月下の星使い(3)交戦

「にくとれる。にくたべる。とれたにくもどる!」

 フェルナンドは、片言で迫る大猿のようなものに追われて、廊下を駆けていた。

 途中、警備の傭兵らしきものと出くわすが、即座に雷撃術で昏倒させる。

 気絶した傭兵を掴み、

「ほら肉だ、新鮮で美味うめぇぞ!?」

 加速術をかけて大猿の口元に投げつける。

 だが、それを拒絶するように大猿は飛んできた傭兵を前足で壁に叩きつけた。その馬鹿力は、一撃で壁面に真紅の花を咲かせる。

「な、なかま、だめ。おしおき、いたい。にくとれる……!」

「そりゃそうだな!」

 ……経験談かよ。ほんと見境なしかクソッタレ……!

『わかった! そのおっきいの、二人の魔術士に術の紐みたいなので繋がってる。たぶんそいつらが……!』

(操ってるってか! わかりやすくて結構なことだ!)

 よくもまあ次から次へと。

 どんだけ金をかけてるんだ酔狂貴族め。

『一人は何とか封印を重ね掛けして眠らせたけど、もう一人はかなり手強い……フェルナンドを追ってる!』

(くそ……!)

 眠らせた一人も含め、魔術士は全員殺さねばならない。

 どんな術を持っているか解らない相手を、眠らせただけで無力化したと考えるのは余りにも早計だ。

 できる限り危険の芽は摘んでおかねばならない。

 デカブツに追われながら、魔術士の相手をできるか。フェルナンドの脳裏に一瞬だけ不安がよぎった。

 すると、まるでそれを見透かしたように、

『……わたし、そっちに行くから!』

 ルーナが移動を開始した。感覚でわかる。隠蔽術をかけながらもフェルナンドの方へ向いて動き出した。

(っ……! バカ、下がってろ!)

『絶対死んだりしないから! フェルナンドも死なせない!』

 誰に似たんだか、いざとなると頭に血が上るルーナの悪い癖。

 散々鉄火場で口げんかを繰り返し、未だになおらないルーナのわがまま。

『作戦は残り一冊半になるまで援護――まだ二冊半残ってるから!』

〝ぜったい死なないからそばにいさせろ〟と。

 こうなれば、彼女は頑として折れない。こう離れていては襟首をひっつかんで止めることもできない。

(なら術士の方だ! 遠距離から足止めだけでいい! 俺はこのデカブツを潰してからそっちへ行く!)

『わかった……!』

 まただ。結局また彼女に押し切られてしまった。

 全く保護者の威厳もクソもあったものではない。

 女の子をひっぱたく訳にもいかないから、ここはやはりおやつ抜きか。

 でも最近慣れてきたから、二週間とか長めにした方がいいのだろうか。

 わずかにそれた思考。だが、現実は真後ろにある。

「にく、にく!」

 ……それもこれも、こいつを片付けてからだ!


    *


 明確に迫る死そのものを背後に、フェルナンドは走る。

 屋敷の廊下。直線の閉所だ。

 魔力も筋力も桁外れの馬鹿力を相手に接近戦は自殺行為。であれば、反対方向にまっすぐ逃げるほかない。

 単純な星霊力の放射では、高密度の魔力で組み上げられキメラ化した構造体は崩せない。だから、と術式で投射した手持ちの短剣はすでに二本が大猿に砕かれている。別の手を考えねばならない。

「第三式展開、閃光放射!」

 駆けながら、フェルナンドは半身をひねり背後に術を展開する。

 単純に星霊力を光に転換して放射。瞬間的に青白い大光量を眼前にぶち当てた。

 目潰しの術。だが、

「がああああああ!?」

 大猿は目を閉じたまま、鳴き声とともに四つ足でなお直進してくる。

 ……くそ、目を潰されたまま!?

