第7話 入学式の前、恩を売る少年と恩を返す少女
高等部への入学式の日を迎えた。
今日からは、学園指定の制服を着て寮で生活していくことになる。
「中等部までは服装自由だったから、今世で制服を着るのは今日が初めてだけど……前世ではずっと着てきたし、違和感はないな」
他人に聞かれたら変な目で見られそうな独り言を呟く俺だが、周囲に人はいない。
俺は他の新入生たちよりも一足早く、学園内のホールに来ている。
千人以上は収容できそうな広いホールでは入学式の準備がほとんど完了しているが、まだ一般の新入生は来場していない。
俺が先んじてこの場所にやってきたのには理由がある。
新入生代表スピーチのリハーサルのためだ。
自分で言うのもなんだが、俺はこの学園で一、二を争う成績優秀者だ。
学力が高いのは公爵家の後継ぎとして幼い頃から英才教育を受けてきたからだと思っていたが、最近別の理由があると気づいた。
よく考えたら、教育を受ける前から何故か知っていたような知識が多かったからだ。
(きっと前世の記憶が蘇る前から、知識だけは引き継いでいたんだろうな……)
現代水準の高等教育を前世で受けてきた俺がその知識を持ったままこの世界に生まれたんだから、今まで神童のような扱いを受けて育ってきたのも納得だ。
そう言えば、もう一人の成績優秀者も、同じように今世を生きてきたのだろうか。
「おはようございます、リュートくん」
「ああ……おはようクレハ」
頭の中で思い描いていた人物が、さっそくやってきた。
振り返って、挨拶を返す。
そこには、呆然と硬直した制服姿のクレハ・フラウレンがいた。
「り、リュートくん……」
「……? どうしたんだ」
クレハは何やらボーッとしていた。
熱に浮かされたような表情……とでも言ったら良いんだろうか。
「と、とてもす、す……」
「す?」
同じ文字を連呼するクレハに、疑問を投げかける。
「……おほん」
我に返った様子で、クレハは咳払いをした。
「なんでもありません」
何事もなかったかのように、澄ました顔をする。
コロコロと表情が変わるのも、クレハの魅力だ。
見ていて飽きない。
最近は前世の記憶を取り戻したせいか、今まで見なかった表情を目にする機会も増えた。
怪我の功名とはこのことだろう。
改めて、俺はクレハを見据える。
……制服姿もよく似合っているな。
普段はどちらかと言えばかわいらしい印象のドレスを好んでいる傾向があったけど、制服を着ると小柄ながら凛々しく見える。
二年ほど前までは同じくらいの身長だったのに、今はだいぶ差がついた。
俺の方が頭一つ半ほど背が高いので、立って会話すると常にクレハがこちらを見上げているような状態になる。
上からだと、髪型や細かい装飾までよく見えるのは俺の密かな楽しみだ。
「あれ? そのリボン、新しく買ったのか」
クレハの髪には、初めて見たリボンが結ばれていた。
翡翠色。
俺の瞳と、同じ色だ。
この前、ドレスの色について言及した時は、他の色を用意する時間がなかったから仕方なくといっていたけど……このリボンは明らかに新品だよな。
婚約者の瞳と同じ色のリボンを新調するなんて、何かしらの意味が込められているとしか思えない。
この前の話は建前で、本当は俺のことを意識してくれている……とか。
「これは、その……」
「ちなみにその色は、もしかして」
「ち、違いますからね!? 高等部に進学して、ドレスが着られない代わりに、リュートくんの瞳の色に合わせたリボンをわざわざ新調したわけではありません! たまたま、姉からもらったリボンがこの色だっただけです!」
淡い期待を込めて聞こうとしたら、捲し立てるような答えが返ってきた。
……薄々そんな気がしていた。
分かってはいたが、落胆する気持ちを誤魔化したいあまり、つい余計な言葉が口を突いて出てしまう。
「まあ、あくまでも家のために婚約関係を維持することを考えたら、見た目から仲良さそうに振る舞うには最適な装飾品だと思うぞ」
「ふん、そうでしょう。ですから今後も、この色のリボンや髪飾りを積極的に着けたいと思います」
「ああ、それでいいんじゃないか」
「はい、そうします」
俺は何気ないやり取りをしながら、心の中でガッツポーズを決めていた。
願い下げだと言い返されるかと思っていたら、しれっと今後もクレハが俺の瞳の色の装飾品を身に付ける方向に話が進んだ。
あえてそれを要求したいと思うような独占欲的なものはないつもりだが、嬉しくないと言ったら嘘になる。
