第23話 桜庭家へようこそ①


 我が家から歩いて10分程の距離に佳南の家はある。

 以前訪れたのは俺が熱中症で倒れた時で、ろくに挨拶も出来なかったのが少し心残りだったのを覚えている。


 それにあの日は俺が"幼馴染みざまぁ"を行った日だ。

 そして佳南と筑波に情けなくも癒して貰った日。


 ……まだあの日から一週間も経ってないのに、もう既に懐かしいよ。


「……さ、着いたよ」

「ん……」


 ずっと手を繋いだまま、とうとう佳南の家の前まで来てしまった。

 

 佳南は依然として何を考えているのか分からない。

 

 と言うか、俺が意識しすぎなだけで佳南は普通に遊びたいだけなのかも知れない。

 

 ただ……


「佳南……さっきからどうしたんだよ。元気ないぞ?」

「……そんな事ないってば。私、ママに邪魔しないように言って来るからちょっと待ってて」

「お、おぉ」


 あ、やっぱり家の人居るのね。


 ……変な期待なんてしてないからね。本当だよ?


 佳南は2階建ての一軒家の玄関を開け、中へと消えて行った。

 特段変わったところはない普通の家だ。

 前は意識が朦朧としてたのと、帰りは暗くてよく見えなかったから、何となくまじまじと家を観察してしまった。


 ここで佳南は育ったんだな……。

 きっとすぐ近くに倉橋君の家もあるんだろう。


 これ、鉢合わせとかしたら若干気まずくね……?


 俺が少し周りをキョロキョロと見始めた時だった。


『ちょ、待って──』


 ん?何か家の奥が騒がしいような……?


 ガタガタと音を立てだした玄関に視線を戻すと、勢いよくドアが開かれた。


「いらっしゃーい♡あなたが佳南が最近よく口にする子ねー!!確か、バ要君♡」


 え……?待て──わっか……!!


 現れたのは20代と言われれば、まぁそうでしょうねと頷くくらいうら若い女性。

 ややハイトーンな茶髪で、血縁を感じさせる魅惑的なスタイル。

 タイトなサマーセーターははっきり言って童貞を殺す例のあれにしか見えん。


 ……これはどっちだ。姉か母か……いやお母さんだよな、さすがに……。


 ここで物語の主人公達なら「お姉さんですか?」ととぼけて喜ばせるものだが、あいにく俺はモブなもんでな。


「突然すみませんお母さん。たぶん、最近よく口にされてる者です。あと最後のは忘れて下さい」

「ふふっ、そこはお姉さんですか?って言うべきじゃないー?んーーー……っと要君♡」


 自分で言うんかい!


 危うくそう口にする所だった……。


「……さすがにこの流れでお母さん以外出て来ないでしょ……。いやでもお姉さんと言われれば信じますよ」

「あら嬉しい。佳南、あなたりっ君とは全然違うタイプを連れて来たのね」

「! も、もうママ!良いからもう戻ってて!」

「えーママもお話したいのにぃー」

「……俺は構いませんけど……」


 何だろう……このめんどくさーい感じの母親は。

 

