第21話
西暦20××年12月××日
期末試験も終わり、特別な学校行事はもう年内にはない。
いつも通り学年一位の成績を収めた俺は、ついにアレの出番となるであろうクリスマスイブの到来を待ち焦がれている。
アレってのは、これまでずっと雅に渡せていないアレであるのは言うまでもない。
この時期、世間も学校のクラス内も、冬の一大イベントを前にして少しばかり浮ついている感じがする。
数日前まではものすごく忙しそうで、それどころじゃない感が満載だった先生たちですらも、弛緩した空気が漂っているのだからそれも当然なのであろう。
師が走ると書いて”師走”なんて言葉があるが、学校の先生が忙しいのは、いわゆる通知表を書き上げる前までなのだ。
従って、その作業が終わっている十二月の十五日を過ぎた頃には、先生だって浮ついていても不思議はない。
ないはずなのだが、我がクラスの担任は、若くて美人なくせにそんな雰囲気を微塵も感じさせなかったけどな。
「綾籐君。先生としてじゃなく、個人的な話があるんだけど、ちょっと時間貰えないかな?」
俺のクラスの担任、
俺は帰ろうとしていたところだったんですけどね。
ここは、雰囲気を変えるためにふざけておくべきだろう。
それで怒られて逃げられるなら最上だ。
「へ? 僕ですか? すみません。僕、もう彼女いるんで。ごめんなさい」
「誰が自分の担任しているクラスの生徒に交際を申し込むか! 全然違う真面目な話なの! 良いからちょっと来て」
俺の渾身のおちゃらけは通用しなかった。
俺が生徒相談室に連れ込まれる事案発生である。
「単刀直入に言わせて貰う。私の妹へ移植をするためのドナーになってください」
「えっ?」
唐突な話に驚く俺。
東雲先生はそんなことを気にせず、問答無用で状況説明を続けていたけどな!
「実はね。私には高校生の妹が居て、少し前に綾籐君が入院していた病院に今入院しているの。君の主治医だったお医者さんは、私の親友の従姉でね」
「そうだったんですか。 それが?」
話の繋がりが見えない。
なんで俺、こんな場所に呼ばれたんですかね?
あ、ドナーか。
「私の妹がその親友の従姉がいる病院に入院して検査を受けた結果、白血病だってことがわかったの。でね、移植を受けなければ助からないの。でもね、移植の適合者が居なくて」
「それが、どうして僕に?」
東雲先生は順番に説明しているつもりなんだろうけど。
こっちとしては、「だから何?」ってなるよね。
もちろん、妹さんは気の毒だと思うけどさ。
「先に言っておくけど、綾籐君の主治医だった親友の従姉は貴方の個人情報を漏らしていないからね」
それ、大事だよね。
てか、そこから俺を名指ししていたのならブチキレ案件だわ。
「『過去に異常な回復力を持った入院患者がいて、その人物なら実は適合している。けれどもドナー登録者ではない。移植の提供条件の年齢制限にも引っ掛かるから、そもそも国内では無理なんだけどね』って、受け持ち患者を助けられない愚痴をこぼしていたそうで。その話から私の親友は、『助けられない患者って、ひょっとして自分の親友の妹じゃないのか?』って考えた。で、その話が私に伝わったのよ」
「その医者の発言にはちょっと問題がある気がしますけど。でも、状況は理解できました。それで、その『適合している』のが『俺だ』と当たりを付けたわけですか」
ここまで来てようやく話の全貌が見えて来た。
東雲先生が俺にお願いをしに来た経緯は理解したよ。
「そういうことです。助けてください。お願いします。綾籐君じゃないとダメなの」
「今ここで返事はできません。ちょっと考えさせてください。とりあえず、三日ほど時間を貰います」
よく知らないけどさ。
移植って待ってる人がすごく多いけれど、誰からでもできるってものじゃないっぽいのはなんとなく知ってる。
でも、話的には「日本じゃ無理」ってどうするつもりなんだろうね?
ま、俺の同意を得るのが最優先なのはわかるけど。
この場で即答できる問題じゃないし、たぶん最終的には俺の母さんの同意も必要な気がする。
どのみち、俺に考える時間が必要なのは動かないよね。
「『一刻を争う』とまでは言わないけど、妹に残されてる時間はあまりないの。お願いします。妹を助けられるなら私、できることは何でもするから。お願いします」
必死に頭を下げられ続けると、何とかしてあげたくなる気持ちにはなる。
女に甘い?
美人に弱い?
ええ、その通りですが何か?
だが、それはそれとして、指摘しておくべき点は放置したらダメだろうな。
「うん。真剣に考えるから。それと、先生みたいな若くて美人な人は、男に『できることは何でもするから』って言ったらダメだよ。俺くらいの年齢の男なんて、頭の中がエロいことでいっぱいなんだぞ。マジで危ないから気をつけたほうが良い」
俺には雅がいるし、それでなくとも下手なことをすれば、母さんや麗華から白い目で見られるのが確実なのだ。
なので、俺に対してならギリギリアウトで済む。
俺が相手でもセーフじゃないからね?
