ただひたすら剣を振る、医務室でリトナの涙を見る。

「……うん。これでひとまず大丈夫そうかな」



 医務室の仕切りの向こう側から、おっとりとした女性の声が聞こえてくる。

 ここは学院敷地の南東側――職員棟にある医務室だ。



「一年生たち、もう入って来てもいいわよ。彼女の近くにいてあげて」



 その声に俺たちは顔を見合わせて頷いた。結局、エリカとオーガストも俺と一緒に医務室までやって来ていた。


 お前たちも処罰を受けるかもしれないぞと伝えたが、二人は聞く耳を持たなかったのである。よほどリトナが心配だったんだろう。



「かわいそうに。強いストレスを受けたのね……」



 ベッドに横たわったリトナの額に手を当てて、医務室の女性校医――ララ・ドゥネーヴ先生が呟いた。

 治療に何らかの回復魔法を使ったのだろう。まだ彼女の手には淡い光が灯っている。魔法の残滓ざんしだ。



「ねえ、あなたたち。可愛い生徒にこんな酷いことをしたのは誰かな?」



 俺たちの方を向いて、ララ先生は優しく微笑む。でも目が笑っていなかった。



「魔物生態学のフランツ先生です」

「ちッ。あのいけ好かねーお貴族様か」

「……ララ先生?」



 気のせいだろうか。一瞬、ララ先生の口調と顔つきが変わったように感じた。煙草を咥えようとする幻も見えた。



「あっ。ご、ごめんね~。私ちょっと席を外すから、彼女のことお願いしてもいいかな?」



 後ろ手に煙草の箱を隠し、ララ先生は「あは、あはは」と笑う。

 俺たちは顔を揃えて――二度、頷いた。



「安心して。すぐ戻ってくるから。ね!」



 最後にそう言い残して、ララ先生は医務室を出て行った。



「巨乳の癒し系お姉様だと思ってたのに……人は見かけによらねぇなー」

「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよ。それに、わたしはカッコいいと思ったけど」

「いや、でも考えようによっちゃ……アリか?」

「こらっ。妄想はそこまでにしときなさい」



 顎に手を当て真剣に悩むオーガストに、エリカがまたチョップを喰らわせる。

 その時だった。



「……ん。あれ? ここは……」



 リトナが目を覚まし、もそりと上体を起こす。



「リトナ! もう起きて平気なの?」



 すかさずエリカが抱き着いた。



「えっ! エリカちゃん?」



 リトナはわけもわからず受け止め、驚きの声を上げている。



「やめろエリカ」



 意外にもオーガストは冷静だった。

 暴走するエリカの首根っこを掴み、



「ったく、病人相手に何やってんだよ」



 彼女をリトナから引き剥がす。



「体はもう平気か? リトナ」



 見舞い用の椅子に腰かけ、俺はできるかぎり優しく声をかけた。



「……はい、もう大丈夫です。みなさんが医務室に連れてきてくれたんですか?」

「リトナをここまで運んできたのはギルバートさんよ。お姫様抱っこでね」



 と、エリカが俺の横っ腹を肘で小突いてくる。



「えっ!? お、お姫様抱っこですか?」

「いやマジで漢らしかったぜ、ギルバートのやつ。リトナちゃんを抱きかかえたまま堂々と学院内を走ってくんだもんな」

「すれ違う生徒たちがみんな驚いてたわよね」



 二人の話を聞いて、リトナは耳まで赤くしていた。



「すまないリトナ。俺なんかにお姫様抱っこされるなんて……嫌だったよな」



 今思えば軽率な行動だった。さっきは急いでいたこともあって、そこまで頭が回らなかったのだ。



「いい、いえいえ! ありがとうございました! 嫌じゃありませんからっ」

「そ、そうか? ならよかった……」



 俺は安堵の息を吐く。嫌われなくてよかった。



「うんうん。リトナも思ったより元気そうでよかったわ。それじゃ、わたしたちは二時間目の授業に行くわね」

「あっ。私も行きます」

「だーめーよ。あなたはもう少し横になって休んでた方がいいわ」



 エリカはそこで一度言葉を切り、「二人もそう思うわよね」と俺たちを見た。



「だなー。俺も次の授業は休んだほうがいいと思うぜ、リトナちゃん。ギルバートもそう思うだろ?」

「ああ、無理はよくない。そのうち校医のララ先生も戻ってくるだろうし、寂しくはないはずだ」

「……そう、ですね……」



 リトナは頷いて、俺たちに笑みを見せる。無理して笑顔をつくっているのが痛いほど伝わってきた。


 このままでいいのか? こんな状態の彼女を置いて、俺たちだけ授業を受けに行くのか?



「……リトナ、今から少し踏み込んだ質問をしてもいいか?」



 俺は意を決して、リトナと向き合う。



「……はい」



 小さい声だったが、それでも俺の目を見て答えてくれた。



「剣は、怖いか?」



 俺がそう問いかけると、リトナは肩を震わせた。



「……怖いです」



 やはりな、と思った。彼女の剣にはおそれれと迷いがあった。



「私は剣が怖いです、魔物が怖いです、戦うことが怖いです……」



 詰まりながらも、少しずつ言葉を紡いでいく。リトナの目には涙が溢れていた。



「本当は私……正騎士ではなくて、治癒士になりたいんです。でも、お母さんは私が騎士になることを望んでいて、期待をしてくれているから、なかなか言い出せなくて……」



 俺はその話を聞いて、回復魔法をかけてもらった時のことを思い出す。治してもらったのは学食でデュークにつけられた頬の傷だ。

 そういえばあの時、お礼を伝えたらリトナも嬉しそうだったもんな。納得した。



「そう、だったんだな。話してくれてありがとう」



 エリカは大粒の涙を流すリトナに寄り添い、彼女を宥めるように背中をさすっている。



「なぁ、リトナ。無責任かもしれないが言わせてくれ」



 そう切り出して、俺は言葉を続ける。



「本当の気持ち……しっかりとお母さんに伝えたほうがいいと思う。……リトナの人生は、リトナのものだ」



 授業終了のチャイムが鳴り響く中、俺はリトナに本音をぶつける。

 余計なお世話だったかもしれない。けど、言わずにはいられなかった。

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