第29話
ギャルゲーなら一つの選択肢を選べばそれで終わりだが、現実はもっと欲張れる。デイガールの部屋を出たあと、俺はクラミーの実験室に向かった。
トイバー邸の二階はほとんどが客室だ。その客室を三部屋ぶん、壁を取り除いて無理矢理つなげているのがクラミーの実験室になっている。ライナ騎士団がここに来たばかりの頃、勝手に建物を改造することにカンちゃんは猛反対したそうだが、クラミーが爆発事故を何度も起こし、それを狭い部屋のせいにしたため、トイバー家の皆様が戻ってくるまでという条件付きで、最終的にカンちゃんがおれた。
扉は当初のまま残っており、第一実験室、第二実験室、第三実験室、とそれぞれプレートがかけられている。中は全て繋がっているのに番号をつける意味がわからない。ちなみにクラミーはあと二部屋も専有しており、私室と工房と呼んでいる。トイバー邸二階の三分の一をクラミーが使っているのだ。まあ、メンバーは少ないし、部屋も余っているのでいいのだが。それにしてもやりたい放題だ。
第一実験室の扉をノックする。二つ隣の第三実験室の扉が開いた。中からとんがり帽子の先端だけが突き出てくる。
「何用ですか?」
「ちょっと話せるか?」
「作業に集中したいのです」
「なに作ってるんだ?」
「どんな攻撃も無効化するスーパーウルトラ天才シールドです」
なんだその頭の悪そうなシールドは。
「逆に気になるな」
「ではお入りください」
「いいのか?」
「はい。先ほども言ったように、作業に集中したいので」
お断りの台詞じゃないのか、それ。
実験室に入る。床には木くずや石材のかけらが散らばっており、靴底からざりざりとした感触が伝わってくる。向かって右側には手術台のようなスペース。用途は不明だが、嫌な考えが頭をよぎった。人体に直接ルーンを刻むのは法律で禁止されているそうだが……やってないよな?
壁一面には様々なサイズの彫刻刀や小槌、羽ペンがかけてあったが、クラミーはそれらを使わずに針仕事を始める。針を握る手は小さいが、指の皮が十五歳の少女にしては分厚い。ペンだこや血豆のあとが見える。羽ペンで書き込んだり、彫刻刀で彫り込んだり、刺繍で縫い付けたり、ルーン文字の刻み方は様々だ。
「私かライナ殿以外の人間が触れると、爆音が鳴るように改造しています」
防犯ブザーのようなものだろうか。クラミーは頼んでもいないのに機能の説明をしてくれる。
「フードには別人に見える機能をつけました。小顔でお目々ぱっちりなのです」
なにそれ。俺もイケメンになれるやつ欲しい。
「どうでしょうか?」
クラミーはフード部分だけを被り、顔を見せてくる。クラミーは元々小顔なのだが、それがさらに小さくなって、それなのに目が少女漫画くらい大きくなった。率直に言って気持ち悪い。
「まあ……クラミーだとはわからない、かな」
そもそも人間なのか分からない。
クラミーはフードをはずし、刺繍を続ける。
「その、ハイパー、ウルトラ? 天才シールドってのは、具体的にどんな機能なんだ?」
「メガトンウルトラ天才シールドです」クラミーは訂正し、「素材はごく普通の布ですが、第二ボタンをとめると鋼鉄並みの強度に変化します」
「すごいな」
「重さも鋼鉄並みになり、動けなくなりますが」
「……まあ、それでもすごいな」
あっ、と小さな声を発し、クラミーが刺繍の手を止める。
「どうした?」
「硬度が鋼鉄並みでは、動けないどころかボタンすら外せなくなります。これは没ですね。一歩前進なのです」
クラミーはなんの未練も感じさせない様子で、ローブを持っていた針ごとぽいっと床に放り捨てる。
「おい、あぶないぞ」
床に落ちた針を拾おうとすると、他にも数本の針が落ちていることに気がついた。しょうがないので一本一本丁寧に拾う。クラミーの足音が遠のくのが聞こえ、顔をあげれば、タンスから新たなローブを取り出していた。椅子に座り直し、新しい無地のローブを膝に乗せたまま、クラミーはじっと虚空を見つめる。どんなルーンを刻むか考えているのだろう。前に見たときはいたずらを企む子どものような顔をしていたが、今は無表情だ。
やがてクラミーは手元に視線を落とし、ぽつりと言う。
「困りました。何も思いつきません」
今が好機だろうか。
「なあ、クラミー。そのことなんだけどさ、俺なりに色々考えたんだけど、危ないところには来て欲しくないっていうか。心配なんだよ」
クラミーは大きく顔をあげ、俺の目を見て口を開く。何か言いたいことがあるのか、何度か口をぱくぱくと動かしたが、結局何も言わず、下唇をぎゅっと噛み締めてうつむいてしまった。
「気持ちは嬉しいんだけど、でもやっぱり、ほら……」
「そんなこと、今まで一度も言わなかったくせに」
クラミーは震える声でそう言った。
愕然とする。心臓をわしづかみにされた気分だった。クラミーが言ったことは、たぶん、今の俺を最も傷つける言葉に思えた。つまり、彼女の言葉は、こういう意味なのだ。
お前は違う。
ずっと自分で言ってきたことだ。俺はクニツ・ライナじゃない。それを他人、いや、ライナをよく知る仲間から言われることは、何よりも耐えがたかった。
クラミーはたぶん、一度は飲みこもうとした。だけど口にしてしまった。ついこぼれた。一度そうなったなら、次の言葉も抑えきれないのは、俺にもよくわかる。
「私は天才なのです。ライナ殿も天才なのです。そうですよね?」
俺はよく、わからない、と口にする。俺はそんなに頭が良くないし、人と関わってきた経験も浅いから、相手が何を考え、感じているのか、上手く読み取ることができない。特にクラミーは、俺のことを天才だと思っているから、会話の行間を飛ばすときがある。だからたまに、彼女がなにを言いたいのか理解できないときがある。今はまさにそれだ。
クラミーが天才で、ライナも天才で、そこにどんな意味が生まれるのか。二人はどんな意味を生み出したのか。わからない。天才じゃない俺には、少しも分からない。
「どうして、なにも言ってくれないのですか? あのときだってそうです。どうしてそんな顔をするのですか?」
記憶喪失だから。そんな理由ではごまかせない何かが、クラミーとライナのあいだにはあったのだ。記憶が消えようと決して失われないはずのそれを、クラミーは確認しようとしているに違いない。しかしそれがなんなのか分からないから、何も言うことができない。
「天才であるはずなのに、わからないのです」
天才にわからないことが、俺なんかにわかるはずもなく、クラミーは何も言えないでいる俺を置いて、実験室を出ていった。
俺はいったい何をしにここに来たのか、それすらもわからなくなり、ただ呆然と、クラミーがさっきまで座っていた椅子を眺めていた。
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