 だが佳南の接し方で分かる。


 きっと娘を大事に育てて来たんだろうってな。


「ほーら佳南、彼のお許しも出たしお昼ご一緒しましょ♡」

「……ったく……」


 佳南は渋々といった感じでお母さんの提案を受け入れた。


「……要、悪いけどちょっとだけママに付き合ってあげて。ご飯食べたら二人きりになろ」

「あなた、よく母親の前でそんなセリフ言えるわね」

「絶対邪魔しないでね」

「あらやだ、避妊はしなさいよ?」

「ももも、もうっ!ママのバカ!!」

「……最悪だ……」


 なんなの……今日1日でまさか生徒会長を越える濃い女性の登場があるとか……。


 ほんと勘弁してくれ……。





「はーい要君、あーん♡」


 桜庭家へと招かれた俺はリビングへと通され、佳南とは向かい合ってテーブルに座っている。

 ……そして彼女の母親──暁美あけみさんは俺の隣だ。


 暁美さんはお手製のオムライスを俺の口へ運ぼうと、スプーンを差し出して来ているのだが──


「……要、それ食べたら殺すから」

「要君、これ食べないなら佳南と二人きりにはさせないわよ」

「あの、俺帰っても良いですか?」

『だめ』

「もうやだこの親子……」


 ──俺の心は既に折れ掛けていた。


 冷静になって考えたら、佳南の母親がまともな筈が無かったのだ。


 何故なら佳南の母ということは、モラハラ幼馴染みを育てた母親ということだ。


 この表現はかなり反感を持たれる言い回しだが、俺はこの親にしてこの子ありという言葉を今まさに痛感してしまっているところだ。少し許して欲しい……。


「も~早く食べないと冷めちゃうでしょ?」

「俺をからかって楽しいっすか……」

「うん、すっごく♡」

「クソ……最悪だこの人……」


 すっげぇ笑顔で俺をからかう暁美さんは、ため息を吐きそうになった俺の隙を見て、無理やりスプーンを押し込んできた。


「むぐっ!?」

「ど?美味しい?美味しい?カメカメ?」


 その言い方は色々おかしいだろ。


「んぐっ……お、美味しいです……」

「いえーい♡」

「なぁ佳南、お前のかーちゃん何とかならんのけ」

「無理よ……。私のママだもん」

「あー……分かった……」


 もう抵抗するのは止めて、暁美さんのオモチャになろう……たぶんその方が早い。


 どうやら佳南も似た結論に達したらしく、呆れたように席を立った。


「ごちそうさま。はぁ……ったく、もう良いわ……私、ちょっと部屋の掃除だけしとくから、要……気を付けなさいよ」

「え、ちょっと!俺を一人にするの!?嘘だろ!?」

「ふふふ~二人きりねぇカメカメ~」


 嘘ぉ……。


 佳南はそそくさと2階にある自分の部屋へと消え、俺は暁美さんと二人で向かい合う事となった。

 ちなみにオムライスはまだ結構残っている。


「……ふぅ、やっと上に行ったか」

「え?」


 暁美さんは佳南の気配が完全に消えると同時に、今までのおちゃらけた雰囲気から一転、娘を持つ母親の顔を作った。


「そう言えば、体の調子は良くなった?この前は挨拶する暇が無かったしね」

「え……えぇ、左手はこの通りですが」


 あまりにもいきなりキャラが変わったので少しどもってしまった。


 暁美さんは俺の左手を見て「まぁ」と言って顔を近付けてきた。


「男の子ねぇ。りっ君と違ってヤンチャさんみたい」

「ハハ……ソレホドデモ」

「でも体調は戻ったようで良かったわ。さてと……」


 指の事を詳しく語る訳にもいかず、少しだけ目を逸らすと、暁美さんは何やら姿勢を正して俺の両頬にそっと手を添えた。


「──要君」


 俺の名前を呼ぶと、暁美さんは優しい声で言った。


「佳南を救ってくれてありがとう」

「え……」

「ふふっ、とぼけないで良いわよ。りっ君と何があったかは知ってるから」

「!」


 この人は……知っていて佳南に何も言わなかったのか……?


 俺の心に最初に浮かび上がったのはそんな疑問だった。


 だがすぐに考えを改める。

 この人は親なんだ。何も全てを教えるのが教育じゃない。

 間違って傷付くのを見守る、そういう選択肢だってある筈だ。

 倉橋君の事を考えないのであれば、な。


「……佳南から聞いたなら分かるでしょ。俺はきっかけを作っただけです」

「へぇ……凄いわね、てっきりあなたは私を怒るのかと思ってたわ」

「暁美さんが佳南の暴走を止めていれば──ですか?」


 暁美さんは「正解」と言った後、懺悔をするように続けた。


「私はね、昔から仲の良いりっ君も大事よ。でも結局何を言っても自分の娘が一番可愛いの。あの子が成長出来る方法はこれしか無かったのよ……ごめんなさいね」


 この人が胸の中にどんな想いを抱えているのかは分からない。

 もしかしたら、今までも佳南の他人をかえりみない行動や言動が問題になった事があったのかもな。

 詳しく聞く気はないし、聞く権利も無いと思う。


 だからこそ言える事がある。


「あいつはまだまだ成長の途中ですよ。だから、これからも見守っててやって下さいよ」

「要君、保護者みたいな事言うのねぇ」

「……それ、最近気にしてるんであんま言わんで下さい」

「そうね、あなたには保護者でいられちゃ困るもの」

「どういう事ですか?」


 俺は言葉の真意が分からず聞き返したのだが、暁美さんはニヤっと笑うだけで教えてはくれなかった。


「案外鈍感さんなのかしら?りっ君とは違うタイプだと思ったのだけれど」

「俺は敏感ですよ?」

「ならただの臆病者?」

「うじうじと悩むタイプではありますけど……」

「にゃるほど。ふふ、これはからかい甲斐があるわ」

「……お手柔らかに頼みますよ」


 あまり手応えの無い会話をしていると、2階から佳南が降りてきた。


「何話してたの……?」


 それはもう不審そうに顔を歪めて聞いてきた。

 暁美さんは佳南に優しく微笑んだ。


「佳南の事をよろしくねって。そういう話をしてたのよ」

「べ、別によろしくされるような仲じゃないから!」

「佳南、そんなツンケンしてちゃだめよ。私がお父さんを落とした時は──」

「もーーー!!そんな話いいから!!私達上行くからほんと邪魔しないでよね!?」


 佳南はそう言うと俺の腕を無理矢理引っ張った。


「うぉっ、ちょ、引っ張んな!」

「ふふふ、ごゆっくり~♡」

「うっさい!」


 ……佳南の性格が歪んだのって絶対この人のせいだろ。

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