話していた。

 しかもノエルにとってはこれが一日ぶりの食事であるにもかかわらず、浅ましくがっつくこともない。

 少しずつ、少しずつ、匙にすくってはゆっくりと飲み干す。


(……悪くはない)


 クラウス・ハウゼンの躾なのか。

 あるいはエビラ・マイエルの躾なのか。

 作法とはまるで縁の無い平民……少なくともセルジュはそう思っているのだが、その平民にしては悪くないと思った。

 だがノエルが異質さの本領を発揮するのはここからである。

 イエルとセルジュ、二人の視線の先で食事をしていたノエルだったが、すぐに終わってしまったのである。


「……もう食べないんですか?」


 膝の上に置いた鞄。

 その鞄の上に置いた器に片手を沿え、もう一方の手に握った匙を器の中に差し入れたままぼんやりとしているノエルに、イエルが恐る恐る声を掛けてみる。

 もちろん上辺は平静を装い、努めて明るく。

 だが再び自分を見るノエルが怯えていることに気づいて驚く。


(俺、なにか悪いこと言ったかっ?)


 助けを求めるようにアーガンを見上げると、こちらは驚くべき早さで食事を終え、上からノエルの様子を見ていたらしい。


「腹が一杯なら無理に食わなくていいぞ。

 残しても怒らない」

「……おこられない」


 なぜかアーガンではなくイエルに尋ねるノエルに、イエルは少し困ったように、だが 「怒りません」 と返す。

 他に返す言葉がない。

 初めて与えられる器一杯のスープに、とても食べきられないと戦々恐々していたノエルはようやく安堵する。

 残さず食べないと怒られると思っていたからである。

 けれどすぐ別のことに気づいて戸惑う。

 彼女なりにその小さな頭で考えたことなのだが……


「あした、たべられる」

「もちろん食べられます」


 穏やかなイエルの返事を聞いて安堵するノエルは、手元にある器のスープを見る。

 こんなに沢山あれば明日も食べられるだろう。

 そう考えてホッとしたのだが、今度はその小さな頭でどこに置いておけばいいだろうと考え出す。


 少なくともノエルの目に穏やかに見えるイエルもまた、その内心で引き攣りそうなほど焦りながら考えていた。

 元々がわからないことだらではあるが、ある程度は想定内。

 護衛という役目には必要のない情報と割り切ってしまえばいいのだが、さすがにここまで来ると割り切れなくなる。


(だって食わなすぎだろ?

 これは食が細いとかそういうものでは……)


 もちろんそれは見ていたアーガンやセルジュも……いや、セルジュは思わなかったかもしれない。

 けれど少なくともアーガンはイエルと同じことを思っただけでなく、ノエルの言葉の意味に気がついて 「待て」 と声を上げる。

 そして慌てて見上げてくるノエルに、言い聞かせるようにゆっくりと話す。


「それは駄目だ。

 明日の飯は明日用意してやる。

 だからそれは駄目だ。

 わかったな?」


 おそらく 「駄目」 という言葉に反応したのだろう。

 悲しそうな顔をして 「ごはん……」 と呟くのを見て、アーガンは言いようのない怒りを覚える。


「どうしてこんな子どもが……!」

「隊長、落ち着いて下さい」

「大丈夫だ。

 だが……!」

「アーガン、情を移すな。

 それ・・はお前のものにはならないぞ」

「だからわかっていると言っている」

「わかっていない。

 わたしたちの役目はそれ・・を無事に連れ帰ること、それだけだ」


 セルジュは淡々と話す。

 アーガンが情を移さないように、あえて冷たく振る舞っているのかと言えばそうではない。

 セルジュ・アスウェルという青年はこういう人間なのである。

 そしてその言葉がイエルの推測を裏付ける。

 この子ども、ノエルが探し人である、と。

 人目を忍ぶように連れてきた理由はわからないけれど、これまでの道中、アーガンとセルジュが何気なく交わしてきた会話の中に出て来た 「クラウス・ハウゼン」 という人物。

 そこからさらなる推測をして肝を冷やす。


(ファウス、これはひょっとして……ヤバすぎないか?)



【ファウス・ラムートの呟き】

「イエル、少し話がある。

 セスには内密に。

 隊長と公子の話に上がるクラウス・ハウゼン様のことだ。


 今回、公子はその方に会うため赤の領地ロホに向かわれると聞いているが、そもそもハウゼン家は南のシルラスの知事をしている下級貴族だ。

 どうしてそのご長子が赤の領地ロホにおられるのだろう?

 それに……神殿にいた頃、耳にした噂がある。

 そのクラウス様はとても魔力の高い高位の魔術師だが、実は……」

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