第19話

 そんなわけで、俺はデイガールの超パワーによって屋根の上に投げ飛ばされ、明朝を待った。デイガール曰く、やつが屋根の上に現れることはないとのことだったが、しかして、やつは現れた。


「ハーッハッハッハ!」


 という高笑いと共に、突如として屋根の上に現れてみせたのだ。


 やつの高笑いで居眠りから目覚めた俺は慌てて体を起こす。睡眠状態に陥ることで気配を消していたため、やつは俺の存在に気づいていないようだ。作戦通りである。おかげでどこから現れたのかわからなかったが、捕まえてしまえば問題ない。


「おはよう皆の衆!」スター・イン・マイ・ハーツが演説を始める。ものすごい声量だ。拡声器でも使っているような大声。おそらく黒魔術だろう。なんという魔術の無駄遣い。

「今回私が狙う財宝はスカイライン! かのランラン・ムーンが制作したオーダーメイドの一品だ。悪名高きアンドレアス・ザイファルトは、貧しき民よりだまし取った不当な利益でこの宝剣を手に入れた!」


 そろりそろり、と四つん這いで屋根の上を移動し、自己紹介や今回狙うお宝の説明をしているスター・イン・マイ・ハーツに近づく。背後から飛びついて羽交い締めにすれば、てきとうに暴れているうちに屋根から落ちるだろう。俺には大精霊の加護があるから落ちても平気なので、困るのはやつだけ。あとは地上にいる人間で囲んで捕まえる。完璧な作戦だ。


 演説で夢中になっているスター・イン・マイ・ハーツが俺に気づく様子はない。


「あなた、誰の許可を得てそこに居るのかしら?」突然、屋根の下から地響きのように声が響いてきた。俺は腰を抜かし、危うく転げ落ちそうになる。

「これはこれはカレン婦人。亡き夫の忘れ形見を頂戴しに参りました」

「ええ、それはどうでもいいの。好きに持っていってちょうだい。私には価値のないものだし。嫌よねえ、男って。剣だの鎧だの、野蛮だわ」


 カレンはそこで言葉を句切り、トーンを低くした。


「でもねえ、あろうことか私の上に登場するだなんて、あまりにも失礼じゃないかしら? あまり偉ぶりたくはないけれど、頭が高いと思うの、私。雷でも落としてやりたい気分。なんて、そんなたいそうなことはできないけれど」


 雲一つ無かった明朝の空を、突如として暗雲が覆う。そして次の瞬間、轟音と共に空から雷が落ちてきた。屋根瓦が宙を舞い、その下にあった木造部分から煙が上がる。俺は轟音と衝撃でひっくり返り、またもや屋根から転げ落ちそうになった。スター・イン・マイ・ハーツも口をあんぐりと開けている。


「あらやだ、偶然ね。ふふっ、狙ってたみたいで恥ずかしいわ」


 本当に偶然なんですか?


「と、とにかく、スカイラインは頂戴する!」


 スター・イン・マイ・ハーツは慌てて屋根を駆け下り、天窓を叩き割って邸内に侵入した。


 俺も急いで後を追う。三階には入るなと言われていたが、この際しょうがない。よく考えたらもう屋根に登っちゃってるし。とにかく手柄だ。クニツ・ライナの名前に泥を塗ったままでは終われない。


 やつと同じ天窓に飛び込む。飛び込んだ先は誰かの私室のようだった。天蓋付きのベッドに、巨大な洋服棚がある。正面のドアは開け放たれていた。そこから廊下に出ると、スター・イン・マイ・ハーツとディエゴが対峙していた。


