君といつまでも

惟風

ひと目あったその日から

 残業が長引いて、今夜も帰りが遅くなってしまった。

 もうすぐ日付が変わっちゃう。

 今の会社に勤めて十年近く、普段はホワイトな職場環境だけど退職者と繁忙期が重なってここ数週間は地獄のようだ。

 そこらの人間よりは体力に自信があるし実際身体はキツくないけど、さすがにこう連日だとメンタルに来るんだよなあ。繁忙期抜けるまで耐えられるかなあ。そろそろ辞めちゃおっかなあ。

 あーあこんなしょぼくれた俺を支えてくれる可愛い恋人とかいてくれたらなあ……。

 などとボンヤリ考えつつ、俺はスマホでゲームをしながら帰路についていた。


 最寄り駅近くの公園の中を突っ切ると二分は通勤時間を短縮できるので、静かな遊具の横をトボトボと歩く。

 広場の公衆トイレの前に差し掛かったところで、トイレから出てきた人物と危うくぶつかりそうになって足を止めた。

「わっ、スミマセン」

 慌てて頭を下げる。歩きスマホに夢中になりすぎていた自分が恥ずかしくなった。

 正直、夜中だし道路でもないしで完全に油断していた。

 顔を上げて、ぶつかりそうになった人物を見て、思わず息を呑んだ。


 痩せぎすで長身の男だ。

 束ねられた長い髪はボサボサと艶がなく、同じく長い前髪が男の表情をわかりにくくしている。

 やつれていると言えるほど頬のこけた顔で、前髪の隙間から覗く目玉には、ギラギラとした光があった。

 釘付けになるのはその容姿だけじゃない。

 右手には、包丁よりも長い刃物が握られていた。

 マチェーテと言う武器だったか、ゲームで見た覚えがある。

 刃先から、液体が滴っている。濃い血の臭いがする。


 刃物の存在を認識したのとほぼ同じタイミングで、男は右手を俺に向かって逆手さかてに振り上げた。

「うわっ」

 咄嗟に後ろに退いていなければ、確実に自分は縦に切り裂かれていた。

 刃に付着していた血が数滴、俺のスーツにかかった。

「待って待ってちょっと待って」

 制止の声は情けなく掻き消される。男が今度は両手で得物を握り斬りかかってきたからだ。

 話を聞いてほしい、ぶつかりかけたことは謝ったじゃん。ぶつかってないんだからそこはギリセーフじゃん。そんな怒らなくても良いじゃん。


 男の行動には何の容赦も躊躇もなくて、純度百パーセントの“殺意”を感じた。

 絶対に殺す、という確かな意志。そして手慣れた動作。

 武道としての無駄のない身のこなしではなく、もっとがむしゃらにコチラを害してやろうという動き。人間の命を奪うのは初めてじゃなさそうだ、それどころかベテランかもしれない。

 トイレの中で殺戮を行った直後なのだろう。


「止めてくださいホント危ないから」


 右に左に刃を避けながら、どうしたら落ち着いて話ができるだろうかと考える。ああスーツというのはこういう時に動きにくくて不便だ。

 男が武器を振るう度に、背中の髪も尻尾のように揺れている。

 苛立った視線が俺を真っ向から見据えている。

 俺に一撃も当てられないことに歯噛みして、焦りと恐怖まで感じ始めているのが伝わってくる。

 フウフウと口から漏れ出ている荒い息遣い。

 額にうっすらと汗をかき、前髪が貼り付いている。











 正直言って、タイプだ。

 こんなに心が踊ってウキウキするのは、何百年ぶりだろう。

 あまりの興奮に、俺の両手の爪と牙がパキパキと伸びてきた。

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