1 彼女は目的の為、暗躍をする
社交とは何か。
それは、高度に洗練された情報戦である。
流行のドレスを身にまとい、化粧の技法や恋の噂話に花を咲かせながら、まるで片手間のように虚言と流言を見抜き、己の利となる情報の収集と拡散に努める。
これは私でなくとも、貴族女性であれば誰でも自然に行っていることだ。
主たる戦場となるのは、昼の
これらの催しの目的は、大きく二つに分けられる。
ひとつは親しい者たちを集め、派閥の結束を高めること。
集団が力を持つには母数を増やすことが一番手っ取り早いけれど、人が増えるとその分連帯感が弱まり、裏切りや人心のかい離が起こりやすくなる。
その為、定期的に集まっては結束を固めることが重要になってくる。
もう一つは派閥を問わず人を集めることで、隆盛を見せつけることだ。
名目は何でもいい。娘息子が婚約したでも、新しく別荘を建てたでも、高価な美術品を購入したでもいい。
とにかく自身の、延いては派閥が今これだけ威勢があるのだと見せつけることが、敵対する派閥への牽制になるし、同時にどこにも属していない中立の人間を自身の派閥に取り入れる契機にもなる。
そうした理由から、茶会や夜会では派閥と階級が重要となってくる。
反目しあう派閥が集う催しでは交わす言葉に皆慎重になるし、逆に親しい者同士が集う場では口は軽くなる。
また上位貴族は上位貴族の中で、下位貴族は下位貴族同士で交流することが多く、同じ派閥に属していない限り、家の格に差があり過ぎる者が招待されることは、特殊な場合を除いて余りない。
「ねえ、エリクソン夫人。御存知でいらして?」
私は一人の侯爵夫人に、親しげに声を掛けた。
私はシャーリン・グイシェント。
王と貴族が支配するこの国ナーディアントにおいて、子爵令嬢と言う立場にいる。
派閥に属していないにも拘らず、上位貴族の茶会に招かれる事の多い、特例の下位貴族だ。
この国において、貴族の子女は王都で最も歴史と権威ある学び舎、通称『学院』に通うことが慣例となっている。
もちろん私も籍を置いているのだけれど、そこで私はアイリス・ミラルディアという女の『友人』と言う立場にいた。
この女は平民育ちという異色の経歴を持つ侯爵令嬢であり、また複数のとんでもない取り巻きを抱えた爆弾女だ。
まず、国内で最も人気のある護国将軍の三男テオドール・ヨゼフ。
公爵の甥で、何人もの女性と噂がある麗人ルーカス・アマッツィア。
王の信頼厚い宰相の息子であるエミール・クレッシェン。
そして、この国の第二王子ヴィルヘルム・フィラ=ナーディアンス。
見目麗しく将来も極めて有望なこの四人は、学院の内外問わず女性からの人気が飛び抜けて高い。
そんな彼らを取り巻きとしているため、今アイリス・ミラルディアという女は社交界においては俄然注目の的なのである。
そして実に遺憾ながら、あの女に連れ回されている私も自動的に取り巻きの一人に数えられている。
アイリス自身は社交と言うものに一切関心を持っておらず、招待されても茶会や夜会などの集まりには滅多に顔を出すことはない。
しかし、隠されれば余計に知りたくなるのが人情と言うものだ。そこには、下位貴族も上位貴族も区別ない。
彼女らの情報が欲しい女性たちは、こぞって私を茶会や夜会に招待し、詳しい話を聞き出したがった。
下位貴族である私が、本来呼ばれることのない催しに出席できるのはその為である。
これは私にとって、かなり有意義な話だった。
なにしろ上位貴族と顔繋ぎができる上、入手できる情報量も格段に増える。
また、彼らの間では私はやる気のないアイリス・ミラルディアの代わりに、貴族社会の色んな話を集めていると思われているようで、親切心やら悪意やら余得を狙ってやらで、様々な人間が私に耳寄りの情報を教えようとしてくる。
実に役得だ。これだけで、大嫌いなアイリス・ミラルディアにも感謝できてしまうかも知れない。冷静に考えると無理だが。
先日の茶会で、私は主催である一人の侯爵夫人と話をした。
アイリス達経由で耳にした王妃陛下がドレスを新たに注文した事に絡め、次の社交シーズンにはどんな色のドレスが流行るのでしょうね、と楽しみにしている態で疑問を投げかけてみた。
侯爵夫人も、どうなるのかしらねとおっとりと相槌を打っていたが、ああ見えて流行を追うのに貪欲な彼女が、この疑問を受け流すはずがない。
確実に同じ派閥の取り巻きであるフリーデン伯爵夫人に、同じ疑問を尋ねるはずだ。
フリーデン家にはマルコという有能な執事がいて、夫人は何でも彼に丸投げする。
そのマルコにはテレサという、城下で最も大きな布問屋に伝手を持つノイマン侯爵家で侍女をしている従妹がいて、彼女はパメラ・ノイマン侯爵令嬢に可愛がられているので、そこを通じて最新の情報が流れるだろう。
まあ、もっとも。
私はすでに答えを知っている訳だが。
次の社交界で流行るドレスの色は、緑である。
それはつい数週間前、大昔に国外の夜会で見たドレスの緑色を再現したくて、王妃がお抱えの仕立て屋に依頼を出したことから確実になるだろう。
もっとも、緑の染色というのは難しいらしく、なかなか思うような色が出ないというのは、母親から愚痴られたヴィルヘルム第二王子の言である。
もし社交界で自身のまとう緑色が王妃の目に留まれば、それを切っ掛けに王族と関わり合いを持つことができるかも知れない。運が良ければ、自分の使った染色工房を紹介することで、貸しが作れるかも知れない。
そんな目論見から、今回の社交期間には緑色のドレスが爆発的に流行ることは想像に難くない。
実際それは、数少ない緑色を扱う染色工房を領地に持つメルスン子爵令嬢が、学院で非常に高価な髪飾りを取り巻きに見せびらかしていたことからもほぼ確かだ。
では何故今回、私がすでに分かり切った情報を仕入れるような真似をしたのか。
もちろん、情報経路の保守のためだ。
伝聞による情報の流通は、特定の経路を辿ることが多い。
顔見知りから顔見知りへと話が伝わっていくため、拡散の流れや変質の方向性、影響の仕方も推測がしやすい。
しかしそうした経路は、使わないでいるとやがては途切れて消失してしまう。
それでは意味がないのだ。
私にはささやかな
それは蜘蛛の紡ぐそれのようにか細い糸を、この国中に張り巡らせること。時に情報を吸い、時に状況を作り、時に人を誘導する。利用されたことに誰一人として気付くことなく、しかし確かに存在する繰り糸の中心に身を置くこと。
それがかねてよりの私の目標だ。
侯爵夫人が流行を知る際に用いる情報網もまた、私が利用する糸の一本である。
その為、定期的な保守点検が必要となってくるのだ。
私は、エリクソン夫人への礼状を書いていた手をいったん止めて、大きくため息をついた。
――とにかく手駒が欲しい。
それが目下のところの、私の最大の悩みだった。
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