ただひたすら剣を振る、そして何故か同居人が増える。

「ギルバート・アーサーです」



 学院長室のドアをノックした後、部屋の外から名を名乗った。



「入っていいぞ」



 すぐに中から声が返ってきたので、俺は部屋の中へ入っていく。



「まあ楽にしていたまえ。はまだ来ていないんだ」



 ジェシカさんは執務机で仕事をしていた。しかし、いつ訪ねても書類の山はなくならないな。



「早かったね……。ふむ。着替えは済ませたようだが、シャワーは浴びてきたかい?」

「なんで疑っているんですか。ちゃんと浴びてきましたよ」

「君は家でもお風呂から上がるの早いからね。そういうのが嫌いなんじゃないかと思ってさ」

「俺から言わせれば、学院長の方が長すぎて心配になりますけどね」



 そこまで言って、俺はハッとなる。

 つい屋敷にいるようなテンションで言葉を返してしまった。



「……あの、それより学院長」

「なんだい?」

「こんな会話しても大丈夫なんですか? 学院長室とはいえ、ここは学院内ですし」



 気持ち声を潜めて問いかける。



「安心しろ。この部屋でのやり取りが外部に洩れることはない。要人を招くこともあるからな。対策は万全だ」



 ジェシカさんは書類から顔を上げて、



「だから、ここではジェシカさんと呼んでもいいんだよ」



 からかうような笑みを向けてくる。



「それは遠慮しときます」

「つれないなぁ。まあ座りたまえ」



 ジェシカさんが黒革のソファに顎をしゃくる。



「いいんですか? こんな高級そうなソファに生徒の俺が座っても」

「来客用のソファに生徒が座ってはならないという校則はないぞ」

「……失礼します」



 おっかなびっくり腰を下ろした。座り心地は抜群だが落ち着かない。

 それからしばらくの間、他愛のない雑談をして時間をつぶす。



「おお、来たか」



 その時、ドアをノックする音がした。



「学院長先生。一年Aクラス出席番号一番、リリアン・ローズブラッドです」



 ドア越しでもわかる、凛とした芯を感じさせる声だった。

 彼女とはさっき模擬戦(決闘)でやり合ったばかりなので、自然と背筋が伸びた。



「入っていいぞ」

「失礼します」



 入室したリリアンはまず一礼して、執務机の方へ歩いていく。

 その途中、チラリとこっちを見たが、俺は気づかないフリをした。

 学院長室は緊張感に包まれている。俺が勝手にそう感じているだけかもしれないが。



「学院長先生、あたしの演技はいかがでしたか?」

「バッチリだったよ。最高だった」

「しかし、模擬戦の決着がついたあとにあのような空気になるとは思いませんでしたね」

「うむ。まあ結果的によかったんじゃないか? あれだけ派手に上級生たちを打ち負かしたんだ。彼の実力を知らしめる良い機会になった」



 ……ん? 待て待て。この二人は何を言ってるんだ。演技? 俺の実力を知らしめる良い機会?

 俺をのけ者にして進んでいく会話に、理解が追いつかない。開いた口が塞がらない。



「ふふ、驚いた顔をしているな。ギルバート君」



 ジェシカさんは執務机の上で指を組み、ニヤニヤしながらこっちを見てきた。



「いや、あの、どういうことです?」

「実はね、今回の模擬戦は私が計画したものなんだ。リリアン君に協力してもらってね。君の強さを見せつけておけば、これから始まる学生生活も送りやすいかと思ってさ」



 それを聞いた瞬間、すぐさまリリアンの方を見る。

 が――



「…………」



 逃げるように顔を背けられてしまった。

 確かに違和感はあった。演技しているとまでは思わなかったが、彼女らしくないと感じていたのも事実だ。



「これで君は晴れて"落ちこぼれの特待生"から、"恐ろしく強い落ちこぼれの特待生"となったわけだ。Eクラスだからと下に見られることはないだろう」



 言ってジェシカさんは、してやったりとほくそ笑む。



「……その計画とやらは、いつから始まっていたんです?」

「入学式からだね。なあ、リリアン君」

「そうですね。我ながら名演技だったと思います」



 胸の前で腕を組み、誇らしげに鼻を鳴らすリリアン。

 今年一番のため息が出た。入学式からということは、リリアンが弟子にしてくれとハウゼン師匠に直談判したあの一件も、計画のうちだったということになる。



「それより学院長先生。ちゃんと役目を果たしたのですから、私のを聞いていただけますよね」



 執務机に両手をついたリリアンは、身を乗り出すようにして言う。

 それを真正面から受け止め、ジェシカさんが「くっく」と笑った。



「もちろんだ。すでに父上から了承も得ている。君も今日から正式に剣聖の弟子だ」

「っ。ありがとうございます学院長先生!」



 リリアンも今日からハウゼン師匠の弟子? どういうことだ? 



