第27話

 あっけなく、そして、やるせなく、スター・イン・マイ・ハーツが巻き起こした事件は幕を下ろした。


 食後のティータイムは終わり、ステフは日課のトレーニングに出かけた。もちろん俺には秘密だ。裏庭を散歩してくるとか言っていた。俺も彼女を見習ってトレーニングに励もうと思い、表の庭を目指して廊下を歩いているのだが、どういうわけかクラミーがついてきた。いつもなら昼食の時間まで二階の実験室にこもるのに。これから外出でもするのだろうか。ちらりと隣を歩くクラミーを見ると、ビン底メガネをまっすぐこちらに向けていた。


「ライナ殿はこれからどう動かれるおつもりで?」

「表の庭でトレーニングに励もうかなと思って。最近はサボり気味だったし」

「ダイアモンドクラブやらスター・イン・マイ・ハーツやらで忙しくしていたので、それもしょうが無いのです。っと、いえいえ、そうではなく」

「ん? 記憶を取り戻すことか?」

「違います。スター・イン・マイ・ハーツの件なのです」

「それはもう解決しただろ。犯人が死んだらできることなんてないし。万が一生きてたとしても、国外まで捜索するのは今の俺じゃ無理だ」


 当たり前のことを言ったつもりが、クラミーはなぜか口元をむっとさせた。


「私を試しているのですか? それとも、このあいだの件をまだ気にしておいでで? 天才的には、今回は頼るべき事件と判断しますが」

「なんのことだ?」

「なるほど。あくまでもとぼけるおつもりですか。都合の悪いことは全部忘れたくせに、スタンドプレーの精神だけは思い出したのですね」


 クラミーはくちびるを尖らせて、ちくちくと言葉を刺してくる。


「記憶喪失とは難儀なものですねえ。きっと私が天才であることも忘れてしまったのでしょう。まったくしょうがありません。天才の天才たるゆえんを見せてつけてやりましょうとも」


 クラミーは小走りで俺を追い越し、前に立ち塞がる。


「プエル・ザイファルトを疑っているのでしょう?」


 思わず無言になる。そうだ、そういう話だった。馬鹿か俺は。なにを馬鹿正直に手紙の内容を信じているんだ。


 こうしちゃいられない。すぐにデイガールに連絡を取らなければ。


「ライナ様、デイガール様がお見えです」


 いきなりカンちゃんが廊下に現れた。


 流石はデイガールだ。行動が素早い。


 夜行性の彼女にとって、この時間帯に起きているのはつらいはずだ。そんな状態で会いに来たのだから、よほど緊急性のあることだと判断したのだろう。


 ちらりとクラミーを見る。連れて行くべきか迷ったが、俺がプエルを疑っていることを見抜いているようだし、これ以上隠し事をしようものなら、本気で怒るだろう。


「クラミーも一緒に来てくれ。力を貸して欲しい」


 クラミーはマントのようなローブをばさりと翻し、大きく笑う。


「はっはっはっはっは! もちろんですとも!」


 表の庭に出ると、デイガールがこめかみを親指でぐりぐりとおしながら待っていた。


「ライナ、用件は分かるな……っておい、ちょっと待て、どうしてこいつまで居る」


 俺の後ろからひょっこりと現れたクラミーを見て、デイガールが顔をしかめる。


「お久しぶりなのです。デイガール殿」


 そういえばこの二人が会ってるところは見たことがないな。いや、そもそもデイガールは団員じゃないし、ライナと親密にしていたのは言うまでもないが、団員のみんなとはどうなんだろうか。


「ああ、久しぶりだな天才娘。今回もまた首を突っ込みに来たのか?」


 やべえ。地雷踏んだか? もしかして仲悪い?


「いえいえ、今回はライナ殿から『力を貸して欲しい』と頼まれまして」


 そんなに睨まないでくれデイガール。過去になにがあったのか俺は知らないんだよ。


「ライナ、こいつを引っ込ませろ。ここからは荒事がメインになる。居ても邪魔なだけだ」

「いいえ、天才が邪魔になる場面などないのです。凡才吸血鬼には分からないでしょうが」

「貴様、今なんと言った」


 あ、ヤバい。デイガールに吸血鬼は禁句だ。


「相変わらず感情的ですね。そのせいでライナ殿に迷惑をかけたことをお忘れですか?」

「迷惑をかけたのは貴様だろうが! なにもできんくせに前に出て、私とライナがいなければ二桁は死んでいたぞ!」

「ライナ殿がいなければ、の間違いでしょう。これだから凡才は。ライナ殿がいるからこそ、私は安心して現場に赴くことができるのです」

「赴くなと言っているんだ! 自衛手段も持たんくせに危険な場所に赴くやつがあるか! 馬鹿じゃないのか!」

「ああ! 言ってはならないことを言いましたね! 天才に馬鹿とは何事ですか!?」

「貴様こそ私をあんな魔物と一緒にしただろうが!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、二人とも喧嘩は――」


