第30話 2024年9月、若い挫折

月初プロフィール(9月): 若い挫折

学生は挫折を通して成長すると思います。

若い学生には進むことができる多くの道があるからです。

学生時代の最初の挫折は教養時代(1966年)でした。

新入生の私は(愚かにも)大学に高校と同じような化学クラブを作ろうとしました。

教養の化学の助教授に責任者になってもらいポスターを作って人を集めようとしました。

誰も集まりませんでした。

大学には化学科があるのだから当たり前ですね。

仕方がないので一人で助教授の実験室で過酸化水素と水酸化ナトリウムの溶液中での塩素気体表面の赤色発光を調べようとしました。

そしてその発光のスペクトルを測定するため分光器がある研究室に装置を持ち込んで測ろうとしました。

(その研究室は水島三一郎門下の教授で、蛍光とか燐光とかを研究しており、私が目指した研究室であり、後に長年過ごすことになる研究室でした。)

ところが上に浮き上がる気体の表面の発光を測定することは技術的に難しく測定できませんでした。

それに測定装置をいためる塩素が厄介でした。

そもそも私は分光器なるものをそれまで見たことがなかったのです。

測定してくれた助教授(後の恩師)は困っている私を見て可哀想に思ったのでしょう。

赤い光を見て「こんなものだろう」と言って偽のスペクトルをチャート用紙に描かせました。

そのスペクトルのピークが正解の630nmだったかどうかは覚えておりません。

それを見て私は実験を続ける気力がなくなりました。

インターネットで調べると現在ではこの発光の機作はすでに解明されているようです。

愚かな新入生に付き合ってくださった多賀光彦助教授(現在は名誉教授)に深く感謝いたします。

 次の挫折は学科に配属されてからでした。

「準備室」という名前の部屋があり学科の学生(化学科35人化学第2学科35人?)が自由に使えるようになっていました。

4年生は各講座に配属されているし2年生はまだ学部に配属されてはおりません。

我々3年生はこの部屋に集まって会話しておりました。

私は賛同者を募ってインスタントコーヒーとクリープと砂糖と洗いかごと電気ポットを準備し参加者が準備室で自由にコーヒーを飲めるようにしました。

参加者は自分用のコーヒーカップを持ってきました。

最初は良かったのですがやがて参加者の一人が友達を連れてきてコーヒーを飲ませるようになりました。

さらにその友達が知らない友達を連れてくるようになりました。

そして準備室は只でコーヒーが飲める場所になってしまいました。

その者達は使ったカップ(他人のカップ)を洗いもしません。

 その頃学内では学生運動が激しくなりかけておりました。

私はずうずうしく品性下劣な学生運動家は嫌いです。

学生運動家は礼儀正しくあらねばなりません。

たとえ準備室で高尚な議論を交わしていたとしても只飲みはいけません。

使ったコーヒーカップは洗わなければなりません。

私はお金を出してくれた同級生に申し訳なく思いコーヒーサービスを中止しました。

そんなクラスの同窓会が喜寿年の今年(2024年)の5月12日に開かれました。

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