わが家のかたがた
若月 はるか
第1話
金がみ銀がみ
お祭りをした方がいいのではないだろうか?……言い出したのは、引っ越し後、数日をかけて家の中を片付けてまわっていた母親のみことだった。
仏壇の方は、ほんの二年ほど前までこの家でひとり暮らしていた
なお、荷物を先に手配しておいて、母とふたり新幹線駅のある近隣都市から路線バスでこれから住む町まで…と出来心で試みたところ――母が、たまたまその日に町内の唯一のコンビニを有する道の駅の傍の施設で催されていた神楽会を見たがったため途中下車を試み、次のバスかつ日のあるうちから最終バスとなるバスの時刻を確認しておいたにもかかわらず、腕時計の電池切れにより乗りそびれ、自家用車がなくては立ち行かない田舎暮らしの洗礼を早々にまことに痛切に受けもした。
ひとが家に戻ったのだから……さほど信心深いわけでもないが、単にみことも子供の頃、年末にやってくる宮司の仕事を眺めるのが好きで、神棚には親しみを持って接していたらしい――祖父と、それから……おそらく、神社のどこだかに電話をしていた数日後の土曜日、これまでのいつもの時期ではないが取り急ぎ……と、
庭先に止めた軽自動車から小振りのキャリーバックを引き出しつつ降り立つ、黒い長羽織りをひっかけた浅黄袴姿は、神職と言えば観光で訪れた大きな神社の境内でしか見かけたことのない堯之からすると少々ちぐはぐに思われるとともに、なるほど時代や生活と地続きであるのだと、妙な感動を覚えさせられた。
「神棚の奥に、ご本体がいらっしゃるはずですので、お出ししていただけますか?」
神棚にあった金の幣束と銀の幣束、それから台所の棚の元はなにがしかの色の付いた紙が重なっていたと思われる色褪せた幣束――ひとまず、客間でもある六畳間の床の間に間に合わせの祭壇をもうけて並べておいたそれらを見て、まず一番に依頼する真砂の指示に従って、てっきり背面の覆いだと思っていた木板に触れると取り外せる作りになっていた。
「こちらの金銀の方々は、奥にいらっしゃる方々の露払いでいらっしゃるんですよ」
木板を外した奥の隙間に立てかけられていた白い二体の幣束は、陽にこそ焼けてはいなかったもの、やはり少々黄ばんで脆くなっているように思われて、取り出す手つきも自然と慎重になろうもの。
「ありがとうございます」
それもさておき、両手で受け取る真砂の気持ち見上げる視線で得心したが――なるほど、この指示は別段、家の者以外は神棚に触れてはならない…などという伝統だとかしきたりだとか曰くだとかの話ではなく、彼より堯之の身長が高いが故のことであったらしい。
とはいえ、真砂青年も堯之とそう年頃の変わる様子ではなく、その世代の男性としては縦にも横にも平均的な体躯ではあろう。これについては、堯之の背が平均より若干高いだけのことである。堯之本人にすれば、背が高いと言うだけで、なぜか運動に秀でているものと思われ、勝手に期待されては失望される経験を繰り返させられてきたせいもあって、実のところ随分なコンプレックスでもあるのだが。
一方、真砂については堯之も今日、二度目に会って初めて気が付いた――思えば、先日の彼は神楽公演の手伝いをしていたから……と、汗留めの手ぬぐいを巻いた上から夏物のニット帽を被っていたせいで、気付かなかったのも道理だろう――解けば、肩より少し長いくらいだろうか?……後頭部で、ひょこり…ひとつにまとめやられた、手のひらの長さほどのしっぽが揺れていた。そのくらいの長さであれば、昨今のきらいを持ち出すまでもなく、多少の無精を決め込めば珍しい長さでもないのかもしれないが、見たところ無造作に縛ってあるものの傷みのある様子も雑に扱っている気配もないので、やはり自覚的に伸ばしているのだろう。祭りを務めるに烏帽子を被るとあれば、そうやって縛って持ちあげてしまう方が、襟足のまとまりが良いとの意図もあるのかもしれない。
「蔵や納屋にもいらっしゃると思うのですが……そちらはまた改めてということで」
祖父が施設に入って以降、伯父たちが時おり様子を見に来ていたとは聞いていたし、この度の入居に先立ちあれこれと手入れや修理を手配してくれていたのだが――さすがに蔵や納屋は締め切ったままだったようで。床や天井の具合が不安であれば、越して来たばかりで不案内な堯之が踏み込むのには荷が重かろう。
