#48 文字の描写
とある町のとある公園。キィ、と音を立てるブランコに座る一人の男。男は静かに遠くを見つめていた。背筋を伸ばし、キリッとした切長の瞳で遥か遠くを見据えている。
時刻は昼過ぎ。公園に男以外の人の影はない。男はスーツを着ており、側から見ればサラリーマンと印象付けられる。
営業の仕事中だろうか。
整髪剤で整えられた短髪、シワのないシャツ、曲がっていないネクタイ、全てが正しく整えられている男の姿は、まさに“デキる男”といった雰囲気を醸し出している。
唯一、抱く疑問とすれば、なぜこの昼の時間帯に一人公園にいるのか。
ブランコに座るその様は、一歩間違えればリストラにあったような姿を連想させる。しかし、そんな哀愁をまったく感じさせない。
男が突然、視線をこちらへと向けた。
「さて、ここまで文章を一字一句読んできた方は何名いますか? おそらくそう多くはないでしょう。文章を読むのには集中力が必要ですから。かくいう私も新聞などは流し見をしているだけ。学生時代、本を読むときは流し見をしているものでした。一字一句読んでいない。もしみなさまが先ほどの文章で読んでいるところがあるとすれば、出だしの文字、『キィ』と『キリッ』という擬音、『サラリーマン』、カッコで囲われた“デキる男”でしょうか。あとはそうですね……点がついた“こちら”もでしょうか。わたしのこの長いセリフも果たしてどれだけの人が読んでいるやら……」
男はゆっくりとブランコから立ち上がる。
「こうして地の文を入れ、一度クッションを挟んで再開されたわたしのセリフから読み始めた方もいらっしゃるのでしょう。残念です。ここまで様々な文字を使用して文章書いているというのに……まあ、実際世に出ている本ではないので、全く構わないのですが。もし今後、皆さんが本を読むときは、一字一句しっかり読むといいでしょう。いつもとは違う読書体験ができるかもしれません」
そいって男は足元に置いていたカバンを手に持ち、歩き始める。
腕に巻いた時計で時刻を確認し、自販機で買っていた缶コーヒーを飲み干すと、それをゴミ箱へと捨てる。
そして公園を後にした。
最後にもう一度、男はこちらを見る。
「ちなみに、上の地の文に初めて出てきたわたしの描写があります。“営業”、“スーツ”ときたら当然“カバン”もセットであると思いましたか?」
男はこちらへ体の正面を向けると、一礼する。
「とまあ、実は首しか貴方たちに向けてませんでした。一字一句読んでいれば、気づきますよね?」
最後に男は笑みを浮かべ、公園から去っていった。
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