49.一本背負い

「優花、優花っ!!!」


 タケルの腕の中で涙を流し震える優花。

 一体この部屋で何を話し、どんなやり取りがあったのかは知らない。ただ、彼女の腫れた両頬を見てすぐに理解した。



「お前、優花に何をした……」


 タケルは優花を一度ぎゅっと抱きしめてからゆっくりと立ち上がり結城に言った。突然タケルに殴り飛ばされた結城がよろよろと起き上がり、怒りに顔を赤くして答える。



「き、貴様、どうやってここに!? どこから入って来たんだ!!??」


 こめかみをヒクヒクさせながら結城が大声で叫ぶ。タケルが静かに言う。



「俺よぉ、私闘の禁止破ったり、練習だって手ぇ抜いて適当にやって来たこともある……」


「な、何を言ってんだよ、お前……、許さないぞ……」


 自分以上に怒りに包まれたタケルに結城が言う。



「だがな、そんな俺でもひとつだけ絶対に守ってきたことがあるんだ……」



「タ、タケル君……」


 床に座り込んだままタケルを見つめる優花。タケルが結城をギッと睨んで言う。



「何があっても女に手は上げねえんだよおおおおおお!!!!!」



「お、お前らっ!!!」


 タケルの気迫に恐れをなした結城が奥の部屋にある戸を開け、大きな声を出す。すぐに奥から男達の声が返って来る。



「レイさん、お呼びで!?」


 戸の奥から数名のタチの悪そうな男達がタケルたちの部屋になだれ込んで来た。手には木刀を持った者もいる。結城が引きつった顔で言う。



「こいつを、この男をやってくれ!! もうはいない。相手はひとりだ、楽勝だろ!!」


 結城に呼ばれてやってきた男達がタケルを睨みつける。そしてその中のひとりが気付いた。



「え? あ、兄貴、こいつって……」


 兄貴と呼ばれた男が指差されたタケルの顔をじっと見つめる。



「あ、あ、ああ……」


 相手を睨みつけるような目をしていたチンピラの顔が青くなっていく。同じくそれに気付いたタケルが言う。



「またお前らか。今日の俺はあの時以上にブチ切れてる。手加減はできねえぞ」


 それを後ろで聞いていた結城が引きつった顔で笑って言う。



「な、何を強がっている!? 今日はお前ひとりなんだぞ!! 柔道部員もいない。さあ、諦めろ。床に頭をこすりつけて謝れよ!!!」



「なあ、おい」


 タケルが静かに結城に言う。


「な、なんだよ!!」


「この間の旅館の時もお前の仕業なのか?」


 タケルは合宿と温泉旅行で訪れた雪の旅館で、同じチンピラに絡まれた時のことを思い出す。結城が引きつった顔で笑いながら答える。



「ああ、そうだよ!! あの時はお前、偶然現れた柔道部員に助けられたんだよな。ああ、でも今日はどうだ? お前ひとりだ。あははははっ!! さあ、どうするぅ!?」


 不愉快な笑い声を立ててひとり腹を抑える結城。タケルは無表情のままチンピラに言った。



「消えろ、お前ら」


 タケルはそう言うとゆっくり結城に向かって真っすぐ歩き出す。結城が笑いながらチンピラ達に命じる。



「やれ、やれやれ、お前らっ!!!!」



「す、すいやせん、レイさん!!」


 チンピラ達はタケルから目を逸らしながら部屋の左右へと逃げるように移動する。予想もしない光景に唖然とした結城が言う。



「な、何をしている!? やれよ、何考えてんだよ、やれってば!!!」


 チンピラが答える。


「む、無理っす。こいつ、半端なく強ぇ……!?」


 結城はなぜか尻込みするチンピラから木刀を奪い取ると、歩いて来るタケルに向かって言った。



「クズ共め!!! お前ら所詮、人間のクズだ!! 俺が見せてやる、俺が見せてやるよ、選ばれた人間ってやつを!!!!」



「タケル君、気を付けてっ!!!」


 後ろから聞こえる優花の声に少しだけ振り返って笑顔で答えるタケル。そして直ぐに結城に言う。



「どっちがクズだ。お前にぴったりな言葉じゃねえか。クズ野郎」


 結城が顔を真っ赤にして答える。


「俺が、この俺がクズだと!? 名家結城家の跡継ぎ、財も女も全てを手に入れるこの俺がクズだと!? きゃはははっ!!!」



 結城は目の焦点も合わず、気が違えたような笑い声を上げながら木刀を振りかざしタケルに向かう。


「お前がクズだ、お前がクズだ、お前がクズなんだよおおおお!!!!」



 ガン!!!


