ウチの兄貴は妖を食うらしい
青山みどり
ウチと兄貴と河川敷
一話 ウチと兄貴と河川敷
恥を忍んでお話する。兄貴と手を繋がないと下校できない時期があった。
勿論小っちゃい頃の話。大きな赤いランドセルを亀の甲羅みたいに背負ってひぃひぃ言ってた時の話だから勘違いしないように。
汝ブラコンと言うなかれ。そこには「やんごとなき事情」という物がある。
下校の最中、どうしても一人で通れない場所があった。
幼い頃に通っていた小学校から家までの帰り道に、ある河川敷があった。少し前に整備されたばかりのその河川敷は、休日はBBQをする家族連れやフリーマーケットで賑わう近隣住民の憩いの場として愛されていた。
しかしウチだけは違った。その河川敷が苦手だった。できるだけ寄り付きたくないのに、自宅が学校の対岸にあるせいでその河川敷を通らざるを得なかった。
下校の時間、夕焼けに染まった河川敷を歩くと、様々な人とすれ違う。大人びた高校生のお姉さん。犬の散歩をするおじいちゃん。買い物帰りの男の人。
・・・そういう人だけなら良かったのに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「逢魔が時って言うんだってさ」と図書室に入ったウチに気づくと兄貴は言った。
兄貴は部屋の奥、長机の隅でなにやら分厚い本を広げていた。
オウマガドキ?なにそれ?聞きなれない単語を頭で反芻しながら、ドアを閉めるとガラガラと大きな音がした。
おにいちゃんと一緒じゃないと帰れない。しかし放課後は校庭でともだちと一緒に遊びたい。そんなことを平然とのたまう我儘な妹のために、兄貴はよく図書室で時間を潰してくれた。下校を促す蛍の光が眺め始めると、ウチはようやく図書室で待つ兄貴の下に向かうのが毎日の習慣だった。
今思うと兄貴はいい迷惑だったと思う。確かに幼い頃から読書は好きらしかったが、だからといって下校時間ぎりぎりまで図書室にいるのは退屈だろう。事実、ウチが兄貴の元に行く頃には図書室にはいつも兄貴しか残っていなかった。
ウチを待つ時間暇じゃないの?と不思議に思って聞いてみると「本を読んで、窓から賑やかな校庭を眺めていたら、あっという間に時間が経つからから不思議だ」と真面目な顔で言うものだから、ウチに気を使っているのか、マジでそう思っているのか判断が付きにくかった。まぁ、おそらく本心だろう。兄貴はマイペースを極めている上に嘘が下手くそだから間違いない。
兄貴を見ていると、動物園の脱力しきったコアラだとか、お湯に浸かったカピパラだとかがチラつく。なんというか「ホントにこいつ自然界で生きていけるんだろうか」と不安になるような感じ。兄貴もあの雰囲気を纏っている。
学校の西館にある図書室は、窓から入る夕日に染まっていた。本の詰め込まれた本棚も、部屋の中心に二つ並べられた大きな長机も、その長机の隅で一人ページを捲る兄貴も、ペンキで塗られたように真っ赤だった。
「おにいちゃーん。帰ろー」
「まぁ待ちなよ。これ見てよ」
兄貴に駆け寄ったウチは、隣の椅子に座って、兄貴の広げた分厚い図鑑を覗き込んでみる。
図鑑に載っていたのは、ある一枚の古い日本画のようだった。
眺めてみると、夕方を伝える鴉が飛び回り、大きな太陽が沈もうとしている絵である。空には雲が架かっている。
左上には、筆で「逢魔が時」と描かれている。この絵のタイトルだろう。兄貴が言っていたのは、この絵のことか。
どうやら夕暮れの風景を描いたものらしい。おや、と目を惹いたのは日本画の上部である。浮かぶ雲の形がなにやら変なのだ。
首を傾げてよく見てみると、あることに気が付いた。雲の中にはぎょろりと光る瞳がいくつもあるのだ。その瞳の持ち主は、蛇のように細長い龍だったり、鼻の長い天狗だったり、なんだかこどもの落書きみたいな可笑しな生き物だったりする。
太陽が沈むにつれて雲の形が化け物の姿へと移ろっている絵のように思えた。
なんでお兄ちゃんはこんなヘンテコな絵を見せたのだろう、と幼いウチは思った。普段は文字の敷き詰められた小説ばかり読んでいる兄貴が、図鑑を広げていること自体珍しいことだったし、何を伝えたいのかさっぱりわからなかった。
「昔から、日が沈み始めて辺りが暗くなり始める時間は逢魔が時って言われてて、魔物だったり、お化けだったりが出やすい時間なんだって」
その言葉でやっと、兄貴が言いたいことが分かった。
「おにいちゃん。それってあの河川敷のこと?」
「・・・うん。たぶん関係あるとおもうよ」
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