「…………」



 リリアンはくるりと身を翻し、俺の方へ歩いてくる。

 な、なんだ? 顔が怖いんだが。



「騙すような真似をしちゃってごめんなさい」



 身の危険を感じ、咄嗟にソファから立ち上がった俺の目の前で、リリアンが深く頭を下げた。



「……はい?」



 まさか謝られるとは思っていなかったので、間抜けな声をもらしてしまう。



「演技とはいえ、あなたに失礼なことをたくさん言ってしまったわ」



 頭を下げたまま、謝罪の言葉を述べるリリアン。

 俺はしばらく金色の縦巻き髪ロールを眺めていたが、



「もういいよ。頭を上げてくれ」



 とリリアンに伝える。完全に毒気を抜かれてしまった。



「……許してくれるの?」

「許すも何も、俺のための計画に協力してくれたんだろ? ありがとう。……でも、けっこうキツイことを言ってくれたよな」

「と、途中で悪役を演じるのが楽しくなってきちゃって……それに、演技だって気づかれるわけにはいかなかったから」



 俺とリリアンは、ぎこちなく笑い合う。



「あなた、本当に強いわね。あたしの本気がまるで通用しなかった」

「そうでもないさ。俺にも危ない場面はあった」



 せっかくできた友達だ。ここで突き放して関係を終わらせるのも惜しい。

 何より彼女とは気が合うし、話していても楽しいからな。



「あっ。ところでリリアン君」



 思い出したように手を打ち、ジェシカさんはさらに続ける。



「引っ越しはいつにするんだい? ギルバート君が屋敷を掃除してくれたから、こちらとしてはいつでも迎え入れられるよ」



 ……おかしいな。聞き間違いか? まるでリリアンがジェシカさんの屋敷に引っ越してくるように聞こえた。



「本当ですか! それなら今週末の土曜日でお願いします」

「わかった。人手が必要だったら、そこの居候を使うといい」

「ふふっ。ありがとうございます」

「ちょっと待ったぁぁああああ!」



 二人の間に割って入り、俺は声を張り上げる。



「どうしたんだいギルバート君」

「急に大きな声を出さないでよ」

「……すいません。盛り上がってるところ申し訳ないんですけど、俺にも説明してくれますか? 引っ越しってどういうことです?」



 俺の問いかけに二人は楽しそうに頷き合った。



「あたしが今回の計画に協力するにあたって、学院長先生にお願いしたことは二つあるの」



 どうやらリリアンが説明してくれるらしい。

 彼女は顔の前に人差し指を立てて、



「一つ目はハウゼン様の弟子にしてもらうこと」



 さらに中指も立て、言葉を続ける。



「そして二つ目は――学院長先生のお屋敷に住まわせてもらうことよ。あのね、あたしはまだ剣聖を継ぐことを諦めたわけじゃないの。だからあなたと一緒に生活することで、その強さの秘密を暴いてやろうってわけ」



 俺が呆気にとられていると、リリアンは悪戯が成功した子どものように笑った。



「……あの、学院長」



 一度リリアンから視線を外し、書類と睨めっこしてるジェシカさんを見る。



「どうしたんだい?」

「年頃の男女がひとつ屋根の下に暮らすのって危なくないですか? 間違いが起きたらどうするんです」



 手を出すつもりは微塵もないが、同い年の女子と共同生活するのは常識的に考えてダメだろう。

 母さんと歳がほとんど変わらないジェシカさんとはわけが違う。



「間違い? フッ」



 なんか鼻で笑われた。



「剣にしか興味がない君なら心配いらないだろう」

「いや、俺にだって人並みの性欲が……」

「それに」



 俺の言葉を遮るようにジェシカさんは声を張って、



「彼女のご両親にも話は通してある。――なあ? リリアン君」



 リリアンに意味ありげな目配せをした。



「……はい」



 今にも消え入りそうな声でリリアンが答える。俯いた彼女の頬は赤く染まっていた。

 何を言っても無駄なのだと察した。俺は右手で顔を覆い、考えることをやめる。



「すいません。なんか疲れたので帰ります」



 二人に背中を向けて、トボトボと歩き出す。



「そうかい?」

「はい。夕飯の準備しときます」

「いつも助かるよ……そうだ。せっかくだし、リリアン君も一緒にどうかな?」



 俺は立ち止まる。

 おいマジか。今日はゆっくりさせてくれ。



「いいんですか!?」

「もちろんさ。ギルバート君と先に帰っていてくれたまえ」



 すぐにリリアンが駆け寄って来て、俺の顔を覗き込んでくる。

 そんな捨て犬のような目で見ないでくれ。わかったから。



「……まずは買い出しに付き合ってもらうぞ」



 返事も待たずにドアノブに手をかけ、俺は学院長室を出た。



「わかったわ! って、ちょっと待ちなさいよ!」

「何か食べたいものがあるなら今のうちに教えてくれ」

「食べたいもの? うーん、そうねぇ……」



 リリアンが嬉しそうについてくる。気づけば俺も笑みを浮かべていた。

 そんなわけで、"リリアン・ローズブラッド"という同居人が増えた。

 慣れるまでは大変なこともあるだろう。でも、なんとなく彼女とは上手くやっていけそうな気がした。

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