2 彼女は庇われ、陰で舌を出す





 私はシャーリン・グイシェント。

 王と貴族が支配するこの国ナーディアントにおいて、子爵令嬢と言う立場にいる。


 見た目はほっそりとして華奢な肢体に、銀糸を思わせる長い髪、薄紅色の瞳を持った、自分で言うのも何だが可憐な美少女だ。

 もっとも、普段は愛らしいとか稚いとか、そういった印象に収まるように抑えている。ちょっとした印象操作だ。何せあまり目立つ容貌は、周囲の反感を買いやすい。


 そして、今私が胸に縋り付いて泣きじゃくっている相手、アイリス・ミラルディア。

 癖のある金茶の髪に、くるくると表情の変わる大きな緑の目。美しさよりも愛嬌を前面に押し出した、うっすらそばかすの浮いた顔立ち。

 彼女は私よりも身分の高い侯爵令嬢なのだが、些か変わった経歴を持っており、平民育ちという異色の存在だ。

 それは彼女の両親のことだとか、二十年程前に起きた政変のことだとか色々理由があるが、そこらへんは割愛する。正直言って、私にとってはどうでもいい話だ。


 彼女が諸々の事情によって、私の通っていた上流階級の子女が通う学園に編入し、教師の案内を受けているのを見た時、私は一目で気が付いた。


 ――こいつは生涯、私の好きになれない類の人間だな、と。


 虫が好かないとか、そりが合わないとか、そんな言葉で言い換えてもいい。実際私は、この女のやることなすことすべてが、癪に触って仕方がなかった。


 アイリス・ミラルディアは天真爛漫と言えば聞こえはいいが、かなり破天荒な人間である。

 祖父である侯爵に引き取られた際に教育は受けたろうに、育ちの癖が抜けないのか淑女の振る舞いが性に合わないのか、生まれながらの貴族である他の生徒には想像も及ばない、突拍子もない行動を彼女は平然と行った。

 私はそれが疎ましくて仕方がなかった。


 誰が好き好んで、暑いからと人前で素足を晒して水浴びをしたがるか。

 腹が減ったからと、教室移動の間に歩き食いをしたがるか。

 興味深い噂を聞いたからと、深夜の校舎に忍び込みたがるか。

 そんなみっともないことをやりたがるのは、アイリス・ミラルディア。お前だけだ。私を巻き込もうとするな!


 そんなに気に食わないなら関わらなければいいと、状況を知らない人間なら言うかも知れない。

 私もできることなら一切関わり合いにはなりたくなかったし、最初の頃は必要以上に近寄ろうとはしていなかった。


 にも関わらず、アイリスはあちらからぐいぐいと迫ってきた。

 小さくて可愛らしいものが大好きなのだと言っていたので、恐らく学年一小柄な生徒である私のことが気に入ったのだろう。昔飼っていた白ウサギに似ているとも言っていた。

 そうして私は否応なしに、アイリスの一番の友人と言う立場に収まらざるを得なくなった。


 そもそもそれ以前の問題として、比して保護者の爵位が低いこちらは、アイリスに逆らう訳にはいかない。

 建前上は、学内では身分の差はないという事になっているが、それを本気にしているのはアイリスぐらいのものだ。

 求められることは派閥作りと、結婚相手探し、そして情報収集。

 この学園は貴族社会の縮図であり、まだ未熟な貴族子女の為の経験作りの場であり、下準備の為の舞台なのだ。


 にも拘らず、そんなことを全く理解していないアイリス・ミラルディアの派閥に私は組み込まれてしまった。ふざけんな。

 遠回しに拒絶しようとしても、耳に障害があるかのようにさっぱり通じないし。かと言ってきっぱりと口にするのは、私がこれまで積み上げてきた人物像を壊してしまうので出来かねる。

 もっとも心情的には我慢ならないものの、損得で計算すればアイリスの側にいるのは決して損ばかりではない。



「アイリス、その女に近付いてはいけない。そいつは、ハリステッドの共犯者で――、」

「そんな訳ないでしょ! 馬鹿なこと言わないでよ、テオ」


 子猫を守ろうとする親猫のごとく毛を逆立てたアイリスを前に、途端に小さくなったのは焦げ茶色の髪に精悍な顔立ちの男――テオドール・ヨゼフ。

 この国で人気のあるヨゼフ将軍の三男で、兄二人は現職の騎士。本人もまた、将来は騎士になることが決まっている。



「君が友達を信じたい気持ちは分かるよ、アイリス。でも、どうか今は私たちの話を聞いてくれないか?」

「話は聞く。でも、シャーリンは渡さない。例え、あなたたちでもよ。ルーク」

「アイリス」


 困ったように眉尻を下げたのは、赤い長髪が華やかな、まるで女性のようにきれいな顔をした色男――ルーカス・アマッツィア。公爵の甥で、何人もの美女と浮名を流した学園きっての遊び人。



「アイリス、分かってくれ。俺は、お前のことが大切なんだ」

「ヴィル。気持ちは嬉しいけど、それとこれとは話が別! わたしだって、シャーリンのことが大切なの!」


 その言葉に打ちのめされたような表情でよろめいた金髪の男は、ヴィルヘルム・フィラ=ナーディアンス。

 この国の王子殿下だ。第二王子ではあるが、兄である王太子殿下が病弱であるため、王位を継ぐのは彼の方ではないかとの噂も多い。


 そんなこの国でも五指に入る王侯貴族の子息である彼らは、驚くべきことにアイリス・ミラルディアの取り巻きだ。

 


 アイリスの奇矯な振る舞いは、貴族ばかりのこの学園の中で酷く目立った。

 彼女の仕出かす様々な騒ぎは、頭の固い教師からは雷を落とされ、生徒たちからは失笑に苦笑、驚嘆に諦観の眼差しを向けられることもあったけれど、その大半からは概ね好意的に受け入れられていた。

 それは否応なしに巻き込まれていた私にとっては、実に助かる話だった。

 その一方で、並々ならぬ興味をアイリスに抱いたのが前述の三人である。

 些細なきっかけや偶然によってアイリスを知るようになった彼らは、これまでお淑やかな令嬢しか知らなかったこともあって、すっかりアイリスに傾倒するようになった。


 求愛の優先権があるのは最も身分の高いヴィルヘルム殿下だが、後の二人もアイリスに思いを寄せているのは簡単に分かる。

 些か分かりにくいのは、今アイリスと一緒にこの部屋に入ってきた人間だが恐らく彼もまた、アイリスの信奉者の一人であることは想像に難くない。

 黒髪に、涼しげな目元の優男――エミール・クレッシェン。宰相閣下の息子で、三人のお目付け役のような立場にあったことでアイリスと知り合った。


 この四人とアイリスが連れだって何だかんだと騒ぎを起こしてくれるお蔭で、私もまた集団の一人に数えられることが多い。

 一介の子爵令嬢の立場では手が届かない、高位貴族たちと親しくしていると思われるのは、家にとって、そして私自身にとっても非常に有用だ。

 こうした利点がなければ、アイリス・ミラルディアの側にいることを、私は一秒だって我慢できなかっただろう。



 私は、あの女が心の底から嫌いなのだ。

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