29.タケル君のお嫁さん

「レン、桐島さんところのお嬢さんとは上手く行っているのか?」


 暖かな日差しが指す気持ちの良い朝、結城レンの父親が尋ねた。

 昔からの名家。土地などの不動産を多く抱え、超がつく程の富豪。一緒にテーブルに座って食事をしているレンが答える。



「ああ、もちろんだよ。パパ」


 キリッとした二枚目。レンが爽やかな笑顔で返す。父親が先日の食事会で少しだけ会った優花を思い出して言う。


「素晴らしいお嬢さんだ。男として決して失礼のないように。よいな?」


 父親の圧のある声に一瞬驚きながらレンが答える。


「分かってるよ。優花さんも僕と会うことを楽しみにしてるし」


 それを聞いた父親の顔に笑顔が戻る。



「そうか。それは良かった。レン……」


 同じく安心したレンに父親が言う。



「今度、優花さんをうちの食事に呼びなさい」


 レンは一瞬自分の返事が遅れたことを心配したが、笑顔のまま二つ返事でそれに応えた。






「今日、泊って行ってもいい?」


 なんと言う表情だろうか。

 笑顔でもない、困惑でもない、迷いでもなければ懇願でもない。いや、それらすべてを足したような表情。ぐぐぐっと自分の心の中に入り込むような表情で優花はタケルを見つめる。



「俺の、家にか?」


 自分は一体なに当たり前のことを聞いているのだろうとタケルは思う。



「うん、今日は家に帰りたくないし。ダメかな?」


(だ、駄目な訳ないだろ!!!! あの優花が、憧れの桐島優花が俺の家に泊まるんだぞおおおお!!!!!)



「い、いいぜ。全然。あ、一応親父たちには後で聞いておく……」


「うん、ごめんね。急に。あと買い物も行きたいな。付き合ってくれる?」


 安心したせいか笑顔になった優花がタケルに言う。



「買い物?」


「うん。喧嘩して飛び出して来ちゃったから携帯しか持ってなくて……」


 朝食の時も肌身離さず持っていたスマホ。父親に怒鳴られて急に出てきたがこれだけは無意識に握り締めていた。



「ああ、いいよ……」


「ありがと。お泊り用の化粧品とか必要だし、あと……」


 いつの間にか水色の目になった優花が立ち上がり、タケルの耳元に着て小さくささやく。



「……下着とかもね」



(うぐっ!?)


 一瞬で顔が赤くなるタケル。

 優花は小悪魔的な顔で笑みを浮かべると、ベッドに座るタケルの横に来て甘えた声で言った。



「タケル君、一緒に選んでくれる……?」


(お、俺があああ、ゆ、優花の下着を一緒にだって……!?)


 動揺しまくるタケルを上目遣いで見つめながら優花が言う。



「だめ……?」


(ダ、ダメな訳ないだろおおお!!!)