 殴り合いでも始まりそうな剣幕だったので、勇気を出して止めに入った俺だったが、突如として二人は矛先を俺に向け始めた。


「そもそもお前がしっかり手綱を握っておかないからこの馬鹿が調子にのるんだ! いいかライナ、本人の意志を尊重するのは結構だが、その結果この小娘が怪我でもしたらどうするんだ!」

「また馬鹿と言いましたね!? ついでに小娘とも! ちょっと言ってやってくださいライナ殿! 私は天才なのです! そして十五歳になった立派なレディーなのです!」

「あのときは十二歳だっただろうが! いや、十一だったか? どっちだライナ!」


 知らねえよ! あのときってどのときだ!?


「天才に年齢など関係ないのです! ですよねライナ殿!」


 だから俺に振るんじゃねえ! 困るんだよ! なにも知らねえからさあ!。


 その後も二人は喧嘩するばかりで、まともな話し合いはできなかった。デイガールは頭を冷やしてくると言って客室に向かい、クラミーは自衛の手段を用意してくると息巻いて実験室に引きこもってしまった。


 俺の頭の中には三つの選択肢が、さながらギャルゲーのように表示される。


 一、クラミーのもとに向かう。


 二、デイガールのもとに向かう。


 三、庭でトレーニングをする。


 もしこれがギャルゲーならば、一を選べばクラミールート、二を選べばデイガールルート、三を選べば新ヒロインないしはバッドルートだ。さてどうしたものかと悩んだ結果、俺はデイガールのもとへ向かった。


 カンちゃんからデイガールがいる客室を聞き、扉をノックする。


「俺だけど。入ってもいいか?」

「ああ」とやや疲れを感じさせる短い返答が返ってきた。眠たいのだろう。機嫌が悪いのもそのせいかもしれない。


 扉を開けると、デイガールはベッドで横になっていた。


「悪い、寝るとこだったか?」

「ああ。日が沈むまで寝させてもらう。今の状態ではろくに考え事もできん」


 デイガールはすねた子どもみたく、毛布を被って壁のほうを向く。背を向けて寝ると言われては、流石にかける言葉もみつからなかった。


 入ってきたばかりだというのに、俺は無言で部屋を出ようとする。


「おい、どこへ行く」


 むすっとした声でデイガールは俺を引き止めた。


「私が寝るまでそこにいろ」


 そこ、とはどこだろうか。入り口に突っ立ったまま、部屋の中を見渡す。四つのベッド。木製の丸いテーブル。それを囲む四脚の椅子。背の高いクローゼット。カーテンはぴったりと閉じられているが、今日は天気がいいせいか、光が透けている。デイガールはそれを嫌うように、窓から最も離れたベッドで、窓のほうに背を向けている。


「座れ」


 俺は言われ、テーブルを囲む椅子を引いた。ガラガラと大きな音がなってしまう。これと同じ事をして、寝ていた父を起こしてしまったことを思い出す。当然のように殴られた。


「ごめん、うるさかったよな」


 反射的に謝ると、デイガールはやはりこちらを見ずに、


「そもそも座る場所が違うだろ馬鹿者が。こっちにこい」


 デイガールはもぞりと身体を動かし、さらに壁際に寄った。ベッドの空きスペースに座れということだろうか。俺は恐る恐る、ベッドをなるべくきしませないように、ゆっくりと腰を下ろす。


