第3章(7)
「どうなっているでしょうね」
警視監の言葉に、野沢は首を振るしかない。
病院の二重玄関。テープで仕切られた自動扉の向こうでは、四人たちが深い階層へと踏み入っている。
「私たちにはもう祈ることしかできません」
「こんな話をするのは何ですが――もし失敗したら、どうなるのですか?」
「機関から、第二陣の協力者を派遣します。ただ、正直なところ今の四人を超える者はおりません。ですから、おそらく世界は深い階層へ呑まれます」
「深い階層に呑まれたら?」
野沢は警視監の方を向いた。
「当然ですが、私たちには階層を行き来する力がありません。サカナに捕食されるか、空間の変質に巻き込まれるか――つまり、溺れるしかない。それに、階層は常に広がり、深さを増していきます。階層五の先に何があるのか、私どもも把握していません」
警視監は渋い顔で何かを考え込んでいる。
「外で張っている連中に、危険性を伝えてもよいですか? 無論、専門的な話は抜きにして、ですが。家族のいる者も多いもので……」
「賢明かと思います」
警視監は頭を下げ、玄関から外へと出て行った。
その場には、野沢と、自動扉の脇に立つ警察官の二人だけが残される。
警視監へ語った言葉に偽りはない。
四人が失敗した時点で、機関は打つ手が無くなる。第二陣を組めるよう手を回してあるが、メンバーから考えるに、この状況を解決できる可能性は限りなく低いだろう。
その先にどんな悪夢が待ち構えているのか、野沢にも分からない部分が多い。
四人が病院内部へ侵入してから、二十分が経過した。今のところ目立った動きはない。
野沢は携帯電話を取り出し、機関へ現状を報告しようと試みる。
側頭部に衝撃が走った。
声を出せないまま、床へと投げ出される。
口を何かで覆われる――粘着テープだと分かった。こめかみから、生温かいものが流れるのを感じる。
目の前に落ちている携帯電話を蹴飛ばされた。そのまま左腕をひねり上げられ、野沢は声にならない悲鳴を上げる。
「動かないでくださいね」
野沢は必死の思いで顔を上げ、自分を組み伏せている人間の顔を見る。
自動扉の脇にいた警察官が、眼鏡の奥でにっこりと微笑みながら、血にぬれた警棒を振ってみせた。
「警察という肩書は便利です。すぐ近くで救済を見届けることができる」
お前が犯人か、何が「救済」だ、そんなようなことを野沢は叫ぶが、くぐもった声にしかならない。
「あなたやお仲間もずいぶん邪魔をしてくれました。でもここまでです」
男は柔らかい口調で続けるが、野沢の手をひねり上げる力は緩まない。
「そろそろ階層の下降が加速します。この先は、前人未到の階層だ」
うれしくてたまらないという様子で、男はうきうきと続ける。
「もうすぐ、私たちの世界が訪れます。外面と内面が混ざり合った美しい世界。選ばれし者だけが泳ぐことのできる世界。理想郷。黄金郷。桃源郷」
自動扉の向こうから、はっきりと水音が聞こえた。
質量のある何かが水の中へ沈み込んだような音。
「階層が降ります。お仲間たちは間に合わなかったようですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。