月下の星使い(2)侵入

 戦場に子供を連れてくることは、この時代においてはそこまでタブーというわけではない。

 革命軍や農民反乱などでは、年少の男子は普通に数合わせとして用意され、使い捨てられるのが常だ。

 統一だなんだと紛争が絶えない世情は、いまだ十分な倫理を育てるだけの余裕を持ちあわせていない。

 そんな時代にあって、フェルナンドが彼女を戦場へ連れ出す理由は、数合わせでも酔狂でもなかった。


「ほれ、星天せいてん術書」

「ん」

 上弦の月が西の空へと傾きはじめた頃。

 標的の屋敷から、少し離れた小高い丘の茂みの中。

 そこで腰を下ろしたフェルナンドは、背負ってきた革袋から一冊の本をルーナに手渡す。

 首かけ紐にベルトで固定された小ぶりの本。

 星天術書と呼ばれる、魔術書だ。

 本式の術書はまだ小柄なルーナには重すぎる。ゆえに、フェルナンドがルーナ用にあつらえた携行用の小型術書。

 使い捨てで、使用後は自壊術式で急速に腐食し、星霊力を使い尽くして土に還る特殊仕様のもの。

「星よ、応えよ」

 ルーナが決まり文句を唱え、術書と接続。それで星天術書の記述の一編一編が、旧来の魔術儀式と同等の効果を持つようになる。

 それを見届けたところで、

「こっちが予備だ」

 フェルナンドはもう一袋の革袋を手渡す。同じ術書が四冊入った子供用の革袋。体力を温存させるため、フェルナンドが代わりに持っていた物だ。

 受け取り、背負ったルーナはどことなく満足げ。

 まるで、家で料理を手伝うときのようにわくわくした顔をしている。

「準備、できたよ!」

 市場に買い物に行くんじゃねえんだぞ、とはもう何度言っただろうか。

 それなりの数の場数を踏み、幾度かは危険な目に遭ったにもかかわらずコレなのだから、もう言っても仕方がないのだろう。

 元々そういう性質たちなのかもしれないし、そういう風に育ててしまったのかもしれない。

 子供の扱いなど彼女が初めてだから正解なんて解らない。やれる範囲でできるだけのことをしてやるしかないのだ。

「……ったく」

 苦笑いで悪態をつきながら、フェルナンドも自分の装備を再点検する。

 自身の星天術書とはすでに接続が済んでいる。ルーナに渡した倍近い大きさの書籍。

 革張りの表紙に星霊力を蓄えた宝石が埋め込まれた正規のスタイルだ。

 それを革袋から取り出し、ページを繰る。


 星天術は、従来の古典的な黒魔術が生贄や自身の生命力で補っていた魔力を、星月の魔力――星霊力で代替している。

 同時に、儀式や詠唱の大部分を魔術書の記述で補うことができる。

 高度な術を詠唱のみで展開するための特殊な記述から、通常の術の詠唱を短縮するための汎用記述まで。

 この星天術書には星霊力の貯蔵機能として魔力を蓄えた宝石と、その宝石の粉末を混ぜ込んだインクで書かれた幅広い記述がある。


 ここに来るまで、フェルナンドは体力の温存のために身体強化の術を二人にかけてきた。

 雲はなく、星月は綺麗に出ているので星霊力は十分に回復したが、消費した汎用記述の一部を急いで書き足す。

 記述の補充を終えると本を閉じ、ベルトで腰の後ろに固定する。いくつかの持ち方はあるが、結局フェルナンドはこのスタイルが一番性に合うようだ。

「うん。フェルナンド、かっこいい」

 ちびがいっちょ前を気取っていらんことを言うが、まあ悪い気はしない。嫌われるよりはよっぽど可愛らしい。

「だろ」

 だからフェルナンドも笑顔を見せてやった。


    *


 星月の明かりのみを頼りに、フェルナンドは遠くの丘より標的の屋敷を見渡す。