「そんなことより、リュートくん。ちゃんとスピーチの準備はしてきましたか? リュートくんはたまに大事な用事を忘れることがありますからね」
「……そんなことあったか?」
「私たちが二人で文化祭の実行委員になった時、クラスの出し物が決定したのに申請を忘れていたことがあったでしょう」
文化祭なんて行事は、この世界にはない。
つまりは。
「前世の話を持ち出さないでくれ」
「あの時は私が期限当日で気づいて、本来は竜斗くんが担当するはずだった申請を代わりに行ったんですから、感謝してください」
「前世は前世だ。今世になってから、そんなミスはしていないよ」
「それも全て、私がリュートくんの側で支えていたおかげです。リュートくんはきっと、この先も私がいないとダメでしょうね」
おそらく、クレハは俺を小馬鹿にするつもりで言っているんだろう。
けど、この先もクレハが側で支えてくれると言うなら俺としては大歓迎だ。
そんなことを口に出すと、話が拗れてなかったことになりそうだから、直接クレハに伝えたりはしないけど。
「クレハこそ、あがり症は治ったのか?」
クレハ……と言うか前世の紅羽は、人前に出るような役割を自ら担おうとする癖に、いざ大勢の前で話すとなると、緊張してしまうことがあった。
高校時代に生徒会選挙に立候補した時は、演説の前に露骨に動揺していたな。
「へっ?」
俺の問いに、クレハが素っ頓狂な声を発した。
あからさまに、視線が泳いでいる。
「おいおい……」
案の定、クレハは新入生代表スピーチを前にして緊張しまくっていた。
「わわわ、私は緊張なんかしていません! 今世になってからも人前に立つ機会は多かったですが、一度も失敗したことはありません。リュートくんならご存知でしょう」
「言われてみれば……それもそうだな」
今世でクレハが大勢の人の前に立つ時は、基本的に婚約者である俺が隣にいた。
一番近くで見ていたからこそ分かるが、クレハ・フラウレンは大舞台でも緊張するそぶりすらなく立派に振る舞っていたのを覚えている。
あの姿が、前世のことを忘れていたからこそ、という可能性はある。
「ふっ」
「どうして急に笑うんですか。もしかして、私を馬鹿にしていますか?」
「まあ、そうだな」
俺が肯定すると、クレハは驚愕した。
「ひ、ひどいです! 婚約者が緊張で震え上がっているというのに!」
「俺の知るクレハ・フラウレンは、新入生を代表するにふさわしい優秀な人物だ。それがスピーチ一つで緊張するなんて、馬鹿馬鹿しいだろう」
「……リュート、くん?」
俺の言葉に、クレハは目を丸くしていた。
「今世で自分がクレハ・フラウレンとして成し遂げてきたことを振り返って、それでも自信が持てないっていうなら、婚約者であるこのリュート・アークライトが手助けしてやるさ」
「なっ……そんなの、大きなお世話です! リュートくんの手助けがなくたって、私は堂々とスピーチできます!」
クレハは頬を膨らませて、抗議の声を上げた。
その様子を見て、俺は笑顔を浮かべる。
「それは何よりだ。緊張は解れたか?」
「え? あ……はい。けっこう落ち着きました」
拍子抜けした様子のクレハからは、緊張の色は薄れていた。
「……もしかして、私を励まそうとしてくれました?」
「さあ、どうだろうな」
正直なところクレハの言う通りだが、俺はついはぐらかしてしまった。
「ありがとうございます、リュートくん」
「なんのことだか」
「じゃあ、励ますんじゃなくて恩を売ろうとしたんですか?」
「もしかしたら、そうかもな」
「ではせっかくなので、恩を返してあげましょう」
「……? どういう意味だ」
疑問に思う俺に対し、クレハは楽しげに笑っていた。
「えい」
いきなりクレハが抱きついてきた。
「お、おい!?」
「良いですかリュートくん。これは私が抱きつきたかったからではなく、あくまでも恩返し。婚約者としての特別サービスでもあります」
クレハが何かを言っていたが、俺は覚えていない。
抱きついてくるクレハの、特に柔らかい二つの物体に、全神経を集中させていたからだ。
……半年くらい前に抱きしめた時は、あまりなかった感触だ。
もしかしてこれ……と言うかこれらは、この先さらに大きくなるのか?
俺は婚約者の成長を実感した。
その後、無事に入学式の新入生スピーチは成功した。
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