黒い玉

@atta-k

黒い玉

男はただ一人、山道を歩いていた。疲れ果て、傷も負いながら、槍を杖の代わりにして一歩ずつ進む。




安物の鎧はとうに脱ぎ捨てた。体はあちこち痛むが、歩けないほどではない。追手の姿ももはや見えず、戦には敗れたが何とか助かった命を大切に胸に抱いて、ただ、故郷の村を目指す。




山の斜面を這うように続くつづら折りの登り道を登りきると、見晴らしのよい平らな尾根道に出た。


ふーっ、と大きな息をついて、なだらかな尾根道を歩き始める。




しばらく歩いた時、男はふと、道ばたに何かが落ちていることに気づいた。


にわとりの卵ほどの大きさの、黒くて丸い、何かのかたまりだ。


男は直感的にそれが石ころや小動物の死がいなどではないと判断した。




では何なのか。男はおそるおそるその黒くて丸いかたまりに近づき、身をかがめて、指でそれをつまみ上げた。


かすかに温かい。


手の平の上に乗せてみる。震えているようだ。




オイ。




男は、黒玉に声をかけた。




オイ、オイ。お前、生きてるのか?




手の平の上の黒玉を指でつついてみる。やわらかく、つつくともぞりと少し動いた。




はー。




男は驚いて目を丸くした。生きているらしい。




男は黒玉をしげしげと観察し、高くかかげて日にかざしてみるなどした。やはり生き物ではあるのだろう。そしてひどく弱っていて震えている。


元の場所に戻し放置して立ち去るのは良心がとがめた。




男は杖の代わりにしていた槍を惜しげもなくホイッと道ばたの草むらに放りこんだ。両手で黒玉を大事にそっと包み、よろよろと再び歩き出す。




あの。




かすかにそんな声がした。




あの、ちょっと。すみません。




男はギクリとして立ち止まり、あたりを見回した。人影はない。




すみません。どうしようとしてます?




声は、黒玉から聞こえて来た。男は黒玉に耳を寄せた。




どうしたいんですか?




声は黒玉から聞こえていた。しかもちょっとイラついている。




お前。しゃべれるのか。




それに対する返事はなかったが、黒玉はしゃべった。




元のところに戻してもらえませんか。




男は、黒玉が生きており、会話もできるほどであることを認識して、無意識に背すじを伸ばした。




すまん。失礼なことをしてしまったのなら、すまん。しかしお前、震えているではないか。どこか具合が悪いのだろう?




わたしはもうすぐ消えてなくなります。だからそのままにしておいてください。




その言葉とは反対に、黒玉は拾った時よりもひと回り大きくなっているように見えた。


そんなに具合が悪いのか。


男は同情して眉をひそめ、しばらく無言で黒玉を見つめた。




だがお前、あんな道ばたで死ぬことはない。もっと落ち着ける静かなところへ行こう。本当にもうすぐ消えてしまうのなら、おれが弔ってやるから。




黒玉がモゾッと動き、小さな丸い目が2つ、パチリと開いた。


2つの目はじっと男を見つめた。




わたしを弔ってくれる?




声はこれまでより生気を帯びて、はっきりと聞こえた。女性、もしくは子供の声のように聞こえる。


男は再びゆっくりと歩き始めた。




そうだ。最期ぐらいは安らかに。野ざらしの死体はかわいそうだ。もう少しがんばれ。




ああ。ありがとうございます。




やがて平らな尾根道は終わり、下り坂が始まった。




合戦に敗れ、ただ逃げるばかりだった男は、黒玉のための安らげる場所を見つけるという目的を得て、力を取り戻した。軽快に山道を下っていく。




幸いなことに、川のせせらぎの音が聞こえて来た。男は音を頼りに草をかき分けて進み、小さな沢にたどり着いた。




河原のなめらかな丸い石の上に黒玉をそっと置く。それから沢を流れる水を両手ですくって飲んだ。よく冷えており、疲れた男にとっては、飲み始めると止まらないほど美味な水だった。




ひと心地つくと、男は丸石の上に乗る黒玉と向かい合うように、自分も石のひとつに腰かけた。




どうだ。どこか苦しいか。




いいえ。どこも苦しくありません。水の音っていいですね。




黒玉は、さっきよりもさらに大きくなっていた。2つの目にも生きた光がある。




お前、本当に消えてなくなろうとしているのか。




はい。消えてなくなります。




男は腕組みをし、ふーむとうなった。消えてなくなるとはどういうことなのかよくわからない。


しばらくの沈黙のあと、黒玉のほうから言った。




わたし、存在している価値が無いですから。




語り始めたその声は、今はほぼ女性の声だと判別できた。




存在している価値が無いのに、ただ苦しいことだけが続きます。何かしようとすれば、いつも周りの人たちにいやな思いをさせます。




そうか。どこも苦しいことばかりだな。




男は戦場の光景を思い浮かべつつ、小石をひとつつまむと、沢を流れる水に向かって投げた。チョンと小さな水音がした。




黒玉は男に向かって2つの目を見開きながら言葉を継いだ。




ただ苦しむために生きるって意味ありますか?生きていれば生きているだけ苦しい。何の価値もないのに生きていこうとするのはおかしいですよね。だからわたしは消えてなくなります。




生きていこうとするのがおかしい?




