第20話

西暦20××年11月××日


 中間試験と合唱コンクールという学校行事は特にコレと言った事件が起きることもなく終わった。

 中学校の筆記試験に関しては、もう俺は「無敵」と言って良いのかもしれない。

 俺に「意地でも満点を取らせまい」という、試験問題を作る教師陣の謎の努力のせいで、全体的な視点で見ると、各試験で七十点を超える点を取れる生徒がほとんどいない難易度が続出した。

 そのおかげで、試験結果の順位を見ると、二位を大差で引き離してぶっちぎりの一位みたいなんだよね。

 教科書など、中学校三年生の部分まで既に全て頭に入れてしまった俺に、死角はないのだ。

 人間の脳って、一体どれだけの記憶容量があるんだろうか?

 限界と言うか、底が全然見えなくて少々怖くなる。

 試験の難易度に関して、近隣の学習塾に通う生徒と塾の講師陣が、怨嗟の声を上げているらしいんだけど俺が悪いわけじゃないから余裕でスルーだ。

 そもそも、その怨嗟は俺じゃなくて試験問題の製作者に向けられているしな!

 ま、学生の本分はそんな感じで問題ないのだが、私生活の部分は別なんだよね。

 実に遺憾である。




 綾瀬家の母方の祖父。

 故人であり、雅の実母へ負の遺産を残した人物だ。

 俺が弁護士さんに頼んで調べてもらったら、彼の御仁が残した負債は、実は連帯保証人になっていたことが原因だった。

 ま、連帯保証人ってのは自分が借金をしてるのとほぼ同じなので、巨額の負債を背負わされた言い訳にはならないけどね。

 大元の負債を抱えた人物が急逝し、連帯保証人である雅の祖父へ突如巨額の請求が発生した。

 その事実に驚き、雅の祖父がショックからかぽっくりと逝ってしまったのがことの流れのようだ。

 救えない、笑えない話である。


 大元の方を調査すると、負債を膨らませた事業の利益部分を最大限身内に回す手法で切り離していたことが判明したので、どのみち発生した負債は自分らで支払うつもりがなかったのだろう。

 その点は、俺と弁護士さんの意見が一致した。

 これはいわゆる、計画倒産の一種で、詐欺的な案件と思われる。


 雅の実母に関しては、”相続の発生を知った時”を争点にして相続の放棄を法廷で争うことが可能なはずだった。

 そのはずだったのだが、無知って怖いね。

 少額の部分を気前よく払った事実があり、それを以て全ての負の遺産相続の意思を示してしまったことになっていたという。


 遺産相続ってのは、零か百かの二択だからな。

 一部は相続したけど他の部分は放棄しますってのは認められないんだよね。

 そんなわけで、雅の実母は身ぐるみ剥がされても、まだ一億円程度の借金が残るそうで。

 そりゃあ雅にしがみつくしかないわ。

 しがみつかれた雅は迷惑千万だけどな!




「で、どうしようか? 『払え』って言われれば、払えなくはないけど。『金ならある!』ってちょっとドヤ顔してみても良いけどさ。ただ、それやっちゃうと、絶対それだけで終わらないよね。次は『私の生活の面倒を見ろ』って話になるのがミエミエなんだよね」


「私のお母さんは綾籐の姓を名乗る人で、綾瀬なんかじゃない。こんなこと言いたくないけど言わせて貰う。あんな人、死んじゃえば良いのに!」


 雅は実母をあんな人扱いし、助ける気は微塵もなさそうだ。

 まぁ、ぶっちゃけ俺が雅の立場なら、全く同じ意見になると思う。

 ただ、気になるのは、「死んじゃえば良いのに」がこの場だけの勢いではなく、変わることのない本心かどうかだ。

 雅が本気なら、あとは俺の心の問題に切り替わるから。

 後々のことを考えると、頼りになる血縁者は皆無なので、完全に縁がなくなる方が安心できる。

 麗華は、まぁ、うん。

 うちに来た経緯を考えれば、確認するまでもないだろう。

 実際、「本当のお父さん、お母さんに会いたい」の類の言葉は一切出ないしね。


 ここでは関係ないが、雅の両親は同じ名字同士で結婚した夫婦だったらしく、離婚しても姓が変わりようがないわりと珍しいパターンで驚かされた。

 もっとも、婚姻時に姓を変更した側の人は、離婚時に旧姓に戻さず、婚姻中に名乗っていた姓を選択することも可能みたいだけれど。


「雅。実の母親に対してそういう本音は口にしたらダメよ。言いたくなる気持ちはわかるけどねぇ」


 母さんは雅や麗華を”ちゃん”付けで呼ぶのを少し前から止めた。

 それは、完全に実子として扱う気持ちの表れで、本人たちにもそれを伝えている。

 なので、雅を嗜める形で口ではそう言いながらも、母さんの表情は嬉しそうだ。

 満面の笑顔ってのは、こんな時にピッタリな表現なのかもな。

 産みの母より育ての母の自分が、雅から選ばれているのだから、「さもありなん」になるんだけどね。

 雅に接している時間は産みの母の方が圧倒的に長いので、母さんの感激度合いはマシマシだろう。


 ちなみに、麗華は既に就寝している。

 さすがに、小学校三年生にはこんな話を聞かせられないのである。


「一郎。なんとか、良い形で収められないの?」


「うーん。放置しても、先の先まで行くと、相続の問題で再燃するかもだし。それ以前にタカリに来るだろうし。面倒だから借金は俺が肩代わりして払って、ちょっとしたお金も手切れ金として渡して、その代わりに海外へ移住でもして貰うかな?」