 単眼望遠鏡と星天術で増幅し、目視できた見張りは十人。下見よりさらに多い。

「ルーナ、何人だ?」

 術式での探知をかけさせる。ルーナがうなずき、静かに目を閉じた。

 ややあって、

「外に十三人、中に三十人ぐらい……かな?」

 外は、死角にまだ三人いるらしい。中の人数は使用人や家主も数えているだろう。

 どのみち看過できない数だ。

「ね、どうする?」

 傍のルーナが急かすように肩を揺すって聞く。

 いつのまにか伸びた背は、膝をついたフェルナンドより少し高いくらいだ。

「出直したら今度は倍になっててもおかしくないな」

 一人であれば、ギブアップも辞さない案件だ。

 けれど、今は。

「ルーナ」

「うん」

「お前の目、アテにさせてもらう。頼むぞ」

「……任せて!」

 まもなく、突入だ。


    *


 星天術の難易度は大きく五段階に分かれる。

 第一段階が星霊力との融和。

 第二段階が旧魔術理論に基づく五大元素への干渉、制御。

 第三段階が、星霊力の純熱量、運動変換。

 第四段階が、星霊力を生物、人間そのものにまでに浸透。それらの制御操作。

 そして、開祖がその存在を予言し、未だ到達者のいない第五段階は、物質の創造だと言われている。


 ルーナはたった三年で、事実上の最高位たる第四段階まで到達した。

 術式の構築はフェルナンド任せであるが、構築済みの術式を理解し走らせるだけなら全く問題なく行える。

 フェルナンドもそこまでたどり着くのに十年かかったというのに、である。

 たびたび留守番を嫌がって拗ねた女の子に「ついてきたければこれを習得してみせろ」とたわむれに星天術式の基礎概論――星天原論を渡して、たった三年。

 その学習は術式の実践に偏っており、術式の自力構築となるとまだまだひよっこであるのだが……。


『建物全体の警戒結界の制御権を取ったよ。フェルナンドも入れるようにしたから』

 結界の際で待機していたフェルナンドの元にルーナから念話が届く。

 その早さに、フェルナンドは思わず舌を巻いた。

 ……また腕を上げたか。

 ルーナは建物を中心に張られた結界を、相手に気取られないまま、その制御を自らのものとした。

 星天術は、後発ゆえにこの手の妨害、干渉型の術式が組みやすいのが強みだ。

 古典術同士でもまじないの返し合いはあるが、星天術は理論的にそれらを解析し、その懐に滑り込むことが出来る。

 とはいえ、ルーナのこの早さはもうフェルナンドのそれに近づきつつある。追い抜かされる日も近いのではないかと思わせる手際の良さだ。

(侵入する。頼むぞ)

 フェルナンドも念話で応答。次いですぐにルーナの念話が返る。

『ん。――結界内に魔力ノイズを発生させたよ』

 次いで達成されたのは、術式の欺瞞ぎまん機能の追加。

 結界から星天術の動作波長をまぎれさせる微力な魔力波を発振。魔力の流れが読みにくくなり、術式の発動を察知されにくくなる。

『――経路情報、送るよ』

「助かる」

 ルーナの意思を通じて、彼女の術が得た情報が脳裏に映る。

 事前に想定した七種の侵入ルートの内、見張りが離れたばかりの一つを選択。

 身体強化をかけたフェルナンドは、静かに裏手の壁まで忍び寄り、一気に跳躍。

 目立たぬようぎりぎりの高さで外壁を飛び越えると、着地の直前で減速の術式をかけ、音を消して着地。

 庭の内部へ侵入したフェルナンドは、そのまま素早く建物の影に隠れ、再度ルーナへコンタクトを取る。

(ルートFで侵入。建物への経路情報を)