「し、仕方ないな。付き合ってやるよ」


 タケルはどうしてもっと素直に言えないのだろうかと自分自身が少し情けなくなった。




「あ、母さん。今日さ、優花がうちに泊まって行くんだけど、いい?」


 着替えを済ませて部屋を出たタケルと優花が母親に尋ねる。


「まあ、優花ちゃんがうちに? もちろんよ」


「すみません、急に。ミャオの世話もしたいと思いまして」


 優花が申し訳なさそうに頭を下げて言う。


「いいのよ。娘がで来たみたいで嬉しいし。で、タケル」


「なに?」


 母親が当たり前のように尋ねる。



「布団は一緒でいいの?」



「おい!!!」


 タケルが驚いて言う。母親も驚いて尋ねる。


「だって、あなた優花ちゃんのことが好きなんでしょ? お付き合いはもうしてるんでしょ?」


 段々顔が赤くなるタケル。優花はニタ~とした顔でそれを見つめる。タケルが答える。



「い、一応……」



「一緒の布団とは何事だ!! 馬鹿もんっ!!!」


 突然大きな声が後ろから響く。


「親父!?」


 そこにはタケルの父親の重蔵が怒りの面持ちで立っている。優花が頭を下げて言う。



「あ、お父様。おはようございます! 急に申し訳ありません」


 重蔵が近付いて言う。



「ああ、優花ちゃん。気兼ねせず泊まって行ってくれ。で、タケル」


「はい……」


「お前はまだ学生の身。ふしだらなことを考えている暇があれば勉学に、そして柔道に精を出せ。よいか!!」


「はい……」


 アヒルの着ぐるみや足を痛めたことなど最近の行動を鑑みれば父親に反論はできない。重蔵が優花に言う。



「客間に布団を敷かせるので優花ちゃんは遠慮せずそこで寝なさい」


「あ、はい。ありがとうございます」


 優花が軽く頭を下げる。その会話を聞いていたタケルの母親が言う。



「あら、あなた」


「ん、なんだ?」


 母親がタケルの前に来て言う。



「学生時代、私にしたあなたが、何を仰っているのかしらね~」


「ぐはっ!」


 母親の言葉に重蔵は顔を青くして黙り込む。


「自分は散々しておいて息子にはダメとか、まあご立派なお考えだこと」


「い、いや、それはだな……」


 動揺しまくる重蔵にタケルが言う。



「親父、何だよ。それ? はっきり言えよ」


「お、お前には関係ないだろ!!」


「いや、あるだろ」


 重蔵が後退しながら言う。



「あ、そ、そうだ。ミャオのご飯の時間だ。じゃ、じゃあまたな!」


「おい、逃げるなよ!!」


 重蔵はそう言うとそそくさと逃げるように去って行った。母親が言う。



「とりあえず客間に布団は敷いておくわね」


「あ、ああ。悪いな……」


 母親が立ち去りながら笑って言う。



「でも、避妊はちゃんとしてね」



「おい!! だからもういいって!!!」


 母親は笑いながら消えて行った。タケルが優花に言う。



「わ、悪いな。アホな親ばかりで……」


「ぷぷっ……、ううん、面白くて羨ましいぐらいだよ」


 優花は少し涙目になって答える。



「ああ、そうか……」


 タケルは少し安心した顔で答える。優花はタケルに近付きにこっと笑って耳元でささやく。



「でもね、避妊はいいよ」



「ぎゃっ!? ゆ、優花っ!!??」


「きゃははっ、さあ、行こ。買い物!!」


 そう言って綺麗な栗色の髪をなびかせて先に歩き出す。



「本当にどいつもこいつも……」


 そう言いながらタケルは笑顔になった優花を見てようやく心から安心できた。




 大学の講義は優花とふたりでサボった。

 タケルは何となく今日優花をひとりにさせておくのが心配だった。ふたりで腕を組んで駅前のショッピングセンターに行き、優花は宣言通りタケルを下着売り場へと連れて行く。



(マジで居辛い……)


 目のやり場に困る派手な下着たち。

 それ以上に下着を見に来ている他の女性客からの視線が痛い。

 結局タケルは下を向いたまま優花の後をついて歩くだけとなり、色々好みを聞いて来る優花の質問には適当に返事をするのが精一杯であった。



「ありがと、助かったよ」


 優花は財布などは持って来ていなかったが、代金はすべてスマホで支払っていた。タケルがトイレに行っている間に下着と数着の服を買い込んでいる。



「さ、帰ろっか」


 そう言ったタケルに優花が尋ねる。


「何か、ミャオのおやつでも買って行ってあげようか」


 それを聞いたタケルが首を振って答える。



「いや、いいよ。うちにそう言うもの、山ほどある」


「あ、ああ、そうなんだ……」


 優花は猫好きのタケルの父親の顔を思い出して苦笑いした。






「あー、疲れたね~」


 結局買い物を終え帰ってくると夕方近くになっていた。タケルの家に向かいながら優花が言う。


「大学、サボっちゃったね」


「ああ、たまにはいいじゃない?」


「うん」


 そう言ってたくさん買い込んだ袋を持って歩くふたり。優花が言う。



「なんか、新婚さんみたいだね」



「え?」


 その言葉に驚き立ち止まるタケル。優花の目はもちろん水色。それでもその言葉はタケルを十分に驚かせた。優花が言う。



「このままタケル君のお嫁さんとして一緒に暮らしちゃおうかな~」


 少し前を歩く優花。タケルは栗色の長髪を黙って見つめる。



「ねえ、いい?」


 優花がくるりと振り返ってタケルに尋ねる。



「いいよ」


 タケルは何も考えることなく優花に答えた。

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