6 彼女は暴かれ、それでも演技を貫き通す


 私は唖然としながらも、おどおどと怯えて見えるよう彼を見上げる。


「あ、あの……なんでしょうか? エミール様も……、まだあたくしを、疑っていらっしゃいますの?」


 哀れっぽく睫を伏せた私の耳に、違うよと、笑みの混じった声が聞こえた。


「それに、ルークのあれは、ただの振りだよ。あいつは天邪鬼だから、実際にはもう疑ったりはしていない」


 確かにルーカス・アマッツィアの大げさな演技には、私も気付いていたけれど。だけどそうすると、ますますエミールの行動の理由が理解できない。

 表情には出さずに訝しむ私に、エミールは言った。


「僕は、君を買っているんだ」


 彼の言葉に、私の耳は研ぎ澄まされる。


「まだ少し甘い部分もあるけれど、感情に惑わされずに目的を遂行する姿勢も、伏したまま好機を待ち続けられる忍耐強さも評価できる」

「あの……おっしゃってる意味が……?」


 私はきょとんとした表情で目を瞬かせながら、頭を必死になって働かせていた。

 はったりだと考える一方、どこに見透かされれる要素があったかと、ここ一連の自分の行動を振り返る。

 声、言葉、表情――相対した時に相手が抱く瞬間の印象から、行動が積み重なり、振り返った時に想い抱く長期的な印象に至るまで。慎重に計算して、操作してきたはずだ。

 もし見透かされる理由があるのなら、どこかで気付かないうちに私が決定的な失敗を犯してしまったか。――あるいは、作り上げた印象のその奥を見通す鋭い観察眼を相手が持っているか。

 私はそれを見極めようと試みる。


「も、もし……あたくしに、気に入らない部分がありましたなら、謝ります……。姿を……見せるなと言うのなら、そうしますから……」

「そういう事じゃないよ」


 無力な弱小貴族そのものの態度で恭順の姿勢を見せる私に、エミール・クレッシェンは口端を吊り上げて笑った。

 そして見せ付けるように私の手を掴むと、不自然なほどに自然な動作で指の一本を咥え、軽く噛み付いてみせた。冷え切っていた指を熱い舌先がくすぐる。

 私はみるみる顔を紅潮させると、慌てて自分の手を取り返した。


「ほら、さっきもそうだったけれど。顔を赤らめる前に一瞬、目に汚い物に触れたかのような嫌悪が浮かぶ」


 エミールはくつくつと、可笑しくて堪らないとばかりに笑う。


「あたくし、その……男の方が、苦手なんですの……」

「なら、それでもいいよ」


 まったく信じていないとはっきりと分かる態度で、彼は笑いながら頷いた。

 エミールは滑らせるように私の髪に指を差し入れると、掬い上げてはさらさらと手から零す。そうやって感触を楽しむように髪を弄びながら、私に告げた。


「君はなかなか見どころがある。あのハリステッド・ジャベリンなんかよりも、よっぽどね。だから、もう少し腕を磨くといい。そうすれば君を――敵として認めてあげよう」


 最後の一言だけは、腰をかがめ耳元に落とし込むような姿勢で囁いて、彼は部屋を出て行く。その表情は涼しげで、清廉潔白な宰相の息子という立場に相応しいものだ。


 一方一人部屋を取り残された私は、顔を真っ赤にしてその場に立ち尽くしていた。

 理解のできない状況に呆然としつつも、宰相子息の思いがけない行動に恥らってしまっているような体で。

 そして内心においては、怒りと悔しさで身を震わせながら。




 つまり、エミール・クレッシェンは、わざわざ私を挑発しに戻ってきたという事だ。

 お前のしていたことは、考えていたことはお見通しだったのだと。

 それによって私がボロを出すのを期待しているのか、それとも牽制の心づもりだったのかは、後でゆっくり考えるとしよう。

 それよりも先に、私には、胸に刻んでおかなければならないことがあった。


 私にはささやかな野望ゆめがある。

 蜘蛛の紡ぐそれのようにか細い糸を、この国中に張り巡らせること。時に情報を吸い、時に状況を作り、時に人を誘導する。利用されたことに誰一人として気付くことなく、しかし確かに存在する繰り糸の中心に身を置くこと。