はい。




生きていくのがおかしい、か。




はい。おかしいし、生きていたくない。生きていかなければいけないのだとすれば、全く納得できません。そんな義務ないもん。




いかなければいけないわけではないだろうけどなあ。




だからわたしは消えます。もうだいぶ小さくなってるでしょう。きれいな闇に包まれていく感じわかりますか。とても安心します。




でもお前、最初のときよりだいぶ大きくなってるぞ。




そんなことありません!




黒玉は丸い体をゆさゆさと揺すぶって抗議した。




へんなこと言わないでください。わたしは闇に帰るの。もう戻りたくない。ほんとに生きていたくないのです。意味ない。わたしはわたしを滅ぼしてしまいたいの!




力強くそう言い切ると、黒玉から細く小さな2つの手と2つの足が、勢いよくぴょこんと飛び出した。




きゃっ。




黒玉は恥ずかしそうに、小さな手足を縮めた。




おお。まるでおたまじゃくしのような!




男は思わず笑顔になった。この黒玉は、消えてしまいたいというが、語るごとに生気を増している。最初は手の平に乗るほどだったのが今では小ぶりなかぼちゃほどの大きさになり、2つの目には光が宿り、声にも力がある。


ただ、それきり黒玉は沈黙した。




男が語り始めた。




おれは今日の朝、戦場にいた。三島の殿様に駆り出されて合戦に出ていたんだが、おれたちの軍は大負け。戦場から逃げ出して、敵の大軍が追いかけてくるのを何とか振り切って、ここまで来た。敵の軍勢の姿が見えなくなって、もう大丈夫だとわかった時、むしょうに嬉しかった。まだ生きてるってことが、これ以上ない幸運だし、すごい幸せだと思ったんだ。ほんと、ただの野山が光り輝いて見えた。極楽浄土みたいにな。まあもっとも、しばらくするとそのむしょうに嬉しい気持ちは薄れて消えた。あちこち怪我もしてるし、腹は減るし、ふるさとはまだ遠い。いろいろ辛くなってきた。けど、生きていられるのは本当にありがたい。命がまだあるってことは、ありがたい。その実感は残っている。




黒玉は小さな足ですくっと立ち上がった。




それは、あなたはそうでしょう。わたしは違います。




男は思わず声を立てて笑った。丸い黒玉が小さな足で立っているこっけいさと、発した言葉の堂々たる響きが何ともちぐはぐで、可笑しかった。




笑うんですか!何がおかしいのよ!




怒りを発した黒玉は、さらに大きくふくれあがった。




ああいや、すまんすまん。笑ったってわけじゃないだ。ちょっと可笑しくて。




意味の通らないことを言いながら、男は両手をひざについて、よっこらしょと立ち上がろうとした。


が、よろめいた。




まだ、体のどこにどの程度のけがをしているか、自分でもよくわかっていない。普通に立てると思ったが、予想外に右ひざに力が入らなかった。




おっと、おっとと。。




転倒しそうになるのを、なんとか持ち直し、しかしまたバランスを崩して、よろめき歩く。




あっ。




よろめいた先には川があった。男は河原の石につまずき、川に落ちそうになった。




危ない!




黒玉は、叫ぶと、瞬間、その姿が人間の女に変わった。




女は男に飛びつき、すがりつくようにして男を河原へ引き倒し、川への転落を食い止めた。




男はすぐに上体を起こした。




はー、危なかった。




女を見ると、真っ白な死装束に身を包んでいる。歳は若く、二十歳前後に見えた。




女は河原に突っ伏して叫んだ。




あー!元に戻っちゃったー!もおーーー!




男はきょとんとして女を見つめた。なぜか笑いがこみあげてきたが、笑うとまずそうなのでこらえる。




それからさらに二人はしばらく語り合った。男は女に、もといた場所に帰るよう勧めたが、女は、どうしても帰りたくないという。さらに、苦労して消滅の秘法に身を委ねたものを、無駄にしてしまったことについて、責任をとれ、と迫った。




男は、力強く立ち上がり、淡い青空を背景にして、怒る女を見下ろした。




ならば、おれと一緒に来い。おれの村に、お前を迎えよう。




男を見上げた女の目が明るく輝いた。しばらく何か思いをめぐらせたあと、女は、




うん。わかった。




と、返事をした。




オワリ

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