第18話

西暦20××年9月××日


 とうの昔に退院を済ませた俺は、中学校の二学期が始まったこともあってちゃんと学校に通っている。

 名残惜しそうな、と言うより、何とか理由を捻り出して入院を継続させたかったであろう美人女医を振り切って退院したのは正解だったのだろう。

 何故なら、現在の俺の家には雅も住んでいるからだ。




 これは過日の話になるが、退院した後、俺が即座に行ったのは母さんと麗華と俺の三人での家族会議。

 そこでの議題は、雅の生活環境を何とかすること。


 夏の大きなくじは、驚くことに、母さんも麗華も最高の当選金を手にする結果となった。

 二人とも、無駄遣いさえしなければ、この先の人生で一生普通に生活して行くことができるお金を得たわけだ。

 あ、いや、麗華に関しては断言できないか。

 先が長いし、インフレとかで、貨幣価値の変動もあり得るしね。

 対策として、資産運用の勉強も必要なのかもしれない。

 話が逸れたが、要は、綾籐家の人間は金銭的余裕が生まれ、雅の現状を気に掛けることができるようになっているってこと。


「まず最初に。学校で俺が先生ミサイルの直撃を受けた時と、入院中の学校関連について、雅は俺のために尽くしてくれた。つまり、恩がある」


「そうねぇ。良い女の子なのよね」


「おねえちゃんはいい人だよ?」


 とりあえず母さんと麗華の賛同が得られたのは良い傾向だ。

 本題の話を進め易いからね。


「で、雅の現在の家庭環境が非常によろしくない。それと、俺にもう一回告ってくれたので、受け入れた。母さんや麗華には思うところがあるかもしれないけど。許して欲しい」


「おにーちゃんは、おねえちゃんとけっこんするの? もう、れいかとこんやくしてるのに!」


「麗華の気持ちは嬉しいけど。麗華のことは大好きだけどね。それは家族としての愛情なんだ。だからごめん」


 麗華はお怒りモードに突入したが、これはもうどうしようもない。

 時間が解決する問題でしかないのだ。

 そもそも、麗華が今のままの気持ちを、十数年後まで持ち続ける保証もないし。

 将来きっと、彼氏としてイケメンとかを家に連れて来る日も訪れることだろう。

 そんな想像をすると、なかなか心にクルものがあるね。

 お兄ちゃんが認める立派な男でないと、男女交際は許さんからな!


「一郎。母さんとしては賛成できない。綾瀬家の両親と、親戚関係を上手くやって行くのは無理よ。麗華ちゃんの時の件で、それはわかっていると思うけど」


「うん。わかってる。ただね、今の雅が置かれている状況は、あの時の麗華より酷いかもしれないんだ」


 俺は雅の家庭環境や両親の動向について説明した。

 綾瀬家の親と上手くやって行くのが無理なのは確かだが、「彼らは雅に関心がないため、干渉されること自体がない」との予測も含めて。

 そもそもだが、あちらの両親の動向に関しては、本来なら母さんや麗華に向こうから連絡がなければならない話でもある。

 何故なら、麗華は綾籐家の普通養子であるため、元の両親との関係が完全に切れているわけではないからだ。

 綾籐家としては、麗華を特別養子にしたかったんだけどね。


 法的な様々な部分で麗華を綾瀬家から完全に切り離そうとすると、特別養子縁組という手段が必要になる。

 けれども、残念なことに、その手段は法律に阻まれて選択できなかった。

 特別養子は普通養子より成立させる要件が厳しい。

 特別養子を迎え入れるには、新たな養い親が”夫婦”でなければならない。

 その条件が、父を失った母さんではクリアできなかったのだ。


 弁護士さんは「なんとか特別養子縁組を認めて貰えないか?」と、いろいろと手を尽くしてくれたのだが、裁判所やお役所は頑なだった。

 まぁ、弁護士さんが言うには、「これでも昔に比べれば特別養子縁組の条件は年齢制限などの部分で緩和されているため、今は無理でも将来は可能になるかも」ってことだったけどね。

 なんでも、昔は六歳未満しか認められなかったのが、今は原則十五歳未満に緩和されているそうだ。

 ついでに言うと、十五歳以上十八歳未満までは、養子になる本人の意思確認など満たす要件がより一層厳しくなるが、原則から外れる特別養子縁組が認められるケースもあるらしい。

 人を守るための法律で、苦しめられる人が居るってなんだろうね?


 普通養子は元の親族と完全に縁が切れるわけではないため、相続と生活扶助義務から逃れられない。


 生活扶助義務はともかくとして、相続なら問題ないんじゃ?


 そんなことを考えた時が俺にもありました。


 ところがですね。

 相続ってのは、マイナスの財産、いわゆる負債、借金の場合もあり得るんです!