 勘で突っ込んできているわりにはバランスは失していない。おそらく音か魔力か、別の感覚器官があるのだろう。

 ならそれも潰すか、と思うも廊下はそう長くは続かない。

 直角の曲がり角。

 曲がるか、それとも。

 不意にルーナの顔がよぎった。

 果敢に敵に挑んでいるだろう、勇気と無謀の間をふらふらする大バカ娘の顔が。

 ……時間はかけられんか!

 フェルナンドは即決した。防御術を展開し、

「第三式展開――星天破城砲!」

 振り向きざまに星霊力を放射。物理存在への打撃・破壊効果を持たせた魔力砲。

「ぐが!?」

 青白い光条は大猿に直撃。だが、実体のない魔力砲では、大猿の魔力場を撃ち抜くことはできなかった。

 弾かれた余波は廊下の内装をズタズタに刻んでいく。

「た、たべる……!」

 そんな中、速度をわずかに落としながらも大猿は強引に歩みを進める。だが構わない。フェルナンドの目的は〝これ〟ではない。

 本命は、

「うぉ――りゃあ!!」

 魔力砲を放ったまま、フェルナンドはその光条を真上へ振り上げた。

 天井が光に裂かれ、一気に破断。石積みの構造材が瞬く間に崩れ落ちた。

「が!? ご!?」

 石の雨を浴びて大猿はさすがに混乱したようだ。

 がれきで埋もれた足場に動きを止める。

 一緒にがれきを浴びたフェルナンドは、防御術でダメージを抑えつつ、降ってきたがれきの中から手近で大きな石を選び出す。

 両腕で持ち上げたのは、一抱えの石材。それを持ち上げ、

「星よ応えよ。我が身を賭して紐解く神秘は――」

 稼いだ時間いっぱいを使っての最大詠唱。

 腰の後ろの星天術書の記述も遠慮なく消費し、これまでにない莫大な星霊力を術式へ供給する。

 さらには自身の生命力もつぎ込んだ全力の全力で術式が起動し、

「星天第三式、流星加速――!」

 ぶん投げた。


    *


 音速、という概念はこの時代には未だない。

 だが一部の魔術士たちには経験的に知られていた。魔術をもって物体を無茶苦茶に加速した果てに、何が起こるのか。

 石材はその通りの末路をたどった。

 つぎ込まれた星霊力が術式によって運動エネルギーに変換。デタラメな加速は石材を一瞬で音の壁を飛び越えさせ、強引に熱の壁にまで届かせた。

 大気を引き裂く衝撃波はがれきを巻き上げ、廊下の両壁を破砕する。

 先端で圧縮された空気が熱を持ち――石材は自らが生んだ熱と衝撃に耐えきれず、またたく間に自壊。

 結果として生まれるのは、無数の赤熱化した散弾だ。

 直線の廊下。天井が開けただけの、逃げ場のない閉所で。

〝流星〟の群れは大猿の巨体に殺到。

 破片と衝撃波は、大猿ごと背後の構造物を巻き込んで爆砕した。



    *


「あー……」

 フェルナンドの眼前で、屋敷が半壊していた。 

 当然だ。敵に当たったぐらいで止まってくれるような暢気のんきな加速はかけていない。というよりも、大猿がどれほどの強度か全く読めなかったからとりあえず出せるだけの全力でぶち抜いた。

 そうしてカッ飛んだ石材の破片たちは大猿を軽くミンチにした程度では収まらず、むしろ大猿に当たってさらに広範囲に飛び散って屋敷の半分をものの見事に吹っ飛ばした。

 ……やり過ぎた。

 魔力を介さない物理現象で、と考えついたのがこれだった。

 火は燃え広がったら家主が気の毒だし、冷却系は直接相手を冷やせない時点で速効性に欠ける。対して加速系は一定の速度に達したら魔力無しでも慣性で飛んでいくのでちょうどいいだろう、となった結果がコレである。結局家主は気の毒だった。

