１％ノート

第10話

西暦20××年1月××日

　冬休みも終わり、俺の日常生活は学校へ通学する日々へと戻っている。

　年末年始のイベントは前年と大差なく過ごした。

　つまり、母さんと慎ましく過ごしただけだ。

　まぁ何の事案発生もなく穏やかに過ごせたのは、良いことと喜ぶべきなのだろう。

　世の中には「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がある。

　それとはちょっと違うのかもしれないけれど、うちの親戚関係は俺の父が亡くなったあと、相続時に金銭関係でバチバチにやりあったせいで、修復不可能なほどに険悪なものになっているのだ。

　それは、祖父母ですら例外ではない。

　何故なら、彼らは母さんと俺に残されたお金を、「すぐに必要な金ではないのだから、貸せ」と言い放ったのだから。

　しかも、「身内同士だから、借用書なしで返済条件未定且つ無利子」という、金を返す気が全く感じられない、凶悪なオプション付きの形でだ。

　もちろん、そんなものは俺がブロックしたけどね。

　昔は、両親と共に祖父母の家を訪ねて、親戚連中と顔を合わせ、お年玉のやり取りなんてものもあったのだ。が、険悪な仲になってしまったから、俺がそのイベントに参加できたのは小学校五年生の時が最後となる。

　まぁ、それ以降も母さんからはお年玉を貰っているため、まるっきりお正月イベントと縁がなくなったわけではないのだけれどね。

　ちなみに、綾瀬家の親戚関係も、実はうちと大差ない状況に陥っている。

　こちらはうちとは逆に、お金の工面のために雅の両親が走り回った結果なのだが、手を差し伸べた血縁者は皆無だったようだ。

　こちらはまさに、金の切れ目が縁の切れ目を地で行った感じである。

　雅の父から聞いた話では、縁が切れたせいで実家への仕送りを止めたため、綾瀬家の生活を立て直すのが早くなるらしい。

　負債が清算できたのをどこから知ったのか、実家から仕送りの再開を求める連絡はあったそうだが、華麗にスルーを決め込んでいる状況。

　このへんの事情は俺の家とは異なるが、うちも祖父母への仕送りを縁が切れた時点で止めたので、結果だけを見ると状況は似ているのだろう。

　つらつらと状況を整理して考えているが、重要なことは、「雅とのキャッキャウフフのクリスマスもお正月もなかった！」という悲しい現実だ。

　しかしながら、金銭面での俺の運は強い。

　どうも持っている側の男のようだ。

　単に１％ノート様様なだけという話でもあるのだが。

　当選券の換金手続きは既に終えているため、銀行口座にお金が振り込まれるのを待つばかり。

　年末恒例の大きな宝くじで、前後賞を含む一等を俺は見事に引き当てている。

　通帳に振り込まれた金額が記載されたあと、それを雅に見せれば、ワンチャン復縁の切っ掛けにならないものか？

　そんなことを考えたりもしている今日この頃だ。

　ならないのは知っててもね。

　まぁ、そんなアレコレはさておき。

　雅の妹の麗華ちゃんは、公園でのピアノの一件があってから、かなりの頻度で俺の家にやって来るようになった。

　と言うか、来ない日が珍しいレベルだ。

　平日はほぼ確実に来ているし、土日だって午後から練習に来る。

　俺の母さんによると、「ピアノは練習の質が高くなければならないのは当然だけど、それを踏まえた上で練習時間の総量が重要」らしい。

　なので、毎日練習に来るのは全く問題がないのだそうだ。

　実際問題として、麗華ちゃんが自宅に居ても母親はパートに出かけているし、平日なら姉の雅の帰宅時間は彼女より遅い。

　つまり、うちに来なければ独りの時間が長くなるだけだ。

　誰も居ない時間を自宅で孤独に過ごすよりは、俺の家に入り浸っている方が遥かにマシであろうことは容易に想像がつく。

　麗華ちゃんのピアノの実力は、そこそこ高いらしい。

　いわゆる、才能があるってやつね。

　なので、俺の母さんからすると、教えがいがあって非常に楽しいようだ。

　そんな部分もあって、母さんは麗華ちゃんを第二の娘扱いしている。

　もちろん、第一の娘は雅なのだが！

　そこは重要なので強調しておく。

　テストには出ないけどな。

「いちろーおにいちゃん。おかえりなさい」

「お帰り。一郎」

「ただいま」

　なかなかにクリティカルヒットで俺の心に刺さる、美少女のお出迎えの言葉。

　これは、良いものだ。

　もう、正式にうちの子になっちゃいませんかね？

　超歓迎しますよ！

　麗華ちゃんは俺の家のリビングで母さんに付いて貰って、カリカリとノートに何かを書きつけ、宿題らしきものをしていた。

　飲みかけのジュースと食べかけのドーナツも、テーブルの上にある。

　どうやら、ピアノのレッスンを終えて、おやつタイムと勉強の時間へと移行していたようだ。