「流石はライナ様。これで挟み撃ちですなあ」


 ディエゴがブラックスパイを抜く。漆黒の刀身は光を反射せず、まるで空間を塗りつぶしたかのようにまっすぐ伸びている。


 その直後のことは、残念ながら俺の目に追える速さではなかった。気づけばディエゴはブラックスパイを振り切り、スター・イン・マイ・ハーツがそれを剣で受け止めていた。


「まったく、油断できないな。いきなりライド装置とは」

「わたくし、ランラン・ムーンの大ファンでして」

「悪徳貴族の側近はよほど儲かるか、この外道が!」


 剣と剣がぶつかり合う音と、火花だけが俺の目に見えた。二人の動きはほとんど目に追えない。それほどの高速戦闘を、ライド装置が可能にしているのだ。


「フハハ! やはり素晴らしい! 老いた肉体でなお全盛期を越えるこの動き! 借金した甲斐があるというもの! 二十年ローンの力! とくと思い知れ! フハハハハハハ!」


 目をかっぴらき、どうでもいい情報を口にしながら、ディエゴはブラックスパイを振り回す。その激しさたるや、玉ねぎを投げ込めばあっという間にみじん切りだろう。そしてそれについていくスター・イン・マイ・ハーツもバケモノだ。おそらくライド装置を使っている。どこかからか盗んできたのだろうか。そんな二人の戦いは、まるで台風同士がぶつかり合っているかのようだ。大精霊の加護があるので飛び込んでも傷一つ負わないのはわかっているが、思わず足がすくんでしまう。


 なにをしているのですかな? とでも言いたげな目でディエゴが俺を見た。


 びびってる場合じゃない。


 俺は意を決してスター・イン・マイ・ハーツの背中めがけてタックルを仕掛ける。するとその瞬間、スター・イン・マイ・ハーツはひらりと身を躱しやがった。勢い余った俺はそのままディエゴにタックルをぶちかまし、二人して廊下に転がってしまう。


 その隙にスター・イン・マイ・ハーツは「ハーッハッハッハ!」と高笑いをあげながら廊下の向こうに駆けていった。


「ライナ様!? なぜライド装置を使わないのですかな!?」俺の下敷きになったディエゴが声をあげる。

「い、いや、ちょっと今、整備中で」


 使ったら体がボロボロになるとか言われたんだもの。


「なんと間の悪い!」


 ディエゴは乱暴に俺を押しのけ、スター・イン・マイ・ハーツを追いかけていった。


 しょぼくれてしまいそうになるのをぐっとこらえ、俺も後を追う。しかし、ライド装置を起動している二人に追いつけるわけもない。あっという間に廊下の曲がり角へと消えた二人をそれでも必死に追いかける。


 廊下を曲がり、その先にあった階段を一気に飛び降りる。二階に辿り着くと、二階を警備していた五名の騎士がスター・イン・マイ・ハーツの進行方向を塞いでいた。廊下は幅が広いが、五人も居れば人の通れる隙間などない。だというのに、スター・イン・マイ・ハーツは高笑いをあげながら五人の騎士をなんなくすり抜ける。


「全員壁際に! ライド・シリーズを持っていなければ話にならない!」


 ディエゴが叫び、五人の騎士を置き去りにしてスター・イン・マイ・ハーツを追う。しかし、スター・イン・マイ・ハーツはすでに執務室の扉に辿り着いていた。


 ディエゴがその背に急接近するも、スター・イン・マイ・ハーツはするりと扉の向こうに入っていく。俺でもわかる。これじゃあ間に合わない。執務室の出入り口は一つだけだが、確か窓があったはず。スカイラインを持ってその窓から逃げられたら終わりだ。外にはデイガールたちの部下がいるが、止められないだろう。ライド装置の有無もあるが、そもそも身軽すぎる。


「ハーッハッハッハ!」


 執務室に侵入したスター・イン・マイ・ハーツが勝利を示すかのように高笑いをあげ、そしてその高笑いが、間抜けな声に変化した。


「ハアン!?」


 一歩遅れて執務室の扉を大きく開け放ったディエゴが動きを止める。何事かと思い、俺も急いで廊下を走る。扉を塞ぐように突っ立っているディエゴの後ろから執務室を覗くと、スター・イン・マイ・ハーツが走っているポーズのまま固まっていた。まるで時間でも止められたかのように、ぴたりと固まっている。