(くっ!!)


 タケルは結城が振り下ろした木刀を左の前肘で流れるように受け止める。直接骨に伝わる激痛。素人とは言え木刀を持てばかなりの威力。それでもタケルはひるまずに結城に向かい叫ぶ。



「お前だけは許さねええええ!!!!」


 結城の視界からタケルが消えた。



「何をしている、レイ!!!!」


 同時に和室に響く太く強い声。




――綺麗



 その場所にいた優花、チンピラ達、そして太い声の主もが美しく弧を描き、投げられて宙を舞う結城レンの姿に見惚れた。



 ドオオオン!!!!


「ぎゃっ!!!」


 渾身の一本背負い。

 負傷した左手を庇いながらの見事な投げ。



(な、何が起こって……!?)


 結城自身、自分が投げ飛ばされたと理解するまでに数秒の時間がかかった。それほど一瞬であり、不思議な感覚であり、意識すら封殺するタケルの芸術的な技であった。



「い、痛い……」


 遅れてやって来る全身の痛み。結城はようやく自分が投げ飛ばされたのだと気付く。そして部屋の入り口に立っている太い声の主に気付き哀れみを請うような顔となって言う。


「パ、パパ……」




「タケル君!!」


 結城を投げ飛ばし、ゆっくりと優花の方へ歩き出すタケルに優花が言った。


「大丈夫か、優花」


 タケルは赤く腫れた優花の頬に手を添え、泣きそうな顔になって言う。優花は添えられたタケルの手に自分の手を当て、震えた声で言う。



「大丈夫だよ、ありがとう。来てくれて。それより……」


 優花は部屋の入り口に立つ白髪の混じったその面識のある初老の男性を見つめる。その男がタケルを見て言った。




「君は、タケル君と言うのか……?」


 結城が口にした『パパ』という言葉。それはタケルの耳へも届いており、この人物が結城家の当主、レンの父親だとすぐに理解した。タケルが答える。



「ああ、そうだ」


 敵意を含んだ声。真剣な顔でレンの父親が尋ねる。



「名字は、タケル君の名字は何という?」



「……一条」


 それまで全く何にも動じなかったレンの父親が一瞬、これまでと違った変化を見せる。起き上ったレンが言う。



「パ、パパ!! こいつやっつけてよ!! 見たでしょ? 僕、いきなり投げ飛ばされて……」




「何をした?」



「え? パパ……?」


 会話の意味が分からないレンが恐る恐る聞き返す。父親が言う。



「そちらにいる桐島さんところのお嬢さんに、お前は何をした?」


 レンの父親は両頬が赤く腫れあがった優花の顔を見てレンに強い口調で言う。レンガ震えた声で言う。



「ぼ、僕は何も……」


「嘘は許さぬぞ。お前以外に誰がおる?」


 レンの父親はそう言って部屋の隅で小さくなっているチンピラ達に目をやる。真っ青な顔になって首を横に振るチンピラ。レンが言う。



「パパ、僕はこんなに投げ飛ばされて……」



「黙れっ!!!」



「ひゃっ!?」


 レンの父親は優花の頬、そして畳の上に落ちている木刀を見て言う。



「女性に手を上げるとは何たる愚行、更に男同士の戦いにこのようなものを使うとは……」


 レンの父親は目を閉じ首を左右に振る。



「パパぁ……」


 顔を震わせ涙目になってレンが言う。

 レンの父親はそんな息子を見もせずにタケルと優花の元へと歩き出し、そして頭を深く下げて言った。



「すまなった、タケル君。愚息のこと、許して貰いたい」


 予想外の展開に唖然とするタケル。混乱するタケルに顔を上げたレンの父親が言う。



「しばらく見ない間に大きくなったね、タケル君」



「え?」


 タケルが震えた声で尋ねる。


「あんた、誰なの……?」


 レンの父親は笑顔になって答える。



「私はしげさん、あ、いや、君のお父さんの重蔵さんと同じ学校でね、彼は私の大先輩でありなんだよ」



「え、ええ!?」


 タケルは心底驚いてレンの父親を見つめた。

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