『ね、フェルナンド』

「なんだ、ルーナ」

 もう今さらなので、フェルナンドは声を出して念話を送る。

 この方が言葉の送り違いや、思考の迷いで送達が失敗することがない。

『最初に言ったよね。〝見つからずに逃げ切れるのがベストだ〟って』

「言ったな」

『お屋敷が爆発したんだけど』

「……ああ。したな」

『なんか外にいる人たち、みんなびっくりしてるんだけど』

「そりゃびっくりするだろうな」

『フェルナンドのせいだよね?』

「……わりい。ちょっとドジった」

 しばらく、無言。

 心底バカにした目のルーナの顔が容易に想像できたのだが、多分その通りの顔をしていることだろう。

『…………まあ、いいけど。爆発したの見て、魔術士はなんか逃げるみたいだよ?』

「逃げ……って」

 逃がしたらダメだろ、と念話を送ろうとして、すんでの所で止めた。ルーナはそれを頼んでいい相手ではない。

「今から追う! 位置は」

『このへん。遠くから〝アンカー〟は打ったけど、あとはダメだった』

 ルーナの言葉とともに、星霊力の波が屋敷の建物を挟んで反対側から届いた。

 杭――敵に呪いを打つ核となる目印の術。それがルーナの星霊力で自身の位置を示すように信号を送ってきているのだ。

「……上等だ! 杭はしばらく持ちそうか?」

『持たせてるけど、解かれそう!』

 傭兵稼業のまねごとに手を出すだけあって、さすがに向こうも手練れらしい。さっきの大猿の出来も上等の部類に入るものだった。

 ……そんな相手を逃がすわけには!

「第四式展開、跳躍強化」

 身体強化はすでにかけている。さらに足と空気の流れを整え、大跳躍を可能にする術。

 フェルナンドは自身が開けた穴から外へ飛び出し、屋根に着地。もう一度跳躍し、一気に建物を横断し敵まで距離を詰める。

 いた。大仰な杖を持った黒いローブの男。塀を術で飛び越え外へ。逃げる気だ。

 おそらくは護衛の仕事だろうに、たいした根性だ。後のことは考えていないのか、どうにかできるような術を習得しているのか。

 杭を解けるような術士なら、もうフェルナンドが追ってきていることにも気づいているはずだ。一刻の猶予もない。仮にアブリア派なら、そろそろこちらを迎撃するために詠唱を始める頃だ。

 フェルナンドはそこでタイミングを計っていた一言を放った。

「ルーナ、四式の〝壊乱〟だ! やれ!」

『わかった……!』

 応答の直後に、遠方からでも敵の魔力が乱れたのが解った。

 壊乱。敵の体内魔力、生命力を意図的に破壊する術。

 だがルーナに『上手くいかなかった』と言わせる相手だ。何らかの防御手段を持っているだろう。すぐに立て直されるはず。

 事実、少し膝をついただけで魔術士はすぐに立ち上がった。

 だが。

 ……捉えた。

 フェルナンドは最後の跳躍を終え、魔術士の背後を取った。

 彼がそれに気づいたのと、フェルナンドが魔術士の背に銀の短剣を突き刺したのは同時。

「第四式、身体操奪。……並列展開、第四式、呪刻印」

 いくら手練れでも、触媒を体内に打ち込まれて至近から施される術はとっさに防ぎようがない。

 即座に第四式で敵の身体制御を奪う。詠唱しようとした喉と口を即座に止め、続けてシンプルな呪いを打ち込む。

「…………!」

 叫ぶことを奪われた魔術士は、呪いの精神汚染に白目をむきながら、畳み掛けるように身体制御で心肺機能を強制的に停止させられる。

 後はゆっくりと死んでいくだけの相手を、しかしフェルナンドは、

「悪いな」

 切断術の乗った短剣で首を刎ねた。

 同時に、対呪防御と術式探知も展開させていたが、死と同時に発動するような刺し違え型の呪いが発動した形跡もない。

「趣味が悪いとは自覚してる。……死にたくないもんでね」

 確実に一人の処理ができたことを確認すると、言い訳じみた一言を残してフェルナンドは急ぎ跳躍した。

「待たせた。残りを片付けてすぐに合流する」

『ん、待ってる!』

 ルーナが眠らせた、最後の一人を始末するために。

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