鏡の中にお返しします

チン・コロッテ@少しの間潜ります

第1話

 鏡の"中"の世界に行ってみたいと思ったことはある?昔読んだ小説なんかでそんな話あったよな。オレはあるんだ、小さい頃だけどさ。しかしまあ、そんなこと言えば、きっと「女子みたいな奴」って馬鹿にされるんだろうよ。オレの友達、大体そんな野暮な連中ばっかだからさ。えっ、誰と話しているのって?それはほら君と-。


「-ろ。起きろー!」

ボスン!

「ゴヘェッ!」


 オレは腹部にとても、とても重い何かに乗られて、驚愕の中で目を覚ました。くの字に曲がった身体そのままに目を開けると、そこには茶色っぽいボブに、オレと同じ学校の女子用制服を着た"奴"が居た。


「おいおい、ゴリラ…。もっと優しくは起こせんのか。地球が降って来たかと思ったわ」


 オレは頭を掻きつつ、ため息をついてから困った顔でゴリラを横目に見た。ドスンとまたゴリラから放たれた一撃が腹を打つ。


「誰がゴリラじゃい!そして、誰が地球じゃい!可愛く軽くてうら若い乙女なんですけど!」

「お、お前、もしかして嘘しか言えない魔法にでもかかった?こんなゴリラ、童話の主役になんてなれそうにないけど…」

「そんなわけないでしょうが!ふざけてないで、早く準備しなさいよ!今日、買い物行くって約束じゃん!」

「そんな約束したっけ?」


ドスンッ!


「イテッ!」

「バカっ!」

「はあ。へいへい。分かりましたよ、お嬢様」

「ふん、分かればよろしい」


 ゴリラこと榊原芽衣さかきばらめいは誇らしげに胸を張り、鼻息を吐いた。オレはその様子を鼻をほじる真似をしながら、ぼけーっと見る。


「なによ?早くしなさいよ。また殴られたいの?」

「いやさ…」

「なんなの?言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「お前がどけんと、オレ動けないじゃん。地球乗ってんだから、腹に。」

「なっ…!」


 ドスン。オレの家の周りの鳥達が一斉に飛び立った。

 オレの名前は黒名央介くろなおうすけ。高校生。朝に弱く起きれないから大抵の場合誰かに起こされている。昔サッカーをやっていた頃はそんかことなかったけれど、怪我で辞めた今、心のどこかに満たされない気持ちがあって、ときどき行きたい場所がある訳でもないのに「どこかに行きたい」、そう思うことがある。

 今日は芽衣とデートの約束をしていた。芽衣とは今では交際関係にあるが、小学生の頃からの付き合いのため、つい小学生の男女特有の憎まれ口を叩き合うのが常で、あまり世の期待する高校生イチャイチャップルのそれとはかけ離れた関係にある。外で手も繋がないし、ペアルックなんかもしない。ただ何となく好きだし、芽衣居るのは心地が良かった。そして、それは芽衣も同じだった様で付き合うことになった。今日は芽衣ことマイハニーが、いややっぱりマイハニーって気持ち悪いな、芽衣が買い物に行きたいというので、繁華街に出る予定となっていた。


 オレが支度を済ませると、早々にオレ達は電車に乗って数駅先の繁華街へと向かった。


「どこ行くんだ?」

「『アリス』っていう雑貨屋さん。あおいが教えてくれたの。可愛い小物が揃ってるんだって」

「へぇ…。"鏡の"?」

「えーっ?普通、"不思議の"じゃない?二作目じゃないの、それ」

「あれ?穴入るのは?」

「"不思議の"」

「じゃあ、"鏡の"は?」

「鏡の中に入るやつ」

「鏡の中…。鏡?あー、なんだっけ?今日夢でそんな話してたような…」

「あーっ、ちょっと!もしかして、話逸らそうとしているでしょ!もう、もうちょっと『どんなお店なの?』とか『何買うの?』とか、そんな話より、私のことに興味持って、盛り上げようとしてよ!」

「い、いや、本当にさ、なんかこう喉の奥に小骨がひっかかっているような…」

「バカッ」

「イテッ!」


 このとき、まだオレはこの『アリス』を端緒とし、ひどく奇妙な事件に巻き込まれる事に気付くはずもなく、ただぼんやりと腹に宿る痛みに手を当てながら車窓の青空を見るだけだった。

 過去に戻れるならば、この事件に巻き込まれぬよう、今のオレを止めるだろうか。いや、きっとそうではない。オレはこの事件によりかけがいのないものに気付けたのだから。

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