末法の荒凡夫
@atta-k
1.誕生と修学時代
まあまあ、座れって。
あんた、日蓮のおやじのこと、詳しく知りたいんだって?何でそんなにおやじのことが知りたいんだ。まさか念仏のやつらの回し者じゃねえだろうな?ま、そうだとしてもかまわねえけどよ。
もともと通夜っていうのは、死んじまった人のことを語り合うもんだしな。
あー、いいとも。日蓮のおやじのことなら何でも聞いてくれ。おやじのことを一番よく知ってるのは、何といってもこのおれさ。おやじと出会ってから十二年。十三年かな?なんせあの頼綱のクソ野郎がおやじの首をちょん切ろうとした時も竜の口の砂浜までついて行って一部始終を見てるし、そのあと、島流しだってんで佐渡ヶ島に渡った時も無理やり船に忍び込んでついていった。佐渡はいいところだったよ、冬はちいと寒かったけれども。それから身延の山ん中に引っ込んだ後も、炊事洗濯、馬の世話、文を持ってのお使い、あたりの偵察、おやじを世話して何でもやってきたんだ。
さて何から話すかな。最初っから話してやるか。おれが生まれるよりも前の話だってちゃんと仕入れてある。日蓮のおやじは、自分がガキのころの話から、修行の旅をしていた頃のこと、鎌倉に落ち着いて間もないころの話、なんでも話して聞かせてくれた。おれにはな!
おやじは安房の国の人だ。漁師の家の六人兄弟の二番目だったんだとよ。ご両親は、漁師とはいいながらも、なかなか教養のある立派な人で、そのあたりの地域のまとめ役というか、誰からも信望を集めて、頼りにされているような夫婦であったらしい。おやじの生家には、おれも一度おやじの使いで立ち寄ったことがある。ちゃんとした構えの大きな家だったよ。すぐ目の前が海でね。砂浜からの潮風がなんとも美味だった。
ご両親は、日蓮のおやじに学問をしっかりやらせようと考えた。利発な子で見どころがあったんだろうよ。それで清澄寺という、そのあたりでは一番立派な寺におやじを預けた。おやじが十二歳のころだ。
おやじは清澄寺で、読み書き、算術、歌の作法なんかを習った。同じように学問していた周りの子供たちの中では、まずまず真ん中ぐらいの出来栄えだったそうだ。もっとも一番得意なのは駆けっこと相撲でね。大人とやっても負けなかったんだとよ。おやじの相撲好きは、あんたも知ってるだろう。相撲はよくやった。佐渡でも身延でもみんなで相撲をとって、番付表も作ったからね。佐渡に行く前あたりまでは、おやじには誰も勝てなかったなあ。金吾のだんなも、あのでっかい椎地の四郎さんも、得意の下手投げでポイさ。情けない、もっと稽古しろと叱られてたっけ。身延にこもってからは、まあ、おやじも体が少し弱ったし、若い連中も増えて、おやじのほうが転がされることもあったけども。転がされるとまた嬉しそうに笑うんだ。
ああ、最初から坊さんになるために寺に入ったわけじゃないよ。学問するために行ったんだが、もちろん仏法も学んだ。経典を読めるようになると、それに夢中になった。そこらの、葬式の時に読むだけで意味はまるでわかってねえ坊主どもとは根本から違うんだ。なにしろ清澄寺の蔵に納めてある経典を片っ端から読みあさった。
それで、仏法というものに感激もしたし、だが、こりゃおかしいなと疑問に思うところもたくさんあった。だから、本格的に出家して、仏法を究めることにした。道善、という坊さんを師匠として正式に出家したのが十六歳の時よ。
で、あんた、仏法ってのはそもそも誰が説き始めたものか知ってるかい。そう。お釈迦さんだね。二千年以上も昔、遠い遠い、漢土よりずっと西の、
ところがだよ。あんた。奈良の大仏ってのは、あれは何だい。え?なんだ知らねえのか。あれは、
浅草寺の本尊は
しかし、本家本元、元祖の元祖、一番肝心な釈迦仏をしっかり敬って拝んでるやつはとんと見かけねえ。こりゃ一体どうしたもんかなあ。
世間を見れば、地震は起きる疫病は流行る、飢饉になる、それだってのにお偉い人たちは、朝廷と幕府が京の都で合戦したり、将軍が暗殺されたり、家来同士がケンカしたり、北条家の中でさえ、親兄弟で争って、血のつながった一族同士で処刑だの追放だのやり合ってる。そんな時こそ、仏法ってのは、争いをやめさせたり、災害に遭った人たちを励まして、安心して生きていけるようにしていくもんだろう?
ところがどうだい。手を合わせて拝む仏からして、阿弥陀だ観音だ、いや大日如来だ薬師如来だ、あれやこれや何やかや当てずっぽうだよ。仏法どころか当てずっぽう、てな!
うん。ま、日蓮のおやじはそんなザマを見て、こりゃどうにかしねえとまずいぞと思ったのさ。賢者なり聖人なりが現れて、導いてくれれば助かるんだが、そういうのもどうやら現れて来ない。となれば自分が何とかするしかねえ。おやじは清澄寺の
【日蓮は安房国東条郷清澄山の住人なり。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云わく「日本第一の智者となし給え」と云々。】
ただ、清澄寺は格式高い立派なお寺だけど、なんせ東国の片田舎だ。仏法を学ぶにも、経典も学者も少ない。師匠の道善さんは、人柄はよかったが、仏法に関しちゃ平凡な人で、他の坊主たちと同じく念仏やったり印と真言がどうたら言ったりしている。おやじは、すぐに学ぶのに物足りなくなってきた。
そこで、鎌倉はもちろん、はるばる京や奈良まで修学の旅をした。十七歳のころに清澄寺を出て、戻って来た時には三十になってたそうだから、ゆうに十年以上、あちこちで修行したんだ。
いろんな土地の寺が秘蔵している貴重な経典を読んだり、たくさんの人と交流して、今のこの国の人たちの苦しい暮らしをその目で見たり。そんな中で、日蓮のおやじは、どうやら本当の仏法ってのはこれらしいぞってのを見極めた。
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