普通の男子生徒なら、マジでやばいからね?
「えっと、その、私は先生って立場だし、条例とか法律とか、いろいろ引っ掛かるからすぐには無理だけど。綾籐君が望むなら、君が十八歳になってからなら」
なんだろうね?
嗜めたらもっと危ない方向に話が進むとかない!
やめてね?
ほんとに引くからさ。
「待て待て待て。望んでないから。ここ大事なとこだからよろしく。あ、そうだ。その妹さんに会って話がしたいんだけど。名前と病室教えて貰って良いかな?」
「あ、うん。妹の名前は
話は終わり、俺は学校からそのまま病院へ向かった。
家に帰って着替えても良かったんだが、「学生服のままの方が相手の警戒心を和らげるだろう」と思ったから。
そんな流れで、俺は弥生さんと面識を得ることになったんだよね。
「初めまして。綾籐一郎です。自分の立場は『貴女のお姉さんの教え子』って言えば良いのかな? 直接会って、お話をしてみたくて足を運びました。これ、お見舞いのお花です。そこにある花瓶に生けても良いですかね?」
「こちらこそ初めまして。東雲弥生です。お花ありがとうね。うん。もちろん生けてくれて良いよ」
花を生ける作業に入った俺に、弥生さんは声を掛けた。
「綾籐君は、何で私に会いに来たの? 私はもうじき、死んじゃう人間だよ?」
「いきなりぶっちゃけますね。なら僕も隠さない方が良いかな。『僕がリスクを取って助ける必要があるか?』の見定めに来たんですよ」
「へー。ってことはドナーになる可能性かぁ。あれ? 待って。君、中学生だよね? 年齢で無理じゃない? あと、他人だと、『ドナーが誰か?』は知らされないシステムって」
「あー。そのへんは説明すると長くなるし、面倒だからやめときましょう」
「そう? まぁ良いけど。なんかねぇ、私の病気はすごくお金が掛かるみたいで、完全に治る見込みもないっぽいんだよね。仮に移植を受けられても、それで確実に治るわけじゃないみたい。だから、自宅に戻って、最後を迎えようかと思ってるの。お姉ちゃんにはまだ言ってないけどね」
弥生さんは「うちって貧乏だからさー」って無理をしているのがわかる明るい感じの物言いをして締めくくった。
ここに来る途中でざっと調べた情報だと、いわゆる白血病と呼ばれる病気で移植が必要なケースは、兄弟姉妹での移植適合率がそれなりにあるが、それでも四人に一人とかそんなレベル。
これが他人になると、「本当にドナーが見つかるのか?」って気が遠くなるレベルに変わる。
あと、治療費の問題も実はすごい。
保険適用で上限額がある制度を利用したとしても、普通の家庭がポンと出せる金額ではない。
この手の問題は難しい部分があるんだろうけど、現状だと「貧乏人は死ね」ってことなのかね。
それに東雲先生の話だと、俺がドナーになるのなら国外での治療が必要になる。
そこまでは調べられなかったが、海外での治療って費用の桁がひとつかふたつ上がるんじゃないですかね?
ま、弥生さん。貴女はラッキーガールだよ。
ここの頭おかしい女医さんと、その従妹になる君のお姉さんの親友、俺に頭を下げまくった君のお姉さんの三人に感謝すると良い。
ついでに言うと、俺の女性への甘さや惚れっぽさにもね。
こんな美人が死んじゃう運命?
そんな世界的損失は、俺の手が届く範囲では認めんよ。
徹底抗戦だ!
美人薄命?
そんな鬱展開はいらん!
ちょっと前に後ろ暗い方向で1%ノートを使うハメになったことだし、釣り合いを考えるなら善行もしておくべきだろう。
その方が俺の気持ち的に良いに決まってる。
「俺は美少女を救うぞ~」
今日も今日とて、俺は聖域で魂の叫びを放つ。
帰宅してからの俺は、とりあえず家族へと俺の考えを伝えることから始めた。
もちろん、三人からすれば東雲弥生さんは縁もゆかりもない赤の他人。
当然のように「そこまでする必要があるのか?」が問われる。
説得する方法?
そんなの、「俺のエゴです!」での一点突破しかありませんよ。
母さんは俺が負う身体的リスクを重視して猛反対した。
最後は折れてくれたけどね。
雅や麗華は、よくわからないけど引いてくれた。
理解があってくれるのは助かります。
母さん。貴女の息子は、助けられる美少女を見捨てられる人間じゃないのです。
許してやってください。
とある一日。
綾籐家の全員と、東雲弥生さんはアメリカの大地に足を付けた。
雅の実母を国外へ出した時に、「何かあると困るから」と一家全員でパスポートを取得していたのがこんなところで役に立つとは。
人生何がどう転ぶのか、何が幸いするのか。
本当にわからないものだね。
もちろん、1%ノートはこの地へも持参している。
もう、渡米中は肌身離さずに近いレベルで持ち歩きたいね。
一旦ホテルの部屋で落ち着いたあと、俺は1%ノートを前に、今後書き込む事柄の優先順位を考えていたのだった。
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