『送ったよ』

 届いた情報は全て吉報。一階、二階の窓の反対側はともに無人。石の枠が古びた木戸で閉じられているだけだ。

 ……よし。

 フェルナンドは無言で星天術書から術式を呼び出す。記述を惜しげもなく使用し、無詠唱で一階の窓に振動制御術式をかけた。

 それから戸の向こうのかんぬきを無詠唱の加速術式で引き抜き、木戸に手をかけた。

 普通なら軋みの一つもあげるだろう戸は、音響に繋がる振動が術式で打ち消され、ほとんど無音で口を開く。

 フェルナンドも素早くその窓の中へ飛び込み、全く気取られずに邸内に侵入を果たした。


    *


 宝物庫までは全く順調に素通り。

 だが、その中を漁っても肝心の遺品が出てこなかった。 

 ……くそ、やはりか。

 ボーナス対象の道具屋からの依頼品は山ほど見つかるが、肝心の依頼の品が見つからない。

 ルーナに持たせた使い捨て式星天術書もそろそろ一冊を使い切るころだ。

 これ以上の時間の浪費は避けねばならない。

(ルーナ)

『なに?』

(隅から隅まで探したが遺品は見つからなかった。どうも寝所付近に移したらしい)

『じゃあ、どうする? あきらめる?』

(十中八九見つかるが、突っ込んで奪ってくる)

 わずかに間が空いた。毎度のことにため息でもついているのだろう。

 ややあって、

『それ、危ないと思う』

(同意見だ)

 開き直った言葉に、ルーナの言葉がまた途切れ、

『フェルナンド、やっぱりバカ』

(たまにな。……お前の手持ち本残りは?)

『さっき一冊なくなって、四冊』

(余裕だな。騒がしくなる。見張りが増える前に寄り道しないで先に帰れ)

『いや』

(お前なぁ)

『作戦は残り一冊半になるまで援護。それまでは付き合う』

(ハチの巣をつつくんだ。おそらく周辺にも警備が出る。その位置は危険だ)

『危ないかどうかは、自分でわかる。そのための星天術』

 相変わらず口が減らない。というより最近はますます屁理屈を駆使するようになってきたルーナ。

 この場で本気で言いくるめることもできるかもしれないが、それでルーナの機嫌を損ね、集中を削いでしまえば逆に彼女自身の身が危ない。

(……好きにしろ)

『ん、好きにする!』


    *


 気配を殺したまま、フェルナンドは寝所まで素早く移動する。

 途中傭兵らしき見張りがいたが、口を押さえ背後から短剣で突き刺し、術で身体の制御を乗っ取った上で静かに処分した。

 三人を片付け、ようやくたどり着いたそこには、外とは比べものにならないほど強固な結界が張られていた。

『だめ、強すぎる。解除できない……』

(だろうな。ほとんど防御結界に近い。本人に気づかれず侵入は不可能だろう)

 建物を覆う広域探知に力点をおいた結界なら、やりようにもよるが改竄かいざんと乗っ取りは容易だ。探知範囲外から術式の末端を捉え、辿って静かに侵入すれば術士本人にはバレないことも多い。

 だが、近距離で、身体感覚の延長のように使用している密度の高い術はそうもいかない。

 ……なら、ぶち壊して入るのみ!