 そして執務室の奥、大きな仕事机の上に、リコが腰掛けていた。彼女は机から降り、執務室の真ん中で固まっているスター・イン・マイ・ハーツのところまで行くと、肩をつんつんと指でつつく。


「やったわお母様!」


 リコが天井に向かって嬉しそうな声を出す。すると、カレンの声が響いてきた。


「上出来よリコ。やっぱりあなたには魔女魔術の才能があるわ。百点をあげる。なんて、ふふっ、親馬鹿みたいで恥ずかしいわ」


 魔女の娘もまた魔女なのか。仕組みはてんで理解できないが、スター・イン・マイ・ハーツ、そしてディエゴが動かなくなったのは、リコの仕業らしい。


「その年で魔女魔術を操るとは、いやあ、この国の未来は明るい」


 マスターが颯爽と廊下を歩いてきて、執務室の入り口を塞いでいるディエゴをじっくり眺める。


「マスター、そうじろじろと見ないで欲しいわ。未熟な魔術を見られるのは恥ずかしいもの。本当は賊だけを捕まえようと思ったのだけれど、ディエゴも巻き込んじゃったの」

「いやいや、良くできたものだよ」

「あら、ふふっ、嬉しい」


 魔術って一体全体どうなってんだ。俺にはてんでわからない。ていうか早くディエゴを解放してやってくれ。まるで時間でも止められたかのように、と思ったら、わずかにうめいてるな。リコになにか言おうとしているのだろう。


「お嬢さん、君は、アンドレアス・ザイファルトがなにをしようとしていたか、知っているかな?」


 突然、スター・イン・マイ・ハーツが口を開いた。リはが肩をびくっとさせるも、すぐに余裕たっぷりに笑う。


「知らないわ、そんなこと。私、お父様のことあまり好きじゃなかったから。それよりあなた、どうして口が動かせるの?」


 スター・イン・マイ・ハーツは答えず、一方的に語る。


「彼はこの国に、奴隷商人を引き入れようとした」

「あら、お父様ったら愚か者だったのね。いまさら奴隷商なんて流行らないわ。思想的にも、経済的にも」

「いやいや、それがそうでもない。国外には人間を飼っている悪い貴族がまだいるのだよ。だから、輸出だけに絞れば、この国でもやっていける。この国の金融業を掌握し、政治的な根回しも効くのがザイファルト家だ。さらに陸路の貿易はザイファルト家が取り仕切っている。その後ろ盾があれば、借金で首の回らなくなった人間なんかをこっそりと仕入れることも可能なのさ。それを国外に売り飛ばすのが、奴隷商人の仕事なのだよ」