それから、二時間ほどかけて――真砂の手により、五体の幣束は新調された。お茶を持ってきたみことも子供の頃、毎年、宮司の手作業を斜から眺めていたのだと――そのまま居座って、かつて訪れていた真砂の祖父との思い出を語りやりつつ、楽しそうに真砂青年の手元に見入っていた。
父の死後、気丈に振る舞ってはいたものの身体を壊しがちになってしまった母だった。本人から、いくら心配ないと言われても――当然、放っておけるものではなく、むしろ自分が保護者のつもりで付いてきたのだ。であれば、年甲斐ないと自嘲しつつも嬉しそうな様子は、堯之にとっても嬉しいものだ。
もっとも、蛙の子は蛙のようで……堯之自身、小刀が入れられ手際よくたたまれ、幣束の形作られていく様子は、幼いころ同様に興味深く目が離せないでいたわけでもあるのだけれども。
「そんなに見詰められると、緊張しますよ」
真砂青年の抗議は、おどけた口調のわりに案外、本気だったかもしれない。
そうして、五体の幣束を簡易な祭壇に立ち並べ、古いそれを半紙に包み祭壇脇に降ろすと――格衣と烏帽子を纏い居住まいを正した真砂が笏を手に深々と頭を下げ、この家だけの祭りが始められる。
祝詞は、よくよく耳を傾ければ――意味を聞き取るに難くない。多少、古めかしい言葉が使われるため、聞き馴染みがなければ完璧に追いかけるのは難しくはあるが、祭る神々の名を挙げ――家内安全傷病快癒、家の者の幸いが願われていることは理解できた。
ぱーん……!
やがて、細い撥が張りつめた鼓面の皮を震わせる。
成人男子らしく決して高くはないが良く通る――しかし、穏やかな真砂の声が、テンポの良い太鼓の音に乗る。太鼓の音は、開け放たれた部屋と縁側の隅々まで広がり――ともすれば、鼓膜や肌の覚える圧力だけを残して、静寂を感じさせもした。
小一時間ほどだったろうか――撥を置いて、笏を手にする真砂に促され、まず二礼。それから一端、笏をおろした彼が手のひらを合わせ、わずかに右手を引く仕草を倣って、二拍手。最後に、再び笏をとりあげた彼とともに一礼をして、祭りは終わった。
「よくお参りでした」
堯之たちに向き直って、今一度深々と頭を下げて――それから、ふぅ……大きなため息をつきながら肩を落とした真砂は、堂々とした司祭ぶりに思えたわりに実は随分と緊張していたのだろうか。
「ちゃんと、できてたと思われます……?」
「ありがとうございました」
苦笑する真砂に、こちらも礼を返して――それから、やっぱり自分の方も緊張にのまれてしまっていたようだと……膝を崩した堯之の方も苦笑が浮かぶ。
「こういうのほとんど初めてで――俺の方こそ、なにか粗相があったら、すみません」
余所行きに改まった風で恐縮してみせる見慣れない息子に耐えかねたのだろう――んぐっ……咳き込むように、みことが噴き出した。
「そしたら、名残惜しいけど――母は、先に休むね」
祭りの後は、祭壇に備えたお神酒をおろして――ささやかながら宴を催し、さすがに酒が入ってしまえば翌朝に車を取りに来ることにして徒歩で帰宅するという真砂に、無駄に徒歩で往復せずとも朝まで寝て帰ればいいと勧めたのは、みことだった。古い田舎の平屋家屋であれば街中のコンパクトなマンションなどと違い、家の者の寝室の隣に客間があるようではなく――もっとも、この家の場合の客間は主に、現在は簡易な祭壇とかしている床の間のあるこの六畳間を指しはするのだが、それはさておき……時代と生活様式に合わせてあれこれと手の加えられた家屋は、納屋の一部を改装した台所付きの離れの他に庭にも和洋二間の二階のついた車庫とを持ち合わせてもいる。そこに現在、ふたり暮らしであるのだから、若者ひとり寝るに気兼ねを要求するような環境ではない。加えて、真砂の身元も本人のひととなりもしっかりしているとなれば、さほど酔っている気配はないとはいえ、成人男子の足で二十分ほどかかる夜道を帰らせるのは大いに気がひけた。
「では、図々しくお言葉に甘えます」
いやいやしかし、そうは言いましても……二度三度遠慮しながらも意外とあっさり折れた真砂は、堯之に後を任せてみことが退散したのちに告白したところによると――田舎の常として二十代半ばの若者が極端に少ないこともあり、堯之に探りを入れる機会を伺っていたとこであったらしい。