 壊せば間違いなく術者に気づかれる。もうこそこそと隠れる必要もない。

 術の補助触媒となる銀の短剣を抜き、声に出して詠唱する。

「星天第四式――守りの砕き」

 短剣を結界に触れさせ、破壊の術を浸透。強固な術とはいえ、至近距離からならば解体も容易だ。

 解析と同時に星霊力を流し込み、術を破壊。室内に飛び込んだ。破壊した術の主をたどる。

 見つけた。ローブを着て杖を持った初老の男性だ。椅子でうたた寝していたらしい。結界の破壊でフェルナンドに気づいた初老の術士は、即座に戦闘態勢。

「天を追われ――」アブリア派魔術の呪文の出だしが聞こえた。だが遅い。枕文と本旨、結文を詠み終わるまであと二十秒は要るだろう。

 対してフェルナンドは、

「展開、穿つ刃!」

 残りの詠唱文をほぼ術書の記述で補った即時展開詠唱。

 手にした銀の短剣を投擲。その速度が星霊力で瞬時に加速され、同時に敵に吸い込まれるように誘導がかかる。

 瞬きの間に刃はアブリア派術士の頭蓋を正確に貫いた。初老の術士は花瓶を巻き込んで仰向けに倒れ、すぐに動かなくなった。

 騒ぎの音に、さすがに家主が目を覚ましたらしい。起き上がった貴族の男はたっぷり蓄えた肉を跳ねさせながら後ずさる。

「な、なんだ貴様……!?」

 答えない。これから記憶を消してやる以上、何を話したとて時間の無駄だ。

「星よ応えよ。星天第三式展開。指向放射」

 続けてフェルナンドは通常詠唱。家主に向け、星霊力を純粋な魔力として撃ち込んだ。

「ひ、ひぃっ!?」

 その放射は星霊力が加護の干渉を受け、家主に届く寸前で青白い雷光に似た光となって散る。

 家主が身につけた抗魔の魔導具の効果だ。燐光を放ちながら健気に持ち主を護る指輪やネックレスなど。趣味が悪いのか臆病なのか、その数は十をこえていた。

 だが、肉に挟まるように彼を保護していたそれらは、やがて許容量を超え、一つ二つと弾け飛ぶ。立て続けに破砕音が続き、

「ぷげ!?」

 破砕音が止み、本人に魔力が通ったことを確認し、術を止める。

 単純な魔力打撃では大抵の人間は気分が悪くなるぐらいの効果しか得られない。本命は別にある。

「星天第四式、忘却の眠りを」

 睡眠誘導と同時に直前の数分間の記憶を欠落させる術。

 抗魔の装具を身につけられていては、この手の繊細な術式は通りにくい。だが、それがなくなれば只人相手だ。効果はてきめん。

 家主はものの数秒としないうちに床に倒れこんで、豪快ないびきを上げ始めた。

 ……さて……。

(ルーナ、他に敵は?)

『その部屋の中にはいないよ。外の魔術士があと二人……三人かな? そっちに向かってる……!』

(了解)

 出くわしたら厄介だ。さっさと片付けて撤収しなければ。

 フェルナンドはもう一度室内に絞って強めの探知波を打つ。

 弱い反応。封印術のためだろう。だが確かに反応はあった。枕元に隠してあった金庫だ。

 調べたところ、術式による呪禍トラップの類は簡易なもの。物理的にも複雑なカギがかかっているだけで、毒針などの機構は備えられていない。

 封印を解体し、安全を確認してから、フェルナンドは金庫のカギをぶち壊した。

 ……これだな。

 中身の見た目は聞かされたとおり、宝飾されたゼンマイ式の懐中時計。

 事前に依頼人から伝えられた重量、材質、魔力残滓の波長など、必要な確認をすべて行う。クリア。

 ……あとは、偽物でないことを祈るばかりか。

 あり得る話だが、依頼人が自前で作ったという特別製の探知術にかかったのはこいつしかない。

 他に邸宅内に隠蔽、術式封印らしい気配もない。別の場所に移されているのであればお手上げだが、ここに侵入しろという指定だったのだから、そこまではサービス外だ。

(依頼の品を回収した。戻る。状況は?)

 念話を送りながら廊下に出る。音を消しながら、最短で撤収ルートを走っていく。

『普通の兵隊は静かにしてるけど、魔術士が一人どんどん近くまで行って……あれ、これなんか変……!?』

(ん、どうした?)

 妙に切羽詰まった声。呼びかけはこちらの危険を知らせる色で、

『これ、魔術士じゃないかも! 何かおっきいのが向かってる!』

(大きいの? なんだそ――)

 念話で問い返す前に、廊下の窓を突き破ってそれは現れた。

「…………テキ。テキ、くう。たべて、いい……」

 人の形に似てはいた。だが、廊下を埋め尽くすほどの毛むくじゃらの巨体を、人間とは呼ぶまい。

 巨大な腕、獣めいた顔つきは、おそらくは海をまたいだ南方の猿だかに近い。

 ……はは。こりゃ確かに〝なんかおっきい〟な。

 相対するだけで解る、恐ろしいほどの魔力密度を持つ化物。

 よく見れば、肉をつぎはぎしたような跡がある。おそらくは魔術で組み上げられた合成獣。

「……って、おいおいおいおい!?」

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