ヒロとゆかいななかまたち

西直紀

未来の回想とプロローグ



 創生歴660133年 某日 テラース某所



《……行っちゃいましたね、あなた。ふたりともあんなに立派になって……。私の割烹着にしがみついてた泣き虫さんたちとは思えないわ。これからあの子達は都会の水に馴染んで、バイトやサークル活動に精を出して、恋をして…… 別々の人生を歩んでいくんですね……。思えばあっという間でしたね。おぼえてます? あなたが私に初めて告白してくれた時のこと。あなたってば、顔を真っ赤にして、言葉ももつれちゃって……。私、あのとき思ったんですよ。あぁ、この人なら私をずっと大事にしてくれるんじゃないかなぁって。ねぇあなた、あの時の私って、結構いい推理してたと思いません? あら? そういえば、あの時の私達って、ちょうど今のあの子達と同い年だったんじゃないかしら。まるでおままごとみたいな拙い毎日でしたけど、ふたりとも恥ずかしいくらい必死に夢を追いかけてましたよね。お金は少ししか無かったですけど、いっしょに色んな所へ行きましたよね。そうそう、おぼえてます? ほら、あなたが“ミズカマキリを捕まえに行くんだ!”とか言い出して。私が“だったらせっかくだしタガメを捕まえましょうよ♪”って言い返すと、あなたってば口を尖らせて“最初から不可能に近いタガメを狙うなんて愚策だ!ここは少しでも現実味のあるミズカマキリかタイコウチに絞り込むべきだ!その延長線上で奇跡的にタガメが見つかればそれでいいじゃないか!”なんて駄々こねて。でも結局、大都会の暗渠にはタガメどころかミズカマキリもタイコウチも見当たらず、アメリカザリガニ、いえ、ボウフラすら見ることも叶わなかったんでしたよね。あの時のしょぼくれたあなたの膨れっ面、今も私の心に大切な思い出として残ってるんですよ♡ そうそう、あの日の帰り道、公園の隅っこに群生していたモウセンゴケとハエトリグサとウツボカズラをたくさん摘んで束にして、“はいっ”ってぶっきらぼうに渡してくださいましたよね。私ってば、花束なんて貰ったことがありませんでしたから、もう嬉しくて嬉しくて……。今でもあの花束は押し花にして大事にとってあるんですよ♡ あ、そうそう、その公園からの帰り道、コンビニでケース買いしたスピリタスを抱えて、近所の川原で掛け合って飲み交わして大騒ぎしましたよね♪ あなたったらタバコに火をつけた瞬間、全身燃えちゃって♡ まるでドリフト族大爆笑の黒焦げチョ~さんみたいでしたよ♪ そのあとは“服が燃えてる!うしろうしろ!”って大騒動になった挙げ句、あなたってば川に飛び込んじゃって。しばらくしてから川面に浮かんできたあなたの顔、今でも鮮明におぼえてるんですよ♪ だってあなた、口にオオサンショウウオ咥えてたんですもの♡ タガメどころか、オオサンショウウオですよ? あの時、わたし思ったんです。あぁ、この人って天運に恵まれた特別な生命体なんだなぁ~って♡ あのオオサンショウウオ、脂が乗ってて美味しかったですよねぇ。そうそう、そのあと起こった大事件、おぼえてますか? あなたが“俺の眷属だ”って言い張ってたメスのカブト虫が逃げちゃって大捕物になったでしょ? 結局あなたの眷属さんはボロボロの網戸の穴から外に出て、もう一人の眷属のゴマダラカミキリさんとタンデム飛行で街灯に向かって飛んでっちゃったんでしたよね。泣きながら裸足で追いかけてくあなたの後ろ姿と無情に飛び去る二人の眷属。あの瞬間の切ない景色は今もキュビスム絵画みたいに私の魂に焼き付いてるんですよ。……そんなだったあなたが……今では世界最強の魔法使いで無敵の改造人間なんですもんね~。わからないものですよねぇ。…………あら? ………………あなた?》


『アルちゃん…………』






 このときから遡ること数ヶ月前






「あーーーーーーーー八方塞がりだ。つーかもはや百方塞がりだ。いや……言い過ぎた。三方塞がりくらいかも……」


 広田比呂[ひろた・ひろ]はとある田舎町の片隅でブツブツと負け組であることを噛み締めていた。

 【おじさん】と呼ばれても反論の余地が無くなってきた現在、嫁や子はおろか、彼女もセフレもいない。

 親友と言えるような関係の人間も、たまに連絡を取り合う数人程度。

 別に自らを馬鹿だとも愚かだとも思ってはいないが、生産力・経済力という面では社会のヒエラルキーでかなりのボトムエリアに生息していると自覚していた。


 職業は【投資家】と言えば聞こえはいいが、実際は一年後の生活にすら不安を覚えるほどの微々たる利益をかき集める個人事業主のトレーダーで、株にも為替にも先物にも仮想通貨にも手を出すが勝負どころのセンスに恵まれておらず、ポートフォリオに頼りすぎたり大勝負を避けて通る傾向が強いため、負けで破滅したことこそないが大勝ちしたことも特にはなく、結局低空飛行を続ける日々を繰り返していた。