「探り…って、大袈裟な――」
苦笑する堯之に対し、曰く――地域の催しに加え、近年では祭りも昔からの氏子だけではままならぬとのことで、新参者が町の文化に興味を持ち手を貸してくれる若者であるか否か……真砂ひとりの関心というわけでもないとのことであれば。
「俺も――来月から中学校、高校とお世話になりますけど……学校現場って、あれはあれで狭い世界なんで――正直、どうやってご近所に馴染んだものかと思っていたところでした」
馴染むつもりはあるので、借り出してやってください……一度、居住まいを正して頭を下げる。この辺りの生真面目さはよく、長身と相まって何か武道をやっていたものと誤解されがちではあるのだが――単に、両親譲りの癖のようなものである。
「はい。喜んで! ありがたく、お手伝いお願いにあがります」
居酒屋のような承諾を返した真砂も――ぺこり…少々芝居がかった幼げな仕草で頭をさげて。
あげた顔を見合わせて、同時に浮かぶのは照れ笑い。
「じゃぁ、まぁ――改めて」
「よろしくお願いします」
飲むうちに、清酒からビールへと変わっていたグラスを軽くぶつけ合う。
それから瓶二本を空けるうちに、互い敬語の崩れきるまでには至らないまでも、気付けば真砂の一人称が「わたし」から「おれ」へと変わり――今さらだけど……と、フルネームを『真砂はるき』と名乗った。
「氏子さん方からは、『はるちゃん』って呼ばれてます。子供のころから知られているので」
それは、堯之にもそう呼べということだろうか?……二十歳を越した身で、いきなり同世代の同性をちゃん付けするのは、ハードルの高いような気がしなくもなかったが――顔に出ていたらしい、けたけたけた……アルコールのせいで笑い上戸になっていると思しき真砂が声をたてて笑ってみせる。
「そのくらい気軽にどうぞ…ってことです。おれは、『タカユキくん』って呼びますから」
そういうことなら……と、ファーストネームに敬称付きで呼ぶ旨を返せば、満足げな笑みで首肯する。つらつらと語られたところによれば、真砂姓では宮司を務める祖父をはじめ、お宮の手伝いをしている伯父夫婦もいるため、時に紛らわしいことがあるのらしい。とはいえ、こうして二度目に会った堯之と機嫌よく飲み明かそうとしているあたり――単に、人懐こいだけという可能性も高いわけだが。
いずれにせよ、さほど社交的とは言えない堯之にとって、真砂はるきという青年は気づまりな人物ではなく――この時点で既に、充分好感にたる人物であった。
「消えちまうかと思った……」
「だから、みことなら思い出してくれるって言っただろ?」
「でも、危なかったのは本当じゃねーか? お前だって、まだ顔色悪いぞ」
決して大声ではないが潜めているようでもない声がして――堯之は、意識の浮上を自覚した。
目蓋越しに、おそらく灯ったままの蛍光灯の明かり――それから、片頬に体温でぬるまった硬いテーブルの感触があって。しまった……どうやら、はるきと斜向かいで飲んでいるうちに寝てしまっていたらしい。
「そう思うなら、おれにも注いでよ」
「はいはい。はい、どーぞ」
そんな自身の状況把握はさておき――続く会話と、立ち動く者のかすかな物音。
どうにも杯のまわっている気配がしなくもないが……それでも、声の主はどちらも声がわりするかしないかのローティーンの高低を思わせて。
いやいや、さらにその前に――近年は田舎でも夜には施錠をするよう、転居の手続きの際に役場で指導され、そこそこの都会暮らしを経験していた身としては素直に従うのも特別な苦にも思われなければ、日の暮れるころには縁側も玄関もひとまず鍵を確かめる習慣にしている。さらには、裏口に至っては、戸が軽く――放っておくと野良猫が勝手に開けて入ってくることもあって、開け閉めのたびに律儀に鍵をひっかけることにしているくらいである。
もちろん、世にあふれる話を聞かされるにつけ、鍵の存在に全幅の信頼を寄せているというわけでもないのだが……それにしても、鍵を破っての侵入とは――聞こえてくる会話も声色も相いれそうにないことこの上なく……。
夢、かな……?
