遍歴皇女

玄月黒金

第0話 ガールミーツデビル

「お兄様!」

フリルをあしらわれたドレスをまとった幼い少女が、とたとたと駆け寄った。

慌ただしく走るなんてはしたない、と母親がみればたしなめる姿だが、少女は気にしない。

「マグダレーナ様には見つからなかったかい?」

勢いよく飛び込んできた少女を、苦笑しながら兄と呼ばれた少年が受け止める。


「心配ないですわ!次の鐘がなるまでお母様はお父様とお茶会だもの」

目を細めて頭をなでられながら、意気揚々と答える。


「それよりも見てください、お兄様」

鞄から取り出した羊皮紙を少女は誇らしげに兄に見せた。精緻な魔方陣が描かれた羊皮紙を地面に置き、さらにその上に魔法石のペンダントをのせる。そのまま魔力を流し込むと、一瞬まばゆく光る。


「以前教えてくださった、防御魔法をかけたお守りを作れるようになったんです!これはお兄様にあげます」

「ありがとう、リーナはすごいね、僕の自慢の妹だよ」

ペンダントを受け取り、少年は感嘆の声を上げた。


「それと、今日はクッキーを持ってきたんです、一緒に食べましょう」

「僕も新しい茶葉を持ってきたんだ、僕らもお茶会をするとしようか」

収納魔法がかかった鞄から、少年がカップとポットを取り出した。中にあるものは保存状態になるためお茶はほどよく熱々だった。

旧い庭で、誰も来ない半ば廃墟のようなテラスは二人の秘密基地だった。


緩やかに続くかに見えた日常。変化はいつも突然訪れる。

少女がクッキーに口をつけてから少し経った時、それは起こった。


体が熱くなり、唐突にうずくまる。

「おにい、様…」

「リーナ?!」

異変に気づいた少年が駆け寄る。

「ダメ、逃げてください…」

「何を言っているんだ、早く人を呼ばないと……ッ?!」

急に高まる魔力を感じて、少年が身体を竦ませる。そして次の瞬間、少女が体内で荒れ狂う魔力を放出した。

凄まじい音と共に、古びたテラスと少年の身体が吹き飛ぶ。


目の前に広がる惨状を見て、少女の瞳が絶望の色に染まる。

「いや……お兄様、目を開けてください!」

荒れ果てた庭に悲痛な叫びが響き渡る。兄に触れると、少女の手にベトっとした何かが付いた。赤く染った手に息を飲む。呆然としている少女を、甲高い悲鳴が現実に引き戻した。


顔を上げると、侍女が恐ろしいものを見るように少女を凝視していた。

少しして彼女は身を翻すと、どこかへ去っていった。しばらくして、いくつもの重い足音が響いてくる。

角から現れたのは鎧をまとった騎士だった。紋章から近衛騎士であることがわかる。本来、皇族を守るために在る彼らは、状況を見て少女を取り押さえた。

「ご無礼をお許しください、第一皇女殿下」

「な、何をするのですか」

精一杯威厳を保とうとするが、少女の声は細く震えていた。

「先帝陛下のご子息を害するとは…謀反の罪で連行する」

非力な少女は容易く押さえつけられ、二人の騎士に囲まれ連行される。

「お兄様……!お兄様!」


目を開けると、そこは寂れた部屋だった。

「夢……」

以前より質素な内装が現状を思い出させる。

あの後は淡々と処分が決まり、母親と揃って古城に幽閉されることとなった。


「きっとお父様が、陛下が助けてくれる」、とうわごとのように口にし続けていた母だったがついぞ助けが来ることなどなく、処刑されてしまった。

次期皇帝の有力な候補であり、大きな功績を残した王子の遺児でもある兄と、上の兄弟が死んでしまったことで繰り上がったお飾りの皇帝の娘とでは立場が違いすぎた。母の身分も高くないとくれば、なおさらである。身分の違いを知ってはいたが、認識していなかった。少女は母の言いつけを破るべきではなかったのだ。


「んん・・・」

うめき声を上げると、背もたれから離れぐっと背伸びをした。母親が見ればはしたないと叱られるだろうが、その声を聞くことはもうない。

ただでさえうっとうしい首輪が付けられているのだから、これくらい大丈夫、と少女は良心の呵責を正当化した。気を取り直して読書に戻ろうとしたとき、鉄格子の向こうの扉から、ノックの音が聞こえた。

