第25話

西暦20××年4月××日


 ついに最終学年の中学三年生へと進級した。

 桜が舞い散る時期を過ぎ、初々しい一年生が入学して来る入学式も、春休み明けの実力試験も終わる。

 俺が通う中学校では、なんと今年から二年生から三年生への進級時のクラス変えが廃止された。

 なので、クラスのメンバーは去年と同じ顔触れだ。

 なんでも、六月上旬にある修学旅行でのトラブルを減らす目的で、本校では初の試みなのだそう。

 他所の中学校では実績があるやり方みたいだけどね。


 クラスのメンバーだけではなく、担任も持ち上がりが多い。

 けれども、俺のクラスは東雲先生が単年契約の講師だったせいで、新しい先生に交代している。

 それ以外にも転勤で我が校を去った先生もいるので、そうした先生が担任を務めていたクラスの担任は当然空席となるため、新たな先生がその任に就く。


 俺のクラスの担任への第一印象は、可もなく不可もなくだった。

 要は、普通のおばちゃんって感じ。

 ちなみに、彼女の担当教科は国語だ。


 あ、級長の投票結果?


 普通に俺と相田に決まりましたよ。

 俺らのコンビは去年の実績と人望があるんでね。

 ちくしょうめ!




「新しい職場はどんな感じなんですか?」


 帰宅してきた皐月さんと、部屋の前の廊下でバッタリ出くわしたので声を掛ける。

 彼女の綾籐家での下宿生活はまだ始まったばかりだから、顔を合わせたのに無言で自室に引っ込むとか、感じ悪いことできんしね。


「特にコレと言って変わったとこはないかな。あ、馴れ馴れしい男性教諭から食事に誘われた。もちろん、お断りしたけど」


「皐月さんくらい美人だと、そりゃ声もかかるよね。こういうこと聞くと怒られるかもだけどさ、彼氏とか作らないの?」


 やっぱり顔だよね。

 新しい職場でど新人が、いきなり個人的に食事に誘われるとかさ。

 顔面偏差値が高いと、紙装甲って弱点は余裕でカバーされちゃうよね。

 ものすごく失礼であろうことを心の中で考えていたのは、絶対にバレてはならない秘密である。


「うーん。弥生が社会人になるまでは、ちょっと考えられないかな。私が困った時に男性が離れて行くのを体験してるしね。頼りになる素敵な男性ならそういう関係を考えても良いけど」


「あ、俺にはもう雅がいるんで。ごめんなさい!」


 直立から、一部の隙もない完璧な頭を下げるお辞儀を敢行。

 皐月さんの言葉から地雷を踏み抜いた雰囲気を感じ取った俺は、おちゃらけて場の空気を変化させようとするしかない。

 行動と言葉のギャップは、こういう時には効果があると信じたいね。


「誰が元教え子の中学生を口説くか! あ、でも考えてみると一郎君くらい甲斐性があるなら、愛人枠もありかも? 君は超が付くお金持ちだもんねぇ。年上の美人教師ってどう思う?」


 俺に断られたことで、皐月さんは改めて俺の良さに気づいてしまったようだ。

 俺が「頼りになる男性か?」は脇に置いておくとして、彼女にそのような対象が必要なのは事実だと思う。

 皐月さんの父親は、弥生さんが生まれてすぐの頃に女を作って逃げたらしいし、母親は女手一つで苦労して身体を壊し、彼女が短大に現役合格して入学した直後に亡くなっているからね。


 当時お付き合いしていた彼氏は、家計の悪化で付き合いが悪くなった皐月さんを見捨てたみたい。

 はっきりと詳細を聞き出したわけじゃないけど、俺と母さんが知っている彼女の概容はそんな感じなんだよね。

 父親は母親が失踪届けを出して受理されているので、七年を経過した時点で死別扱いの離婚が成立しているんだってさ。


 ま、そんなもろもろの事情を知っていると、俺的には切ない。

 皐月さんの目がマジになってるのも怖い。

 なんか、めっちゃいろいろ考えを巡らせてません?


「お姉ちゃん、帰って来てたんだ。今聞こえた『愛人枠』って何? 一郎君の彼女の話? そんな枠があるなら私が立候補するんだけどな」


 東雲姉妹が下宿している部屋の扉から、ひょいと顔を出した弥生さんが会話に加わって来た。

 何の偶然か、雅も部屋から出て来た。


「一郎君。これは何の話をしているのかな?」


 狭い廊下で、何このカオス。

 麗華が階下のリビングでピアノの練習中で、そこで教えている母さんと共に追加参戦する可能性がないことだけが救いなのか?

 おかしいね。

 彼女兼婚約者が存在しているのに、モテるってどういうことだよ?

 雅さん。

 そんなゴミクズを見るような、冷たい視線を俺に向けないでいただきたい。

 俺は浮気とかしてませんからね!

 

「雅ちゃんの婚約者の座を奪ったりはしないから! セカンド彼女的なポジションが欲しいだけだから!」


 皐月さん。

 変なことを考えていそうだとは思っていましたが、そうなりましたか。

 それ、世間では俺が「二股野郎」呼ばわりされてしまうやつなんです。

 この状況でその発言は、火に油を注いでいるのと変わらない気がしまする。

 拙者、逃げ出したいでござるよ。


「あ、私も。雅ちゃん。私も『セカンド彼女的なポジション』の仲間に入れて欲しい。将来、一郎君の子供を産みたい」


 いや待って。

 弥生さん。

 日本には一夫多妻の制度なんてないから!