「宿題かな？　お勉強も頑張ってて偉いねぇ」

「うん。いっぱいべんきょうして、れいかははやくお金をたくさんかせげるようになりたいの」

「そっか。お金かぁ」

「うん。お金はだいじなんだよ。もやしさんがいっぱいのおうちのごはんは、あんまりすきじゃないの」

「麗華ちゃん！」

　麗華ちゃんの隣にいた母さんが、感情を高ぶらせて彼女を抱きしめた。

　そして、俺へと視線を向ける。

「一郎。何とかならないのかしら？」

　母さんは、俺の懐に宝くじの当選金が転がり込むことを知っている。

　なんせ、高額当選金は親が同伴しないと受け取り手続きができないからね。

　母さんからの言葉は、それを知る故の問いなのだろう。

　もちろん、俺としても何とかしたい気持ちはある。

　十分過ぎるほどに、溢れんばかりに、あるのだが。

　現金と気持ちだけではいかんともしがたい。

　悲しいけど、それが現実なのよね。

「うーん。お金だけで解決するなら良いんだけど、雅の気持ちも尊重したいんだよね。難しいよ」

「みやびおねえちゃん？　おねえちゃんは、『これいじょういちろーおにいちゃんのお金をつかわせられない』っていってたよ。『いちろーおにいちゃんのお金はもうあんまりのこってない』って」

　雅は妹ちゃんに何を語ってくれちゃってるのかな？

　麗華ちゃんから出た驚きの発言に、俺はビビる。

　小学二年生にしては、記憶力や理解力が高過ぎる気がしたからだ。

　だが、こうなると、少々突っ込んだ話を振っても良い。

　だから俺は言葉を選んで、麗華ちゃんに語りかけた。

「そうか。でもな。お兄ちゃんはそんなに弱っちくなんかないんだ。麗華ちゃんのお姉さんを助ける力はあるんだよ」

「おにいちゃんはお金もちなの？」

　麗華ちゃんの、純粋なキラキラした目で見つめられながら問われると、なかなかに心にクルものがあるのは内緒だ。

　この内緒の部分は、一生秘密にして墓まで持って行く所存である。

「うん。実はそうなんだ。でも、これは秘密な。大金は悪い大人を呼び寄せるから」

「わかった。ひみつだね！」

「一郎が決めて動くことだけど、雅ちゃんや麗華ちゃんが辛い目に遭うのは、私が嫌よ？」

「すぐにとは行かないかもしれないけど、何とか考えてみるよ」

　俺には１％ノートがある。

　良い方法を思いつきさえすれば、それを実現させることはノートの力を使って時間さえ掛ければ、不可能ではないのだ。

　この時の俺はそんなことを考えていた。

「とりあえず、今晩は麗華ちゃんに夕食をご馳走することに私は決めました。一郎。悪いけど綾瀬さんの家に連絡を入れておいて頂戴な」

「わかった。雅のお母さんへのメール連絡と、雅へは電話しておく」

　こういう時の母さんには逆らえない。逆らっちゃいけない。

　俺の返答は「はい」か、「YES」などの了承系以外はあり得ないのだ。

　今回の言葉の選択は「わかった」だったけどね。

「よし。じゃ、麗華ちゃん。何が食べたいかな？　今晩は私が麗華ちゃんの好きなものを作ってあげます」

「ほんとう？　いいの？　じゃあ、じゃあね、れいかはおにくがたべたい」

「なら、今夜は焼肉にしましょうか。でも、お肉ばっかりじゃなく、お野菜も食べなきゃだめよ？」

「やった！　やきにくだいすき！」

　麗華ちゃんは、母さんからの「お野菜も食べなきゃだめよ？」の部分に対して、子供の特権である「嫌なことは聞こえないよ！」スキルを発動させたようだ。

　微笑ましくなる会話を聞きながら、俺はポチポチと彼女のお母さん宛てにメールの文章を打ち込んでいた。

「俺の嫁取り計画は、停滞中じゃ～」

　夕食を終えて、麗華ちゃんを綾瀬家に送り届けた俺は、真っ直ぐに帰宅して聖域へと籠り、今日も今日とて魂の叫びを放出する。

　送って行く道中で、「おねえちゃんがむりなら、わたしがいちろーおにいちゃんのおよめさんになるからあんしんしてね！」とのお言葉。

　雅に知られたら、極大の殺意を向けられかねない恐ろしい言葉を頂戴してしまった俺は、一刻も早く彼女との関係を修復する必要があるのを痛感した。

　今日の母さんは、ちょうど入浴中であるため、俺の叫びを聞こえない振りをするまでもないはずなので安心安全である。

　厳冬（げんとう）の候。

　とある一日。

　近々に大金を入手することが決まっている俺は、得意（？）の札束ビンタでは雅との関係が修復できないことに悩んでいた。

　出番の当てがない婚約指輪の存在も、気が重くなるのに拍車を掛ける。

　少し先にある二月の重大イベント日に、雅から本命チョコを受け取る以外の事案が発生したならば、傷心状態に拍車がかかった俺はそのへんの自転車を盗んで走り出したくなるかもしれない。

　実に危険な状況である。

　俺は１％ノートを前に、そんな最悪の事態の発生を避けるべく、無い知恵を絞るのだった。