3.水色の瞳

 芸能事務所も関心を持つという聡明館大学文化祭のミス・ミスコン。その中でも特に人気があるのがミスキャンパスであり、大学一の美女を決めるこの戦いに毎年多くの人が熱狂する。


 その今年度のミスキャンパスのグランプリに選ばれたのが栗色の髪が可愛らしい桐島きりしま優花ゆうか。彼女はマイクを持って壇上を降り、ステージ一番後ろで見ていたタケルの前まで来て言った。



「一条君、私と付き合ってください」


 突然のミスキャンパスの告白に一瞬静まっていた群衆だが、すぐにそれは大きな歓声へと変わった。喜ぶ者、興奮する者、冷やかす者、野次る者。しかしこの男の耳だけにはそんな周りの声は一切届かなかった。



「あ、いや……、桐島、おれ……」


 祝福と妬み、好奇の目がふたりに注がれる。

 優花は目を赤くしてにこっと笑うと、タケルの両手を握り締めて言った。



「やっぱり一条君だったんだ。嬉しい」


 優花はタケルに『後でふたりで会いたい』と言って場所と時間を告げると、顔を赤くして小さく手を振り壇上へ戻って行った。




「一条君、一条君……!!」


 グランプリのティアラとマントを羽織り可憐な着物で戻って行く優花の後姿を見ながら、タケルはまだ頭の整理がつかなった。

 それからのはっきりした記憶がない。ただ遠いどこかで友人の中島の声だけが微かに聞こえていた。






 タケルがようやく落ち着きを取り戻したのは、ミス・ミスコンが終わって中島とその彼女の理子と一緒にやって来た大学内のカフェにやって来てからであった。

 先ほどのあまりに衝撃的な出来事にタケルは訳が分からなくなっていたが、周りから感じる自分に注がれる視線がこれまでと違っていることには気付いていた。中島が言う。



「いや、一条君、マジで凄いじゃん!」


 中島が珍しく興奮している。隣に座った彼女の理子が言う。


「おふたりはお知り合いだったんですか?」



「え? あ、ああ、小学校の時の同級生で……」


 尋ねられたタケルが思い出したように答える。



「しかし、あんな可愛い子が友達だったなんて驚きだよ……」


 中島が先ほど起こったミスコンでの告白を思い出して言う。



「いや、俺もさっき知ったんだ。一緒の大学だなんて知らなかった」


 タケルが運ばれて来てからずっとテーブルに置かれて少し冷めてしまったコーヒーをひと口飲む。中島が小さな声で尋ねる。



「で、一条君。受けるの? 彼女の告白」


 当然の質問である。タケル自身先程あまりの驚きできちんと優花には答えていない。非モテ同盟を結んでいた中島は先に彼女ができたと教えてくれて、こうして実際に紹介してくれている。



(受けたい。初恋だった優花と付き合いたい。だけど……)


 優花は可愛かった。小学生の頃の面影をそのままに、実に可憐な女性へと成長していた。彼女にするには申し分ない。逆に自分には勿体ないぐらいの女の子だ。



(だけど、あの告白……)


 ステージ上から群衆の中にいた自分を見つけて、歩いて来て告白する。そんなことができるのだろうか?



「受けたいな、とは思ってる。だけどその前に話をしてからかな……」


 意外なタケルの言葉に理子が少し驚いた顔で言う。


「一条先輩、女の子があんな告白したんですよ。絶対断っちゃダメですからね!」


 女性との交際経験がなくともそれはタケルでも分かっている。



「うん、そうだね。ありがとう。あ、俺、この後約束があるから」


 タケルはまだ時間があったにも関わらずそわそわしてしまい、ふたりに挨拶をしてカフェを出た。時刻は既に夕方過ぎ。日に日に太陽が短くなるこの季節、この時間になると吹き付ける風が少し冷たく感じる。



(ええっと、確か正門横にあるバス停の……)


 約束の30分前、文化祭の余韻を楽しみながら帰路につく学生たちを眺めながらひとり集合場所へと向かった。



「え?」


 タケルは優花に指示されたバス停横の聡明館そうめいかん大学の大きな看板の下で待つ女の子の姿を見て驚いた。



「桐島っ?」


 そこにはひとり佇む優花の姿があった。

 首に巻かれた大きなマフラーで栗色の髪が隠れ先程の印象とは少し異なる。可憐な着物から普段着に着替えた優花だが、その姿は周りにある美しく色づいた紅葉の木々よりもずっとずっと綺麗だった。



「あ、一条君!」


 タケルの姿に気付いた優花が笑顔で答える。約束までまだずいぶん時間がある。タケルが小走りで優花に近付く。



「ごめん、待った?」


 優花が首を振って答える。


「ううん。良かった……、来てくれて」


 そう言って頬を少し赤らめて答える優花をタケルは心から可愛いと思った。



「ごめんね。驚いた……、よね?」


 優花が恥ずかしそうにタケルを見つめて言う。その可愛らしい視線で既にタケルの心は彼女にしっかりと掴まれてしまった。



「え、ああ、驚いた。同じ大学だったんだな」


「うん、私も知らなかった。……ねえ、歩こうか」


 優花は笑顔でタケルに言う。


「ああ、いいよ」


 タケルは橙色の夕日を受けてこちらを見つめる優花に対して、どう接すればいいのか分からないまま一緒に歩き出した。




「一条君は何学部なの?」


 歩きながら優花が尋ねる。


「経済学部。桐島は?」


「英文科。英語、全然できないけどね!」


 そう言って笑う優花。タケルは未だにこのあり得ない状況に実感が沸かない。



「でね、それでね……」


 優花は昔を懐かしむように饒舌になって話をする。それを頷いて聞くタケルだったが、当然ながら内心では全く別のことを思っていた。



(どうして俺に告白なんかしたんだ……?)


 総館祭そうかんさいの一大イベントであるミス・ミスコン。その大きな舞台で皆の前でグランプリが一介の男に告白する。その意味を理解しているのかとタケルは隣で嬉しそうに話す優花を見て思う。



「ねえ、あそこのベンチに座ろっか」


 歩きながら優花は途中にあった小さな公園を指差して言う。秋の夕暮れの公園。オレンジ色の光が暖かく差し込むベンチにふたりが並んで座った。優花が前を向いて言う。



「来てくれて、本当にありがとう。嬉しかった……」


「え、ああ……」


 何て答えたらいいのか分からないタケルがつまらない相槌を打つ。



「驚かせちゃってごめんなさい。でも、気持ちを抑えきれなかったの……」


 優花が隣に座るタケルの方を見て言う。



「今、彼女っているの?」


 心臓が破裂しそうになったタケルが前を向いたまま答える。


「いや、いないけど……」


 優花が膝の上に置いたタケルの手に自分の手を重ねて言う。



「じゃあ、私と付き合って。ずっと好きだったの」



「桐島……」


 初めて間近で優花の顔を見たタケル。

 極度の緊張と共に、彼女の瞳が綺麗なだったということにようやく気付いた。

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