「それでいい」


 不機嫌そうだった声がやや落ち着いた。


「最近のお前は、やけに気を遣うな」


 なんでもない世間話のように話し始めるデイガールだが、その言葉は重く心にのしかかる。


「まあ、それもしょうがないか」


 俺が本物のクニツ・ライナに比べて大きく劣ることが許されているのは、そういう呪いにかかっていると思われているからだ。だから今も、しょうがない、と言ってくれる。


 こういうときはいつも、違う、と叫びたくなる。俺はクニツ・ライナじゃない、と訴えたくなる。けれどそうしたってなんの意味も無かった。誰も信じなかった。どれだけ必死に訴えたところで、みんな「なにを言っているのですか?」の一点張りだ。まるで決まった答えを返すNPCのように。だから俺はやりきるしかないのだ。英雄クニツ・ライナを。


 デイガールから見えていないのに、俺は背筋をぴんと伸ばした。


「悪かったな。考えなしにクラミーに色々話しちゃって」

「謝るな。あいつは本物の天才だ。どのみち気づいてたさ」


 デイガールはクラミーの才能を認めているのか。でも、こんなことを言うのなら、なぜあんなに食ってかかったのだろう。


「なあ、クラミーと、昔なんかあったのか?」


 聞かなくちゃいけない。俺はあまりにもみんなのことを知らなさすぎる。


「別に、危なっかしくて見てられんだけだ」

「でも、あのときは、とか言ってただろ。ああいや、別に、話したくないならいいんだけど」

「今更お前に話したくないことなどない。忘れているだけで、お前は私の全てを知っていた」


 ずきりと胸が痛む。全てを知っていると言わしめるほどの相手に忘れられてしまう。それがどれだけつらいことなのか、俺には想像もつかない。それは俺のせいではないはずなのに、やはり罪悪感のようなものを抱いてしまう。


 教えてくれ、その言葉が喉に引っかかって出てこない。これじゃあ、詐欺みたいなものだ。デイガールはきっとなんでも話してくれる。でもそれは、俺をライナだと思っているからだ。だから、俺がその話を聞いてしまっていいのか、わからない。彼女が心の鍵を渡したのはライナであって俺じゃない。盗んだ鍵を使う権利なんて、俺にはない。


 しかし、沈黙を「話してくれ」という意味に捉えたデイガールを止めることも、俺にはできなかった。知り合ったばかりの人に豪勢な食事を奢ってもらうような居心地の悪さで、俺はデイガールの話に耳を傾けた。


「盗みの上手い妹がいた」


 妹とは、デイガールが貧民街で暮らしていたころ、一緒にいた子どもグループの一人だろう。血は繋がっていないが、きょうだい同然の集まりだったと聞いている。


 デイガールはゆっくりと、無作為に手に取ったパズルのピースを当てはめるように、言葉を並べていく。


「いつも説教ばかりしていた。今ほど治安も良くなかった。あそこはなおさらだ。捕まったらなにをされるかわかったもんじゃない。殴り殺されたっておかしくなかった。だから、危ない真似はするなと何度も説教をくれてやった。それでもあいつは、何度だって私が目を離した隙に盗みに出かけた。そして何食わぬ顔で帰ってくる。私が怒鳴ると、あいつは盗んできた食べ物を誇らしげに見せつけて、言うんだ。大丈夫、天才だから」


 顔も知らないその子が、頭の中で勝手にクラミーと重なる。ドヤ顔で、天才を自称する女の子。


「そしてあるとき、ついにあいつは帰ってこなかった」

「心配してくれてたんだな、クラミーのこと」

「さあな、わからん。ただあの日の後悔をどうにかしたいだけかもしれん。幾度となく想像した〝もっと強く言い聞かせている自分〟をあいつにぶつけることで、やり直した気になりたいだけかもしれん」


 デイガールはそれっきり黙ってしまった。


 俺はしばらくベッドに腰掛けたまま、頭の中で言葉を探す。かけるべき言葉。ライナならなんと言うか。俺はなんと言ってあげたいのか。俺の本心。頭の中で唱えては、確かめる。これは違う。これはたぶん正しいかも。正しいけど、俺の気持ちとはずれているかも。そうして見つかった言葉は、ずいぶんと深くにあった。


「正しいよ。デイガールは。なにも間違ってない」


 笑ってしまいそうだ。こんなに深くにあったのに、ずいぶんと浅い。


 ベッドから立ち上がる。ちらりとデイガールを見る。横顔は髪に隠れてしまっている。毛布からはみ出だした真っ白な手が、シーツをぎゅっと掴んでいる。そこからふっと力が抜けたので、眠ってしまったのかと思ったが、眠そうな声で、彼女は最後に言った。


「そうか。お前が言うなら、安心だ」

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