「失礼致します、お食事をお持ちしました」


楽しい時間を邪魔されて、むっと頬を膨らませる。侍女が入ってくると、彼女は拗ねた表情を引っ込めた。看守でもある使用人に自分の感情を晒したくなかったからだ。


テーブルにパンとスープの簡素な食事が置かれる。侍女が出て行ったのを見届けると、少女は食事に口を付けた。

食事は粗末だが、貴族らしく優雅に見えるように食べる。物心ついたときからの習慣は中々消えない。


いつも通りの、鬱屈な日常がまた続いていくはず、だった。


「っ?!」

突然襲ってきた息苦しさに、喉を押さえてもがき苦しむ。少女は耐えきれず、床に崩れ落ちた。地面に這いつくばって、助けを求めて声にならない声を上げる。

「う、うぐっ・・・」

そして、その手は何も掴むことなく床に落ちたのだった。


目覚めたとき、少女は不思議な空間を。辺りは真っ暗で、大地も大空もない。

「また夢・・・?」


「やあ、お嬢さん」

長髪をなびかせた男が、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。

「君のことはずっと見ていたよ、不幸で哀れな人の子よ」

ここはどこなのかと少女は聞くと、世界の狭間だと男は答えた。


訳の分からないことを言われ、疑問は深まるだけだった。


あなたは誰?と少女は聞いた。

「私の名はオフィターポピス」邪神に仕えるしがない使徒だと男は答えた。

「もっとも、君たちの信仰する神とは別だがね」

最後に、自分をどうするつもりなのかと少女は訪ねた。


待ってましたとばかりに男は大げさに手を打った。

「ぜひとも私と契約して欲しい、愛らしいプルウィウスの花よ」

膝を折り、芝居がかった仕草でお辞儀をする。そのまま男は手を差し出した。

突然のことに呆然と少女は立ち尽くした。


「何を言っているのですか・・・?」

「君に力を与えよう。君に仇なすもの全てを滅ぼせる力を」

御伽噺で出てくる悪役がいかにも言いそうなセリフだな、と少女は現実逃避気味に思った。

「な、何のためにですか」

「君は力を得て、私はここから出られる。よい関係だろう?」

「そんなことできるわけないわ」

拒否する彼女の首を、男がなでる。正確には彼女の首に嵌められた魔力を封じる首輪を。

「遠慮することはない。こんな風に縛られて・・・さぞ不自由だっただろう」

「・・・・・・っ!」

頭痛がして、思い出さないようにしていた記憶が蘇る。

魔力暴走で吹き飛んだ庭に、倒れた兄、自分の血塗れの手、自分を取り押さえた騎士・・・・・・あの時から全てが変わった。幽閉、そして母の処刑・・・・・・。わたしはこの寂れた古城に一人取り残された。


「こんなにも神に祝福されて生まれてきたというのに、皮肉なものだ」

男が笑うと、忌々しかった首輪があっけなく砕け散った。


「でも、わたしはとっくに死んでいます」

反射的に少女は後ずさるが、また距離を詰められる。

「その点なら問題はない。まだ仮死状態だ、私と契約すれば身体も魂もどうとでもなる」


その時、空間が大きく揺れた。

揺れは収まるどころかどんどん大きくなっていく。

「ふむ・・・崩壊が始まったな」

雨が降ってきたな、と同じくらいの軽さで男は言った。

「このまま消えたいのなら止めはしないが・・・どちらがお望みかな?」

決断できずに黙り込む。こんな不気味な場所でひとり死んでいくなんてぞっとする。だが、邪神と契約するというのも同じくらい恐ろしかった。魔法について学んだことがあるからこそ、それがどれほど道に外れたものであるかは想像もつかない。


不意に足下が揺れて、

「きゃあっ」

目を瞑るが、恐れていた衝撃はやってこない。

目を開けると、腰から下がなくなった男がいた。どうやら、男がかばって放り投げたらしい。

「どうして・・・!」

「崩壊を止めることはできないが、選択のための時間ならもう少しは作れるからね」

「もし私が断ったらどうするの?」

「その時は仕方がない、また待つだけだ。封印が壊れるまでか、新たな契約者が見つかるまでか・・・。時間は私の味方だからね」


荒れ狂う空間とは対照的に、男は恐ろしいほど平静だった。

死を――いや、正確には死ではないかも知れないが――目前にして一切動じない様に、少女は心の底から恐怖した。男の本心を読み取ろうと、少女は凝視したが、まったく表情は読めなかった。


何も分からない。ああ、自分はなんてちっぽけな存在なのだろうか・・・。


放り投げられた時の、繋いだ手の感触がまだ残っていた。小さな手を爪が食い込むほどにきつく握る。

顔を上げると、今まさに飲み込まれようとしている男が目に入った。

ばきっ、と音がして、少女の背後にも大きな裂け目が現れる。


「・・・・・・っわたし、プロテレーナ・リリー・ヴィ・ミストラムはあなたの条件を呑む!」

伸ばした手は、今度は空を切ることなく手に握り返された。

「契約成立だ。我らが父の名において、ここに契約は成った」







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