叶わぬ願い

染井雪乃

ぬばたまの

 水無月みなつきは、ぼそりと呟く。

「ぬばたまの……」

 目の前の男が振り返って、「博識なことで」と無表情に水無月を褒めた。

 銀世界のなかのブルーサファイアのごとき水無月とは真逆に、艶のある黒髪を伸ばし、闇そのものの瞳をした男は、水無月にソファを示した。

 特に反抗することもなく、すんなりと座った水無月に少々の驚きを見せ、男は名乗った。

紫月しづき綾斗あやとだ。……元医者で、今は牢獄の住人」

「水無月はるか。北海道出身、十五歳」

 まじまじと水無月を眺め、紫月は首を傾げた。

「聞いた話じゃ随分危険な少年だってことだったが、そんな気はしないな。おまえ、いや、はるかちゃんさあ、なおちゃんとこで暴れたんだって?」

 唐突に「はるかちゃん」などと呼ばれたことに戸惑いを見せ、水無月は事実を肯定する。

 直ちゃん。水無月を保護し、監視する存在、伊月いつき直。

 水無月が嫌悪し、恐怖する存在だ。

「それは、そうなんですけど」

「捕縛のときに何かあった感じか。まあ、能力に慣れてない時期にあれは、それなりにきついんだよな」

 紫月は一人納得し、立ち上がってコーヒーと紅茶を用意し始めた。

「はるかちゃん、紅茶派だって聞いたから、紅茶にしとくな」

 そもそも飲むか否かを聞かないあたり、紫月も相当に自分のペースで生きている。

 アパートの一室のようだけれど、中からは鍵を開けられないこの部屋に一人閉じこめられていれば、気遣うべき他者もないのだから当然か。

 少々失礼な納得をして、水無月は紫月の後ろ姿をぼんやり眺めていた。

 紫月は、セーターにスラックス、その上にどういうわけか白衣を羽織って、長い黒髪を後ろで簡単に結っている。

 髪を伸ばす意図が水無月には想像がつかなかった。首回りを髪が守ってくれることで防寒にはなるけれど、肩を覆い、腰まで届きそうなほど伸ばす意図は不明瞭だった。

 

「ほい、できたぞ」

「ありがとう、ございます」

 淹れたての紅茶を受け取り、水無月は紫月を眺めていた。

「何だ、見惚れたか?」

「見惚れることもあるかもしれませんね。紫月さんは、綺麗だし」

「嘘つけ。おまえは人間をゴミか何かだと思っているだろう」

 水無月の感想を、紫月は容赦なく切って捨てた。

「……綺麗だと思ったのは事実です。でも、そうですね。自分以外をどうとも思っていないのも事実、です」

 水無月は紫月の指摘に動じることもなかった。

 はあっと紫月はため息をついた。

「こりゃ、重症だな」

「何が、ですか?」

「……こっちの話」

 水無月は紫月を見つめながら、紅茶を飲み、砂糖をいくつか入れていた。

 ブルーサファイアの瞳が、温度のない視線を紫月に向けていた。

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