「なにが言いたいのかしら?」

「ハ、ハッハッハ! ハーッハッハッハ! 可愛い君は高く売れそうだと言いたいのさ!」


 突如、固まっていたはずのスター・イン・マイ・ハーツが動き出す。驚きに目を見張るリコを乱暴に捕まえ、執務室の奥へと突っ走った。



「口を動かせた時点で警戒するべきだったね! 自分で言っていたとおり、君の魔女魔術はまだまだ未熟だ!」

「い、いやっ! 離して!」


 リコがじたばたともがく。しかし、スター・イン・マイ・ハーツは余裕の表情で高笑いをあげた。


「ハーッハッハッハ! 安心したまえ! 君を売り飛ばして得た金は、貧しき民に行き渡る! 十五年間甘い蜜を吸ってきたんだ。残りは貧しき者に分け与えたまえ!」

「いやっ、そんなのいや! お母様! お母様助けて!」リコが必死の形相で叫ぶ。


 ディエゴが獣のようなうなり声を上げていた。相変わらず体は動かないようだ。石のように固まったディエゴが入り口を塞いでいるので、俺も執務室に入ることができない。


 スター・イン・マイ・ハーツはすでにスカイラインに手をかけていた。リコをわきに抱え、反対の手にスカイラインを持つ。


 迷っている暇はなかった。そもそも、迷うような間がなかった。俺がそう命令する前に、エルフェンランドは俺の意志をくみ取り、ライド装置を起動させていた。


 体を燃えるような熱が支配する。その熱は俺の体を内側から焼き焦がすかのように痛みを与えてくる。歯を食いしばり、痛みに耐えながら、俺は固まっているディエゴのすぐ横、扉を囲んでいる壁を、腰から抜いたエルフェンランドでぶち破った。


 床を思いきり踏みしめる。膝がきしむ。筋肉の引きちぎれる音が聞こえる。それでも構わず地面を蹴ると、俺の体は走るというより前方に飛ぶような勢いで射出され、窓枠に足をかけていたスター・イン・マイ・ハーツに肉薄する。


 ライド装置により強化された視覚は、驚愕の表情をあらわにするリコと、同じような表情で振り向いたスター・イン・マイ・ハーツを映す。すぐに視界が赤く滲む。目の中に血が滲んでいるのだろう。視界が真っ赤に染まる前に、苦痛で歯を食いしばりながら、リコの手を掴む。


 スター・イン・マイ・ハーツが窓から飛び降りる。それを追いかけるように、俺もまた最初の勢いのまま窓から落ちた。スター・イン・マイ・ハーツはすぐさまリコを諦め、空中で開放する。代わりにスカイラインだけは渡さないよう、大事に抱きかかえる。俺は真っ赤に染まった視界の中で、リコをかばうように抱き留めて背中から落下した。


「がはっ!」と血を吐き出したのは、落下による衝撃ではなく、調整中のライド装置を起動してしまった反動だ。すぐさまライド装置は停止し、リコを抱きしめていた両腕が地面に投げ出される。どうやら花壇に落下したらしく、衝撃で宙に舞った花びらが降り注いでくる。


 死ぬかと思った。体中の血液が沸騰して、激流のように暴れ回っている感覚だった。時間にすると、たぶん三秒くらい。こんなになるなら、もっとしっかり忠告しといてくれよランラン。めっちゃ激しい筋肉痛くらいに思ってた。馬鹿か俺は。下手をすればっていうか、余裕で死ねるだろこれ。


 俺の惨状を見て、リコが悲鳴を上げたのが聞こえる。


「アリア! アリア! 早く来て!」


 リコの叫び声が遠のき、聞こえなくなってから、やがて二人の足音が聞こえる。


「アリア、治せるわよね? 大丈夫よね?」


 リコが不安そうな声を出す。大丈夫だとどうにかして示したかったが、指先一つ動かせない。虫のような息を吐くことしかできなかった。


「大丈夫です。大丈夫ですよお嬢様」


 女の人の優しい声が聞こえると共に、体中の痛みが和らいでいく。赤く染まっていた視界が元に戻りはじめ、俺の頭上で杖を掲げる女の人が目に映った。四十代くらいだろうか、少しふくよかな体型をした、ステフと同じ修道服を着た女の人だ。


 呼吸が楽になってきた。


「ありがとう」


 仰向けに寝転がったまま、かすれた声でお礼を言うと、リコが俺の名前を呼びながら飛びついてくる。


「お嬢様! まだ治療が完了していません、離れてください!」


 厳しい口調で注意され、リコが体を離そうとしたので、


「いいよ、そのままが嬉しい」


 そんなわがままを言ってみた。


「あら、頑丈ですこと」


 修道服を着た女性は言って、眉をつりあげる。


 リコはよりいっそう強く俺に抱きつき、胸に顔を埋めてきた。そのままなにも言わず、俺の服をぎゅっと握りしめ、顔を押しつけている。押し殺しているようだが、すすり泣くような音が聞こえた。


