魔法使いくん

 翌朝、霊の残した文字の件について、国王様に降霊会の結果を伝えることになっていたが、ロスーン国王の不安を煽るだろうとエルベルトに言われ、引き続き調査中という報告にとどめた。

 エルベルトの判断は正しいと思った。ユーリ自身だって、霊が血のような赤い文字で言葉を残したなんて言われたら大騒ぎすると思う。


(僕は、この先、どうしたらいいんだろう)

 降霊術課の部屋で、書き物をしていても、ずっと上の空だった。せっかく、エルベルトが帰ってきてくれて、これでもう心配なことはなくなったと思っていたのに、あの日以来、ずっとテオのことばかり考えている。

 降霊術師で国を守る使命を背負っているのに、重大な事実を隠すなんて間違った選択をしていることは分かっていた。

 多分、自分は、本当にテオが隣国と通じている国家に仇なす人間だったなら、殴ってでも正しい道に引き戻したいのだ。


 それが、兄弟子としての務めだから。

 ――けど、まだ、そうと決まったわけじゃない。

 とにかくテオと話をしようと決意した。

 宵の口。ユーリは先日から体調が悪いテオのお見舞いを口実にして、ランタンを片手に近衛兵たちが住む宿舎を訪ねて行った。はずみをつけて宿舎の前まで来たものの、赤煉瓦造りの建物を見上げたまま立ち止まっていた。扉の前で、どうしようか迷っていると、突然宿舎の扉が外に向かって開き、兵服を着た青年が出てきた。


「おっ、噂の凄腕魔法使い君じゃん」

「え、いえ、魔法は使えないんですけど」

 ユーリは大きなその体に見下ろされて言い澱む。テオも背が高い方だが、兵服の男はそれをゆうに超える巨漢だった。さっきまでの勢いは、しおれて萎縮してしまう。

「あー、そうなのか。国一番の術師だってテオから聞いてたからさ。ごめんごめん」

 自分と年齢の変わらない、気のいい大男は、どうやらテオの友人らしい。

「あ、あの! テオに会いに来たんですけど、中入ってもいいですか?」

「え、テオなら、ついさっき外に出掛けて、今日は帰らないよ。外泊って言ってた。あいつ、一人で住んでる父親が心配だからってよく宿舎出て家に帰ってんだよ」

 ユーリはそれを聞いて頭の中が真っ白になった。

 テオが孝行な息子なのはユーリも知っている。けれど、父親が理由の外泊は嘘だ。

 テオの父親は、数年前から、遠くの親戚とともに暮らすようになったので、王宮のある場所から、すぐに会いに行ける距離にはいない。


「ん? テオがどうかしたのか? なんか言伝あるなら、帰ったら伝えておくけど」

 なんでも知ってると思っていたのに、幼馴染の知らないことばかりが増えていく不安に戸惑っていた。

 出掛けたのがついさっきならまだ追いつけると思った。ユーリは、挨拶もそこそこにその場から走り出す。

 宿舎の居心地が悪く、外泊を重ねているだけという可能性もあったが、体調が悪かったはずのテオが外に遊びに出かけるとも考えられなかった。一つしかない王宮の門へ向かって走っているうちに、雲行きが怪しくなり、ぽつぽつと頬に雨粒が落ちてきた。

 建物の正面まで辿りついた時には、雨は本格的に降り始め視界が悪かった。それでも見間違えるはずがなかった。

 枯草色のズボンに白いシャツだけを身につけて、部屋からそのまま出てきたような格好だった。


(……テオ)

 背を少し丸め、ふらつきながら歩く姿は、一目で体調不良だと分かる。ユーリは心の中で、このまま外へ出て行けば、自分の心配はただの早合点だと安心できるのにと強くそうなることを祈った。

 けれどユーリの願いも虚しく、テオは門の外へ向かうことなく、迷いなく東の塔の方へ歩いていく。

 ユーリはテオが進む方向を確認したあとも、テオを追う足を止めなかった。

 何か怖いことがあれば、普段の自分なら真っ先に頼れる誰かを探していた。守護霊のルルだって呼び出したかもしれない。

 何かあっても、降霊術課にエルベルトがいれば大丈夫。一人ぼっちの降霊会が怖かったら、テオに一緒にいて欲しいってお願いだってした。それが自分という人間だった。

 しかし、今日は誰かを頼るなんて選択肢は、少しも浮かばなかった。バラ園のいばらのアーチを抜け、細長い石壁の道を走っていくと、目の前にはだだっ広い草原が広がり、ユーリの肩の高さ程度まで草が伸びて風に揺れている。

 王宮の敷地内といっても、現在使われていない区画だ。

 そして、目の前の塔に続く草原は、誰かが何度も草を踏み歩いた跡が道になっていた。おそらく、昨日今日だけ通った跡じゃない。ユーリは降りしきる雨の中、テオを追ってその道を走り出した。

 もし、この先で何を見たとしても、ユーリはテオを自分の元に連れ帰るって決めていた。悪いことをしていたのだとしても、根っからの悪人なんてこの世には存在しないとユーリは信じている。――ユーリにとっての霊がそうであるように。


 目の前にそびえ立つ灰色の塔の鉄製の扉の鍵は壊れて開いていた。誰かが壊したのか、あるいは朽ちて落ちたのかは判断出来ない。

 ユーリは重い扉を押し開けて中に入った。

 入った瞬間、暗闇から低く重たい、うめき声のような音が聞こえてきた。

 けれど不思議なことに塔の内側からは、霊の気配があまり感じられなかった。

 こういった古く暗い場所は、必ずたくさんの霊がいるものなのに、一つの馴染みのある大きな気配を除いて、この建物自体が空虚な檻のようだった。

 ユーリはテオがいると思われる上階へ暗闇のなか、手持ちの明かりを頼りに進んでいく。

 崩れかけの螺旋階段はユーリが歩くたびに、石段が軋み割れる音がした。

 人一人が通れる階段を何度もつまづきながら、最上階までたどり着くと、奥には鉄製の格子がついた牢が二つあった。


 ユーリが牢のある奥へ進もうと足を踏み出した時、突然外から雷の落ちる音がする。小さな窓から稲光が中を照らす。一瞬、光に照らされて獣の影が見えた。

 ユーリはランタンを正面に向けた。

 けれど光に照らされて、はっきりと像を結んだ先にいたのは、テオだった。


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