 それが私の目標だ。


 かと言って私は、この国の影の支配者になろうだなんて、陳腐ことを考えている訳じゃない。覇権を握る事に、興味はない。

 私は誰にも勘付かれず、密やかに、すべてを自在に操れる魔法のような構造を、自らの銀の糸でもって国全てに構築できれば、それで満足なのだ。

 それもまた一種の支配欲だと言われれば、そうなのかもしれないが。

 どちらにせよ、そう簡単に成し得るようなことではないのは分かっている。だからこそ胸躍るのだと、一体誰がこの気持ちを理解してくれるだろうか。


 ハリステッド・ジャベリンが、やはり同じような構想でもって学園に糸を張り巡らせていると気付いた時には、私は面白く思った。

 一体どこまでやれるのかと興味深く見ていたが、彼には少々忍耐と言うものが足りていなかったようだ。

 影から糸を操るつもりなら、決して人形遣いは舞台に登場してはいけない。ハリステッドはそこのところを、理解していなかったように思う。


 私は無遠慮に触れられていた髪をきつく握りしめ、息をひとつ吐く。

 エミール・クレッシェンには感謝をしよう。

 確かに私はまだ甘かった。一瞬でも生の感情を見破られるようでは、野望を達成するには程遠い。私もまだまだその程度の人間だったという事だ。


 だけど、やすやすと挑発に乗ってエミール・クレッシェンを相手にするような愚かな真似は、私はしない。

 もし糸に絡め取られることが我慢できないと彼が思い、私を敵対視するならすればいい。害すつもりがあるなら、対処もしよう。

 でも野望の為には、私は私怨に駆られ、感情のまま動くような真似はしてはいけない。冷静に、淡々と糸を仕掛けていかなければならない。


 アイリス・ミラルディアのこともそうだ。

 私はあの女のやることなすことがもうどうしようもなく嫌いだけれど、その感情にかまけていては、必ずどこかで致命的な失敗を犯してしまうだろう。

 むしろ笑って親友の振りをするくらい、簡単にできなければならないのだ。感情面を無視すれば、あの女は実に利用のし甲斐がある。


 私は心の中の、自分の優先順位を確認する。

 大切なものは何か。求めるものは何か。

 野望の為には、私は私の中の好悪も悲喜も愛憎をも支配しなければならない。


 私はそのことを再度胸に刻み直し、伏せていたまぶたを開いた。

 どうにか高ぶっていた感情は落ち着いた。

 他者を操作しようと思うなら、まず自分の心くらい簡単に制御できなければならない。基本中の基本である。


 あともう少しで、使いに出していた使用人も戻ってくる。

 私は再び椅子に腰かけ窓の外を眺めながら、この先に行うべきことを考えた。

 城下街を中心に情報網を拡大するのが先か。それともこの機を逃さないように、他の高位貴族に繋ぎを作るのが先か。

 頭の中に楽しい計略を巡らせながらも、その片隅でまたアイリス・ミラルディアとエミール・クレッシェンのことを思い浮かべてしまった私は、ふぅっと熱い吐息を零した。


 目標の為には、余計な事をしている暇がないのは分かっている。

 私怨に駆られるなんて、以ての外だ。

 しかし、ほんの少しだけ期待してしまうのだ。

 ささやかな奇跡でも、意図せぬ偶然であっても構わない。


 いつか、無様に地を這いつくばったあいつらの、絶望に歪んだ顔が見たいと、まだ見ぬ恋に憧れる乙女のように私は思うのだった。
















 ――とか言っておきながら、後年、自分がこの時の甘い考えを心底後悔する羽目になるなんて、誰が予想できようか。

 その後、長きに渡って彼ら彼女らに振り回される日々が続くことを、私はまだ知らない。




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おまけの人物紹介 <ネタバレ>



アイリス・ミラルディア


 侯爵令嬢。

 乙女ゲームだったら明らかに主人公枠の鈍感系逆ハーヒロイン。

 市井育ちの為、貴族の常識には疎い。

 行動力抜群で凄まじく前向き。

 小さくて可愛い物が病的に好き。




ヴィルヘルム・フィラ=ナーディアンス


 第二王子。

 正統派王子様。正義感が強く、情熱的でキラキラしい。

 結構ぐいぐい迫る方。




テオドール・ヨゼフ


 将軍家三男。

 体育会系男子。礼儀正しい、フェミニスト。

 へたれワンコ。




ルーカス・アマッツィア


 公爵の甥。

 女好きで女嫌いの天邪鬼。

 お色気担当。




エミール・クレッシェン


 宰相の息子。

 眼鏡ないけど眼鏡キャラポジション。

 むっつり腹黒。




ハリステッド・ジャベリン


 侯爵家嫡男。

 残念噛ませ犬。




シャーリン・グイシェント


 子爵令嬢。

 本作主人公。

 ヒロインの友人かつ黒幕令嬢。

 ささやかな野望の為に、日々頑張っている。

 特技は印象操作。






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