 やがて、第二の印による治療が終わり、体を起こせるくらいまで回復すると、リコは俺から体を離し、背中を向けた。


「ごめんなさい。本当はたくさん言うべきことがあるし、言いたいこともあるけれど、涙は卑怯だもの。また改めて、お礼に伺わせて」


 リコは背中を向けたまま、俺を治療してくれた女の人の修道服をぎゅっと掴んだ。


「ありがとうアリア」

「いえ、かの英雄クニツ・ライナ様を救ったんですから、私も鼻が高いというものです。さあお嬢様。こちらで顔を隠して、お部屋に」


 アリアと呼ばれた女の人は、ハンカチを取り出してリコに渡した。リコは言われたとおり顔を隠し、この場を立ち去る。アリアはそれを見送って、上半身を起こした俺に目線を合わせるようかがんだ。


「さてライナ様。お怪我のほうですが、ライド装置の使いすぎでよろしいですね?」

「使いすぎっていうか、まあ、そんな感じ」


 こつん、と頭を杖で叩かれた。いつもなら大精霊が自動で守ってくれるのだが、ライド装置を無理矢理使用したせいか、普通に痛い。


「ライド装置の危険性は素人ながら知っています。うちのロリコンじじいが調子に乗って使いすぎるのでね」


 ディエゴのことか。ライド装置起動したとき、めっちゃテンション上がってたもんな。


「カレン様からなにがあったのかは聞いていますが、無茶はいけません。ライド装置の副反応は私たちでも治療しきれないんですから。傷自体は治せるものの、どういうわけかしばらくは体に不調をきたします。全快したと思ってから、最低でも三日は安静ですよ。絶対に!」


 厳しい母親のような口調でそう言ったあと、アリアは俺の頭にぽんと手を置き、軽くなでてきた。


「とはいえ、ありがとうございました。お嬢様は私の大切な宝物ですから。本当に、ありがとうございます。無茶をする若者に言ってはいけない言葉かもしれませんが、あなたは偉い少年です」


 母親の温かさというものをまるで知らない俺は、不覚にも泣きそうになってしまう。頭をなでて褒めてもらえる。今の気持ちをなんと言うのだろうか。気恥ずかしさか、嬉しさか。上手く言葉にできない。


「アリア大司教! ディエゴ様がライド装置の使いすぎで倒れまして、すぐに治療のほうをお願いしたいのですが」


 一人の騎士がやってきて、アリアにそう告げた。


「あのじじいは、またですか」

「逃亡したスター・イン・マイ・ハーツを追いかけていたところ、途中で力尽きたようです」


 アリアは大きくため息をつき、くれぐれも安静に、と俺に念押ししてから去っていった。


 それから俺は、見知らぬ騎士二人に肩を借りながら、帰りの魔動車へと乗り込んだ。本当は事後処理や逃亡中のスター・イン・マイ・ハーツの捜索をしなければならないんだろうが、残念ながら俺はここでリタイアということになったのだ。


 帰りの魔動車にはベッドがついていた。怪我人用のものらしい。いつもより揺れが小さく、まるでゆりかごのような心地よさだった。夜通しの警備で疲れ切っていた俺はあっという間に眠りにつき、気づいたときにはトイバー邸に着いていた。付き添いとして同乗していたザイファルト家の騎士に起こされ、眠たい目をこすりながら降りる。


 無茶したせいで体がだるいし、そもそも疲れているし、今すぐ休みたい気持ちでいっぱいだったが、まだやることが残っている。クラミーに誕生日プレゼントを渡すのだ。なんともせわしない。異世界に来てからというもの、一日をゆっくり過ごしたことがない気がする。


 トイバー邸についたのは朝の九時頃で、いつものようにカンちゃんがお出迎えしてくれた。朝食を用意してもらい、ついでに食堂へとクラミーを呼び出してもらう。ご飯でも食べながら、クラミーに誕生日プレゼントを渡そう。