それにしては、テーブルの天板の縁にあたっている鎖骨あたりの痛みや少々しびれを覚えつつある足の感触が生々しくはあるのだが……?
あれこれ考えていても仕方がない――ともかくも、ゆっくりと目蓋を開いて……視線だけで伺いやるには。
あ。やっぱり、夢だ――。
寝ぼけていたとしても断ずるに容易い――目を向けた先、五体の幣束を掲げたままの簡易的な祭壇を前に……二重の意味で小さな人影がふたつ。
まず、ふたりは――古典文学に見るような装束を纏った、少年だった。
ひとりは、
今ひとり、こちらは銀鼠色の水干姿で――切れ長の目元が印象的な繊細そうな容貌は、口調や仕草がともなわなければ、少しばかり声のかすれた男装の少女と思ったかもしれない。相棒の癖のある金髪と相対するかのように――腰まで届く真っ直ぐな白銀の髪を襟足でひとつにまとめて背中に流している。
そして――彼らは、大きな一升瓶から、彼らにとっては丼のようなお猪口になみなみとお神酒を注ぎ分け、飲み交わして……。
「っ……?」
危うく咽喉をついて出かけた声は――きゅっ…手を握られる感覚によって遮られた。
視線を転じれば、同じようにテーブルに頭を預けた、はるきの瞳が見詰めていて――。
ちらり…床の間の前の人形のようなサイズの少年たちと堯之とを交互に見やって、小さく頷いて見せるのは――動かずにいろという指示なのだと理解した。
瞬きで了解の旨を伝えると――彼に倣って、また見知らぬ金と銀の組み合わせを見守る。
互い呼び合う声を聞き取るに、わかりやすく――金髪の少年はこがね、銀髪の少年はしろがねという名であるらしい。
というか……これ、夢……じゃないのか?
山に囲まれた田舎の夜の空気の肌寒さと、掴まれた手の温度さえ感じとられるようであるからには――よもやまさか……。
息をひそめて見守る先で、やがて――すっかりお神酒を飲み干して、巴を作って眠ってしまったらしきふたりの様子に、ようやくはるきが手をほどく。
静かに身を起こす――その間にも、少年たちの姿は薄れて消えて……。
「あぁ。すっかり飲み干されちゃいましたね……」
立ち上がり、祭壇の前の一升瓶をとりあげて肩を竦めるはるきの向こうで、金と銀の幣束が蛍光灯の白い光を弾いていた。
なにをどう訊いたものか言葉に迷う間になにをか得心したらしいはるきに問うタイミングを逸したまま――翌朝、帰宅する彼にさらりと指示されたとおり、就寝前に神棚に杯一杯分の酒を供え続けてひと月半。杯は、毎朝きっちり空になっていて――あの夜に見た光景は、やはりどうあっても夢などではなかったらしく。
「タカユキくん、気に入られたんですよ」
その後、どうですか?……問われるままに応えれば――よかったですね……にこやかに言祝がれるのには。
「そういう感じでいいものなんですか?」
それは確かに、神棚にいるものなのだろうし――あの夜に見守った様子から思えば、悪いものではないのだろうけれども……。
「いいんじゃないですか? うちにいるものと家に住む者と――良好な関係であるに越したことはないと思いますよ、おれは」
そうして、神職にある新しい友人は、あっけらかんと言い放つ。
金と銀の彼らが、再び堯之の前に現れるのは――その二週間後の夜のこと。
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