第25話 2024年4月、燐光体と染色体

月初プロフィール(4月):

 母校の高校には3階建てのドーム天文台があり大きな天体望遠鏡が備(そなわ)っておりました。

そこを管理していた地学部に友人がおり昼休みに天体望遠鏡で地上を逆さに眺めたこともあります。

ドームの下の階には写真現像用の暗室がありました。

化学部の実験室には暗室がなかったので時々使わせてもらいました。

硫化亜鉛/銅の燐光体を作成していたからです。

真っ暗な暗室で怪しく光る白い粉末を相棒と眺めました。

(今思えば暗室は真っ暗ではありませんでした。扉の隙間から光が入って来ていたはずです。トリチウム標識チミジンを使って細胞の不定期DNA合成(UDS)を観測した時(オートラジオグラフィー)に使用した暗室は完全に真っ暗でした。1時間入っていても真っ暗でした。大粒子の感光乳剤は高感度だからです。)

 暗闇の暗室で発見したことがあります。(大発見は暗闇から)

燐光体を入れた缶の蓋に巻いた黒のビニールテープを剥がすとき分離部分が青白く光ることを発見しました。

もちろん理屈は推測でしかできませんでした。

インターネットがなかった60年前(1964年)の話です。

それにまだ未熟な高校二年生と一年生でした。

 現在のインターネットには分離部の発光は静電気の放電でその放電でX線が出ると書いてありました。(Nature 455: 1089-92, 2008)

X線ですよ、X線。

ビニールテープを剥がす力でフィルムを感光させるX線が出るのです。

暗闇での発見はやはりネイチャー誌に掲載されるほどの大発見の端緒でした。

 机の引き出しの奥、私の染色体標本の下に当時の燐光体サンプルが保存されておりました。

その燐光体はまだ光りました。(一人なので怪しくは光りませんでした)

次はその染色体標本の話です。

 人は自分の血液型は知っていますが染色体数はなかなか確認することができません。

私は大学生の時に染色体を調べてもらいました。

大学の講義で他学科の講義を受けなければならないという企画がなされました。

私は蛍光とか燐光とかの量子化学的な物理化学が好きだったので最も離れた生物学科を受けました。

講師は牧野佐二郎教授で白血球から染色体を取り出す方法を開発した方でした。

その方法は後になって3倍体V79細胞の対照としてチャイニーズハムスターの染色体を調べる時に使わせてもらいました。(Cell Prolif.,2002)

「僕のところに来れば72時間で染色体を調べることができる。」

明治生まれの老先生は講義の後半で自慢しました。(前半も純系マウスの自慢話でした。)

恐れを知らなかった学生の私は講義後教室に行って牧野先生に言いました。

「先生、僕の染色体を調べて下さい。72時間で染色体を調べることができるとおっしゃいました。」

牧野先生は迷惑そうな顔をしましたが講義で言ってしまったので断ることができません。

助教授を呼んで染色体を調べるように命じました。

染色体プレパラートは4日目にできあがりました。

「君のY染色体は少し大きいな。数は46本正常だよ。」

助教授が染色体プレパラートを渡す時に言いました。

私は自分の大きなY染色体を誇らしく思いました。

そのプレパラートは机の隅にまだ残っております。

私は物持ちがいいのです。

(2024.4.1)

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