 食堂に入るといつもより豪勢な料理が並んでいて、俺が買ったプレゼントもラッピングされた箱のまま置いてある。


「夜通しの任務、お疲れ様です、ライナ殿」


 クラミーが事務的な口調で言う。そしてまっすぐにプレゼントのほうへと歩き、ラッピング用のリボンをほどこうとした。


「まだおめでとうもなにも言ってないだろ」

「まあそう言わず。ライナ殿もお疲れでしょうし。これからお休みになるのでしょう? でしたら手早くすませましょう」


 包み紙を取り去り、現れたメイクボックスをクラミーはしげしげと眺める。


「改めて、十五歳の誕生日おめでとう、クラミー」

「ありがとうございます」敬語はいつものことだが、今日はどこか他人行儀な印象を受けるのは、俺がまだあの日のことを気にしているからなのろうか。


 クラミーはメイクボックスの引き出しを丁寧に開け閉めし、全てを確認する。


「レランジェですか。高かったでしょう」

「んん、まあ、それなりに」


 レランジェとは、ブランド名だろうか? そういえば店の名前がそんな響きだった気もする。値段は、相場が分からないから実感はない。ただ、俺の今月の給金が吹き飛んだのは確かだ。


 クラミーはようやく席に着き、十五歳の誕生日は、と唐突に語り出す。


「両親からメイク道具一式をプレゼントしてもらい、母や姉に教えてもらいながら初めてのメイクに挑戦する、女の子にとってとても大切な日なのです」


 目の前で答え合わせをしてもらっているような気分だった。元の世界では、よくテストの採点を親父にしてもらっていた。目の前でマルとバツをつけられ、バツがつくと殴られるのだ。


「ルーン魔術が刻まれていないのは、私のことを考えてくれたのですよね?」

「ああ、自分でカスタマイズしたいかと思って」

「わかっているではありませんか」


 クラミーは嬉しそうに笑い、ローブの内側から金色の彫刻刀を取り出す。それをペン回しのようにくるくると回しながら、どんなルーンを刻みましょうか、とメイクボックスを眺める。


 次の採点が始まらないうちに、俺は話題を変える。


「そういえば、鏡に映った自分の顔が美化されるっていうやつ、あれってクラミーが発明したんだって?」

「あれは優れものですよ。もう一枚ふつうの鏡を用意すれば、理想の自分を参考にしながらメイクができるのです」

「ああ、なるほど、そういう使い方なのか」


 これが天才の発想、なのだろうか?


「不細工な自分を見たくないから、なんて理由じゃないのです」


 もっと気まずくなるかと思ったが、案外落ち着いた時間だった。そうなるよう、クラミーが気を遣ってくれているのかもしれない。あるいは、疲れていて脳が麻痺しているのか。


 料理を食べ終えたタイミングで、テーブルの中央にケーキが現れた。カンちゃんは一度も姿を見せないまま、そうやってお祝いをスムーズに進めてくれている。


 食堂がゆっくりと暗くなり、ケーキのろうそくに明かりが灯る。


 揺れるろうそくの向こうで、クラミーが口を開く。


「なぜ人が誕生日を祝うのか、知っていますか?」

「生まれてきてくれてありがとう、って伝えるため……?」

「はい。でも、もう一つ、理由があるのです。似ているようで、違う理由が」


 俺がもう一つの理由をわからないでいると、クラミーは宝物を口ずさむように、こう言った。


「生まれてきて良かった、そう思ってもらえるように、だそうです」


 ろうそくの火が揺れる。クラミーの瞳に映り、それは彼女の瞳が潤んでいるような錯覚を俺に抱かせる。


「いい言葉だな」

「教えてくれたのは、あなたなのです」


 クラミーがろうそくを吹き消す。すべての光が消える。大広間を満たす暗闇の中で、彼女が直前に見せた寂しげな笑顔だけが、俺の網膜に焼き付いて離れなかった。

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