 俺の考えは、「容易に会いに来られる状況じゃなければ良い」ってのが主軸なんだけど、別でちょっと黒い思考が入っている部分もある。

 俺が知る限り、日本より治安の良い国ってそうそうないんだよね。


「あんな人、助けなくても。一郎君は『手切れ金』って簡単に言うけど、それって一回もう払ってるよね? 私が養子になる時に、あの人は大金を手にしてるじゃない」


 雅の言うことは間違っていない。

 俺が雅にバレンタインのお返しで贈った宝くじの当選金は、結局全て彼女の実の父と母が持って行ったのだ。

 つまり、雅からすればそれが手切れ金と言える。

 ついでに言えば、雅が綾籐雅になる時に彼女の実母へに対して、俺の懐からの持ち出しもあったしね。


 世の中、お金で解決できないことは少ない。

 なんとも寂しいことだが、事実であり現実である。


「まぁ、それはそうなんだけど。でもさ、これから先煩わされるのも嫌じゃない? こういう言い方はアレなんだけど、国外に出せば簡単にはちょっかいを掛けて来れないし、医療水準や治安状況も違う。寿命の平均年齢データがそれを証明してると思うんだ。積極的に『死んでくれ』とはさすがに言えないけど。海外移住を引き換えの条件で出すのは、そこも考えに入れてる。だからこそ雅には確認したい。本当に完全に実の親と縁を切っても大丈夫? 『いつどこで野垂れ死んでも構わない』って本気で思ってる? 後になって後悔しない?」


「一郎君は、先のことまで真剣に考えてくれているんだね」


 雅が前置きと思われる発言をして、母さんは静観の構えのようだ。

 ま、彼女が決断することなのだから、俺も母さんも彼女が決めたことの手助けをすれば良い。


「そりゃあね。雅は家族で、恋人で、婚約者だもん。当たり前でしょ」


「大人だったらそうかもしれないけど。今の一郎君の歳でそこまでできる人は他に居ないと思う。それと後悔ってのは、後でしかできないよ。私には未来のことなんてわからない。でも、自分で選んだ道なら、どんな未来でも受け入れられると思うよ」


「そっか。じゃ、後のことは、弁護士さんに頼んでやって貰うね。ドライにやって貰う方が良いと思うから」


 雅が決断してくれたことで、俺の覚悟も決まる。

 こうなると、1%ノートの仕様を有り難く感じるね。

 明確に「どの部分が」とは言わないけど。


「一郎。麗華の意思は確認しなくて良いの?」


 話がまとまったと思ったら、母さんからまだ意見があった。

 うん。そこは重要に思えるよね。

 俺は「聞くまでもないんじゃないか?」と、内心では思ってるけど。


「麗華が朝起きてから一応確認はするけど。俺は大丈夫だと思ってるよ。母さんはどう思うの?」


「綾瀬の両親も、祖父母も親戚も、麗華には嫌な部分しか印象が残ってないみたいだから。一郎に頑張らせてしまった過去がある私が言ったらダメかもしれないけど、あの歳の子にさせるべきことじゃないことをさせた両親への肉親としての情は、その後のアレコレも含めて考えると残ってないでしょうね」


 麗華の気持ちへの母さんの見解は、俺の考えと大差ない。

 ならば、進もう。




「しがらみをさっさと清算したいんじゃ~」


 今日も今日とて、俺は聖域で魂の叫びを放つ。

 身体能力が向上しているせいで、最近出せる声量が以前より大きくなっている気がしなくもない。

 俺の聖域に防音工事を行ったのは正解だったのだろう。

 階下では麗華がピアノの練習中であり、俺はそうしたタイミングを見計らって叫ぶ習慣が身に付いている。

 母さんと雅が麗華の練習を聴いているのは言うまでもない。

 なので、聞こえない振りをして貰うまでもないはずなのだ。

 母さん。貴女の息子は、日々成長していますよ!


 晩秋ばんしゅうの候。

 とある一日。

 雅の実母の案件は弁護士さんに諸手続きをお願いして、俺の感覚的には国外追放したも同然の幕引きとなった。

 またしても想定外の多額の出費が発生したが、その部分は実は即穴埋めされていたりする。

 数字選択式の宝くじは、時期に縛られずに買えるからね。

 当選金額が安定しないのが残念だけど。

 とある外国に雅の実母が移住したことを確認できた俺は、1%ノートに断固たる決意ってやつを初めて行使した。

 書いてしまえば、意外と心にクルものがないのは驚いたけれど。

 一度タガが外れてしまったからには、次の使用も躊躇わなくなるかもしれない。

 俺は1%ノートを前にして、改めてこのノートの恐ろしさについて考えていたのだった。

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