富豪の老人

月ノみんと@成長革命2巻発売

第1話


富豪の老人


金を入れれば動く機械。

いわばニンゲンというのは遊園地の遊具や、ゲームセンターのオモチャ、あるいは道端の自動販売機――暑い夏に、硬貨を入れれば冷たいドリンクを差し出す、あの気の利いた鉄の塊――のようなものである。

というのが、六四年間生きてきた私の結論である。


金を出せば「はい」と言うし、人を殺せと命じればそのように・・・・・なる。

ようは命令はなんでもいい。どんな内容であっても、それが些細なものでも、どんなに突拍子のないものでも、彼らにとっては関係ない。

彼らにとって重要なのは、金がもらえるか否か、である。

その額についても、もはや重要ではない。

私が吐き出す金ならば、額に関係なく、彼らにとっては喉から手が出るほどの大金だからだ。

そのくらい私と彼らには決定的な、超えることのできない差がある。


ニンゲンになにか違いがあるとすれば――まあこれは私にとって、ということだが――男か女かである。

ようは使い物になるかならないか。それだけだ。

私が用があるのは、その中身ではなくそのガワ・・だけ。

私ほどの金持ち――もはや金持ちなどと呼ぶのも陳腐で憚られるが――ともなると、もはやニンゲンなどはその程度のものでしかなくなる。


男女の違いとはつまり、私が金を出したときの反応の違いに過ぎない。つまりは、便利な駒か、都合の良い穴か、である。

というのももはや正しくはないのかもしれない。

いまや私が命じれば、男であろうと関係なく、喜んで自ら股を開くだろう。

私の金の前では、彼らは男女の違いなどなくなり、ただただ金というエサに群がる、ニンゲンという動物に成り下がる。


人を人として見れなくなっているのではないか?

という指摘なら、多分当てはまる。たぶん、ではない。多分に当てはまる、だ。

これはもはやどうしようもない。

ただ、変わってしまったのは彼らではなく私なのかもしれない。

彼らは最初からそのような・・・・・動物であった。それをかつての私は根本的に見誤っていたのだ。


あの日金を手にしたそのときから、私はニンゲンではなくなったのだろう。

あの日金を手にしたそのときから、私の運命の歯車は回り出した。人生がようやく始まったのだ。

それまでの人生は掛け違えたボタン。

片翼の鳥である。

欠損した側の片翼とはもちろん金のことだ。


P.S.

この文章を書いたのも、もう二十年も昔のことだ。

思い返せば、あの頃は私もまだ若かった。

私は金でニンゲンを買っていたにすぎない。

いや、金に飼われていたのは私のほうだったのかもな……。


最愛の妻を亡くし、もはや私にはなにも残されてはいない。金以外は。

妻は五十六人持ったが、そのどれもが私にはすぎた娘だった。

宝石のように綺麗な娘たち。そのどれもが私の方を向いてはいなかった。


私はニンゲンという形のないあやふやなものの影を追っていただけに過ぎないのかもしれない。

それに気づいたときにはもう、歳を取り過ぎていた。青春は既に通り過ぎた。

いつしか私は、飯を入れ、毒を吐き出すだけのめいわくな・・・・・老人になり果てた。


あとはもはや死を待つのみである。金などは使いきれぬほど、ある。しかし、使い道がもうない。

いくら出せど、伸びるのは寿命ではなく、刑期のような気がするし、寄ってくるのは見舞いの客ではなく、相続目当ての例の生き物ニンゲンどもである。


ニンゲンとは金があるときは身体は健康だが、心は不健全になりがちだ。逆に金がなければないで、不健全な思考に陥りやすいし、健康すらままならない。

貧乏人の心が綺麗などというのは映画の中だけだ。ニンゲンは常に不健康な存在なのだ。

むべなるかなむべなるかな。人生とは金に生き、金とともに死ぬかなしき生き物の物語である。


以上を私の全人格の総意とする。

なお相続は放棄し、全額を寄付に充てることとする。

このような紙切れは無意味だ。

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