「俺って本来は機関投資家的ポジションで腕を振るうタイプなのかもなぁ」


 などと言いつつ、


「思えばあの時全額突っ込んでさえいれば今頃億万長者だったのになぁ……」


 などと言う。

 そんなタラレバを繰り返す日常に無感覚となっているのだった。


 実家からは離れ、隣町のワンルームマンションに住んでいるため、自分は【引きこもりのパラサイトシングル】ではなく【独立した社会人】だとささやかに自負してはいるが、過去、自分なりに設定している最低限の投資資金が溶けそうになった折、実家の母親からこっそりと当面の生活費として幾許かの金銭を無心している事実もあり、しかもそのような窮地が振り返れば何度かあり、つまり、悪く言えば【母のへそくりたまにパラサイト系個人事業主】なのである。

 因みに確定申告は毎年ギリギリまで先送りにする【夏休みの宿題は盆過ぎにしかやらないタイプ】でもある。


 田舎町であることから家賃は安く彼自身も浪費家ではないため、当面の間はこのままの低空飛行生活を維持出来そうだと高をくくってはいるものの、それが彼の望んだ人生ではあるはずもなく、今日もワンルームマンションにはパソコン操作によるカチカチ、カタカタ音と極たまに彼の呪術めいた呟きが響くだけなのであった。


「はぁ〜、何やってもパッとしねーなぁ〜。ホント、何やってもだよ……」


 過去、比呂は数々の儲け話に手を出してきた。


■三十万円で購入するだけで流通の元締めの仲間になれるという話だった怪しいアプリ専用端末。

■毎月十五万円投資する販社になるだけで最低でも三倍の利益が見込める新規事業の立ち上げメンバーになれる権利。


 このふたつを経て【世の中の厳しさ】というものを勉強させて頂いた【若かりし比呂】は、以降ネットワーク的なビジネスにこそアラームが鳴るようにはなったが、


■アフィリエイターとして一攫千金を夢見て惨敗。

■カフェブームに便乗してセンス込みの成功を企むも銀行の融資担当者に説教されて頓挫。

■占い師や風水師なら向いているかと思い色々と企てるも、結局自己嫌悪に耐えきれず無かったことに。

■体作りを兼ねてコツコツ真剣に働くわ!と始めた鳶職は三日目の昼休みにつらすぎて逃亡。


 唯一長く続いているのが低空飛行投資家であり、そして現在は頭の片隅に【SNS】【インフルエンサー】などという言葉が浮かんだり消えたりしているようだ。


 極めて危険な状態である。


 そんな罪深い比呂でも腹は減る。

 パソコンの前とトイレとベッドの一辺数メートルの三角地帯しか移動しないにも拘らず、それでも腹は残酷に減る。


「ん〜〜〜、腹減った。もうこんな時間だし…… コンビニでいっか~」


 パソコン画面に向かい情報収集と海外市場のチェックと麻雀ゲームに夢中になり、気付けば午前三時。比呂は面倒臭そうに部屋を出るのだった。


「流星3号よ今何処に…… 盗んだ奴死ね。今すぐ死ね」


 マンションの駐輪場を横切りながら、最近盗まれたお気に入りの自転車への弔いと犯人への恨み言は欠かさない。


「小さく死ね。小ぢんまりと死ね。薄っぺらくしょーもなく死ね。大切な人から嘲笑われながら死ね。今後の人生には苦痛しかない前提で自分に降りかかったあらゆる苦痛はあの時流星3号を盗んだことが原因だったのかーだったら盗まなければ良かったー後悔しても後悔し切れないーとか言いながら糞尿垂れ流して歯が全部抜けつつ全世界のJKに気持ち悪がられながら絶望して死ね」


 自転車が盗まれて一週間。比呂の弔い[呪い]は衰えることを知らず今日も絶好調だった。


「はぁ〜 歩きだと遠く感じるなぁ。疲れるわー」


 いつものコンビニに向かって一分ほど歩いたところにある交差点で信号待ちをしながら、徒歩五分程度の移動にもしっかりと愚痴る事を忘れない。

 信号は程なくして青となる。

 なんの気なしに歩き出す比呂だが、横断歩道の途中で突然、左後方から右折してきたトラックが目の前を横切る。



 刹那



 スローモーションのように時間が過ぎていくのだった。


ドクン


 内輪差で左から近付いてくるトラックの側面。


ドクン


 更に押しこまれて倒れる体。


ドクン


 止まることなく向かってくる後輪。


ドクン


 巻き込まれる下半身。地面に叩きつけられねじれる体。


ドクン


 体中の血が沸騰爆発するような感覚と強烈な衝撃。消えてゆく意識。取り返しのつかない残酷なことが我が身に降り掛かっているという恐怖と戦慄が急激に比呂の中で膨れ上がりながら最後に弾け、……消えた。