 たとえ結婚する前の段階でも、複数の彼女と同時にお付き合いするのは、世間の空気を読むと許されないから!


「弥生の気は早過ぎるけど。子供の話が出たからさ、リアルな話をしちゃうね。私たちは全員、普通の結婚をして子供を授かると育児でワンオペになる可能性が高いの。だって、両親や祖父母の援助が全く期待できないでしょう? だから、ママ四人で助け合って生活するのは、悪くない選択肢だと思うのよ。一郎君にはお金の心配がないから人を雇うことだって可能でしょうけど、お金だけの繋がりって信用できる? 一郎君は大富豪のレベルだから、危ない人に子供が狙われそうじゃない? その点私たちは違う。私は階段から落ちて大怪我をするか、下手をすれば死んでいたのを助けられているし、妹の弥生は文字通り命を救って貰ってる。雅ちゃんや麗華ちゃんだって同じでしょう?」 


 皐月さんが恐ろしいことを言い出した。

 貴女の仰る「両親や祖父母の援助が全く期待できない」のは事実なんだけどさ。

 だからって、俺がリアルハーレム野郎になる必要はないでしょ。

 そもそも、「ママ四人」ってなんだ?

 あ、雅、麗華、皐月さんと弥生さんで四人か。そうですか。


 あのですね。

 縁もできたことだし、皐月さんが普通に彼氏を作ってゆくゆくは結婚してくださっても、助けが必要なら俺は助けますよ。

 その代わり、こちらも必要なら助けを求めますけどね。

 なので、できればですが。

 婚姻後のお住まいをあんまり遠くにされないで、ご近所さんで居てくださると嬉しゅうございます。

 当方、それだけで十分なのですが。


 俺がそんなことを考えていると、今度は弥生さんが発言した。


「雅ちゃん。一郎君がそうなるとは限らないけど。既婚の男の人が浮気をするのってどんな時が一番多いか知ってる? 奥さんが妊娠中と出産後しばらくの間。要は夜のお相手ができない時なんだよ。もちろん性的欲求は個人差があるし、理性で抑える人もいる。お金を払ってその手のプロ相手に発散するケースだってあるけど。他所でこそこそされるくらいなら、雅ちゃんの立場を尊重する愛人の方が良くない?」 


 弥生さんもぶっちゃけ過ぎますな。

 でも、「俺が当てはまるかは別にして、男ってくくりに対して言ってることはたぶん間違いじゃないんだろう」って思える。

 俺も歳相応に性的な衝動に溢れているからこそ、そういうのをなんとなく理解できるから。

 だって、もし弥生さんの言い分が間違ってるなら、世の中のそっち系の商売の存在価値や、浮気の事案がそこそこ減りそうだもん。

 もちろん、男は弥生さんの言う「既婚の男の人」だけじゃないから、仮に減っても零にはならないだろうけど。

 あくまで「仮に」だから、そもそも減らないのが現実なのだろうけどね。

 

 東雲姉妹の発言は一般論だけではなく、彼女らの家庭環境の経験に裏打ちされてる部分もあるのが丸わかりなので、内情を知っている俺や雅に対して説得力がありすぎるのも始末に悪い。

 

 ところで、知っているかい?

 日本の探偵さんのお仕事内容は、浮気調査が中心らしいぞ。

 俺はそんなことする気はありませんけどね!

 なので、調査されても平気ですけどね!


 えっ? 「相田に惚れそうになってただろ!」って?

 そんなことは聞こえません。

 それに、当時の俺はお付き合いしている女性が居ませんでした。

 えっ? 「麗華が婚約者だっただろ!」って?

 それは麗華が主張していただけで、俺が合意した事実はありません。

 ないよね?




「ファンタジーだと思っていたのに、ラブコメ修羅場とかどうなっているんだ~」


 今日も今日とて、俺は聖域に籠って魂の叫びを放つ。

 皐月さん、弥生さん。

 俺の聖域の扉に耳を当てて、盗み聞きしようとする行為は禁止ですからね?

 廊下に人影がないか?

 叫ぶ寸前に聖域の扉越しに人の気配がないか?

 ワタクシ、それらの確認を怠ったりはしませんぞ!

 でも、できましたらですね。

 仮に聞こえてしまったときでも、聞こえない振りをしてくださると助かります。

 ついでに言うと、聞こえてしまったことは記憶から消去していただきたい。

 俺は恩人らしいから、それくらいのお願いは叶えてもらえるはずだよね?

 信じているからね!


 陽春ようしゅんの候。

 とある一日。

 今の俺は婚姻がすぐにできる年齢に達していないことを理由に、修羅場を鎮静化させるのを成功させたのは過日の話であり、問題を先送りしたことで仮初の平穏が保たれている。

 そんな中で、なんやかんやと、病気や怪我を治す力の発動を試し続けた結果がついに出た。

 しかし、いざできてみると、使用するのは躊躇う力でしかなかったんだよね。

 この力は、どうも俺の生命力的な部分を消費するっぽいんだよ。

 何の代償もなしって美味い話はそうそうないのもわかるけど、代償が重過ぎる気がするんだ。

 これでは、気軽に他人に力を使うわけにはいかない。

 1%ノート以外の特別な力が使えるようになった日。

 俺は「何をどうしたら良いのか?」と悩み、1%ノートに書き込むペンの動きが止まったままの時間を過ごすのだった。

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