 もちろん、拒否するための相続放棄って方法もあるんだけど、相続が発生してから放棄の手続きが可能な期間ってのは短く、手続きが遅れると問答無用で借金が相続されるというね。

 法もしょせん人が作り出すものだから、完全ではないんだろうけどさ。


 生活扶助義務ってのも大問題で、これは簡単に言うと「生活が困窮している親族への仕送りの強制」みたいなもの。

 一応、自己の生活を最優先で守って、余裕のある範囲に限定されているけれどね。


 麗華の場合だと生活扶助義務が課せられる可能性がある範囲は、綾瀬家関連限定なら、両親、姉(雅)、祖父母、両親の兄弟姉妹までが対象になる。

 ま、両親の兄弟姉妹まで血縁関係が遠ざかると、原則からは外れているので特別の事情がなければ大丈夫らしいのだが。


 俺の感覚からすると酷い話なんだけど、綾瀬家が五億の負債を抱えた時に逃げ出した親族でも、彼らの生活が困窮に陥って正式な法的手続きをされれば、生活扶助義務からは逃れられないそうで。


 世の中、本当にどうなってるんだろうね?


 事前にいろいろと教えてくれた弁護士さんには、感謝感謝だ。

 向こうは向こうで、「金払いの良いお得意様へのサービス」って思ってるだけかもしれないけれど。

 まぁ、疑ったら申し訳ないので、「善意で教えてくれた」と考えた方が良いね!

 綾籐の家が弁護士さんにとって太いお客なのは事実だけど。




 脱線気味なので話を戻そう。


 俺が説明することで、雅の生活環境がよろしくないことは母さんに理解された。

 でも、現状では他所様の家の話でしかない。

 ただし、麗華のことがあるから、完全に他人ってわけでもないけどね。


「つまり、雅ちゃんも養子としてうちの子にしようって話になるのね? 母さんは構わないけど、あの母親が合意する? 『行方がわからない』って話の父親の同意は必要なのかしら?」


「弁護士さんの話だと、虐待の範疇で処理すれば同意は要らないみたい。そのへんは裁判所の判断になるみたいだけど、『聞いてる状況が正しくて、雅本人の同意があるなら、まず間違いなく認められる』ってさ」


 問題を解決するには、最後は金目。

 この歳でそれを思い知らされている俺は、不幸なんだろうが、たぶんある意味で幸運でもあるのだろう。

 だって解決できるだけのお金はあるから。

 この時の俺は、「雅の母親は、俺の持つ金の力で転ぶだろう」と、考えていた。

 そしてそれは間違いではなかったのだ。


 それはそれとして、俺は俺だけの聖域の防音工事を大至急で手配することになる。

 雅がこの家に住むとなれば、彼女は俺の聖域の間近の部屋を自室として生活することになるから。

 まぁ、ついでに、ピアノがある我が家のリビングもその改装を行うのだが。

 これで、麗華のピアノの練習時間の制約が減る。

 お兄ちゃんは、可愛い妹への投資を惜しまないからな!

 これは、彼女が主張する俺との婚約の件を、うやむやにするためのご機嫌取りなどではない。

 決してそんな話ではないのである。




「俺の嫁取り計画は完全復活じゃ~」


 これでもか!

 そんな勢いで、腹の底から絞り出すような大声で、俺は気兼ねなく、久々に渾身の魂の叫びを放つ。

 俺だけの聖域はバージョンアップし、防音室と化したのだ。

 特急料金を支払って防音工事を急がせたため、相場の三倍ほど費用が掛かっているのにはこの際目を瞑る。

 他人が聞いたら眉をひそめること請け合いの、「金ならある!」を地で行く行為なのは些細なこと。

 雅の実の母親をお金の力で黙らせたのは、もっと些細なことである。

 俺様の札束ビンタをくらえ! ってなもんだ。

 強いて言えば、俺の叫びをそろそろ聞こえない振りがしたくなっているに違いない俺の母さんや麗華に、申し訳ない気持ちはあるのだけれど。

 防音化して、期待を裏切ってしまって悪いね。


 清涼せいりょうの候。

 とある一日。

 雅から血縁関係のある親族の一覧表を受け取り、「どのような感情を持っているのか?」の情報収集を終えた俺は、「後顧の憂いを断つかどうか?」を考えていた。

 何故なら、とりあえず1%ノートに特別養子縁組の要件緩和を書き込んでみたものの、あっさりと消えてしまって成立しなかったからだ。

 雅や麗華を使って、彼女らの口から祖父母に資金援助を求めさせた過去の綾瀬家の両親のやり口もどうか?

 そうは思うのだが、彼女らのお願いをすげなく断って「お前たちは、もう孫とは思わん。二度と顔を見せるな!」という内容の言葉を、直接平然と言い放った母方と父方の爺婆も相当アレな気がする。

 しかも、彼らは恥も外聞もなく、綾瀬家が立ち直りつつある段階で仕送りの再開を求めたそうだ。

 1%ノートの力は、金を稼ぐことだけに使えるわけではない。

 使い方次第だが、他人を害することに使う方法だってあるのだ。

 雅と麗華の将来を守るためにはどうしたら良いのか?

 1%ノートを前に、俺はそんなことを考えていたのだった。

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