キーーッ


 田舎町の平日深夜三時。

 ひとけのない交差点に小さく響くブレーキ音。

 準工業地帯であり、工場や商店や空き地が点在する事故現場付近には野次馬はおろか、音を聞きつけて灯りのつく建物すらない。


 静寂が辺りを包んでいる。


 そんな中、トラックの運転席のドアが開き、一人の男が出てきた。


 倒れたままピクリとも動かない比呂に駆け寄る運転手。


「あ…… あの、あの、大丈夫ですか、あの……」


 静かに比呂を揺らすが何の反応もない。


「……ぁあぁ、マジでまずいって。積荷も積荷だし…… 俺…… 免停中だしよぉ、どうしよう…… 警察は絶対まずいんだよマジでぇ……」


 小さな声で嘆き呻きながらその場にへたり込む運転手。

 そして十秒ほどの沈黙の後、彼は何かを決意したかのように辺りを見渡し始めた。


「……血はほとんど出てない。車も大丈夫。あとは……」


 辺りをより慎重に舐め回すように伺う運転手。必死の形相で動かない比呂を見つめ、そして一言、今にも泣きそうな声で呟くのだった。


「ごめんなさい……」





 三十分後、トラックは目的地に辿り着こうとしていた。


 そこは事故現場から5キロほど離れた山の中のとあるゲート。

 周りは高さ五メートルほどの鉄板の塀で囲まれていて中が全く見えない。運転手は慣れた手際で運転席から降りると、自らゲートを開き、中へとトラックを入れ、再度ゲートを閉める。

 そして高い塀で囲まれた広大な敷地の入口から動き出したトラックが、いくつかの施設や焼却炉のような建物を通過して最終的に辿り着いた場所、それは無認可の産業廃棄物廃棄場だった。


 その違法廃棄場は、認可された表向きの処理施設の奥に隠れるように広がっていた。

 運転手は闇に包まれた廃棄場を眼下に見下ろし暫く目を瞑ると、意を決したかのように手早く荷台に入り、全く動かない比呂を抱え、迷いなく投げ捨てる。


 十メートルほど転がり落ちてドサッと静止する比呂。


 立て続けに運転手は車に乗り込み、荷台を操作し、元々積まれていた大量の廃棄物を比呂の上に一気に滑り落とす。


ドガガガガ…… ゴゴゴゴ……


 大きな音と共に荷台は空となり、山中に静寂が戻る。


「…………」


 何も見えない暗闇の先を覗き込んだあと、今度は目を瞑り手を合わせる運転手。

 虫の鳴き声だけがやたら大きく響き、時間はゆっくりと過ぎて行く。


「ぅ…… ひぐっ……」


 静寂の中で泣き出した男は、震える腕で涙を擦り、トラックへと乗り込んだ。


ブロロロロ……


 今まで感じたことのない精神的な圧迫に戸惑い恐れながら仕事を終えた運転手は、焦点の定まらない表情をうつらうつらさせながら廃棄場を後にするのだった。





 トラックが去ってからそれなりの時間が経過した頃。


「ぐ…… う……」


 瓦礫に埋もれた比呂の口から声が漏れた。

 事故によって足はあらぬ方向にねじ曲がり、腰の骨は砕け、内臓もいくつか機能停止し瀕死の状態だが、奇跡的に心臓と片方の肺は動いており、頭部も擦り傷しかない。


 廃棄物の隙間でかろうじて戻った意識を頼りに改めて考える事を始めてみる比呂。


(……なんだっけ、今これ、なんだ? ……全然わからん。なんも見えん。真っ暗だ……)


(……あ。そうだ事故だ。デカい車の横っ腹に体擦り付けたんだった……)


(てことはこりゃ、もう死ぬのか? 状況全く分からんが、変な臭いする…… 息苦しい…… あと体が熱いし動かねぇ)


(だめだこりゃ死ぬな…… 息するのも限界なくらいだわ。考えるのも面倒になってきた。あとすげー眠い)


(しゃーない、諦めた。死んだる。終わったる)


(………………)


(……ん? ……まだ意識あんな…… ん〜最後に辞世の句でも詠むか……)


(えー……)


(しょーもない 人生終わる 哀れオレ 転生させろ 神的な奴)


 その時だった。



ピコピコピコーーーーン!



 状況に全く似つかわしくない間の抜けた正解音のような効果音と共に、突然視界の中に一人の老人が現れた。


「条件クリアじゃ! お主、転生したいみたいじゃのぉ〜?」


「…………」


「おぉ〜っと驚かせてスマンかったの~。条件達成者が現れたもんで興奮してつい躍り出てしもーたわい。むふふふ」


「………………」


「ん? お! いかんいかん、死んでしまう! そんな訳で死にかけの男よ、まずは答えてくれ。転生したいってのはマジか?」


 薄れ行く意識の中、比呂は流されるように


「……マ…………ジ……」


 とだけ答えたのだった。






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