第20話涙

「愛花ちゃん!」


 今度は大きな声で彼女の名前を呼ぶが、返事をもらうことは叶わなかった。死んではいない……と思う。彼女のHPバーは、赤のラインギリギリで踏みとどまっているから。

 

 それでも、瀕死なことに変わりはない。どんな些末な一撃であろうと、攻撃を喰らえば死んでしまうほどしかHPが残されてない。


 どうするどうするどうする!!!??? もしかしたらさっきまでの僕は焦りなんて微塵も感じていなかったんじゃないかと思えるほど、手や脇や額から汗が吹き出てきた。


 こんな状況、いや、こんな状況だからこそ、僕は昨日の彼女の言葉を思い出す。


 ——彼方には無茶をして欲しくない、大切な仲間だから。


 そんな優しい言葉を掛けてもらったにも関わらず、僕は彼女の言葉を軽視していた。何度もこのクエストが危ないと、引き返そうと助言をくれていたのに、流されるがままこんなところに来てしまった。

 

 つくづくどうしようもない馬鹿だ。昨日の彼女の言葉が今ならよくわかる。僕は自分の命にそこまで執着がない。

 

 正直な話、この世界で戦って負け、死んでしまっても構わないと、むしろそれが本望だとすら思っている。


 だけど、愛花ちゃんの命は別だ。たった一週間程度の付き合いだけど、彼女にはお世話になった。初めて家族以外で仲良くなれた人間だ。絶対に死んで欲しくない。


 今この場に立っているのは僕だけ。そして僕が死んだら、彼女も死ぬことになる。だから絶対に負けられない。


 薄暗い洞窟内。目の前にいる緑の化け物と正面で向き合うと、息を吸い込み脳に酸素を回す。


 こいつは武器とマントを外したことで身軽になったが、それでも追いつけないスピードじゃない。攻撃も結局は大振りだし、走る速度も僕よりは遅い。


 攻撃を見極めれば、勝てない相手じゃない。僕が分析をしていると、眼前に突っ立ているゴブリンロードはまたも勢いよく突進してくる。

 

 またおんなじ行動か。舐めるなと思い、僕はゴブリンの方に走り思いっきりジャンプする。奴の身長は2メートルほど。普通なら飛び越えることは不可能だろう。


 だけどこの世界で身体能力が強化された今なら、軽く奴の頭上を飛び越えることができる。飛び越え奴の後ろに回り込むと、ゴブリンロードが振り向く前に剣を背中に突き刺す。

 

 グチュリと気持ち悪い感触が伝わり、血が湧き水のように吹き出る。そこですかさず、最大火力の特技を叫ぶ。


「《獄炎斬》!」


 僕が叫ぶと同時、剣は業火の炎を纏い奴の体内で燃え出した。血が焦げる匂いがあたりに充満し、肉を焦がす音がする。そしてそれ以上の声量で、ゴブリンロードが悲痛の叫びを上げだした。


「グオオオオオ!」

 

 明らかに悶えている声。HPも見るからに削れている。これを繰り返せば勝てる! 奴の弱点を暴くと剣を抜き、体制を立て直す。


 僕が剣を構え攻撃を身構えると、怒りに震えるゴブリンロードは地団駄を踏み、思いっきりジャンプすると僕の元へ降り立つ。


 咄嗟に避けるが、凄まじい衝撃と共に地面は揺れ姿勢を崩す。その瞬間を狙うように、ゴブリンロードは頭に被っていた王冠を僕に向かって投げつけてきた。


 凄まじい速度。とても今の状況では避けられない。なんとか手を前に出し防御の姿勢をとるが、それでも大ダメージを食らう。


 咄嗟に右腕を庇ったせいで、左腕に尋常じゃないほどの激痛が走る。痛すぎる。せめて回復魔法を使えれば、この痛みは直ぐに引いてくれるのに。


 縋るように愛花ちゃんに視線を向けるが、彼女は今だに倒れたままだ。本当に、つくづく僕を楽しませてくれる世界だ。


「ふ、ふふ……」


 絶望し、恐怖しているはずなのに、無意識に笑い声がこぼれる。こんな状況下なのに笑った僕を不気味に思ったのか、目の前で僕を殺そうとするゴブリンロードは。


「貴様、何故こんな状況で笑っている?」


 そんな疑問をぶつけてくる。だけどその質問に答えることは出来ない。何故なら僕だって、どうしてこの状況で笑っているのか分からないのだから。


「さぁ……どうしてだろう」

 

 自分でもわからない旨を伝えると、今度はこっちから攻撃に転じる。ゴブリンロードに向かって走ると、奴は太い右腕を僕めがけて振るう。ドスンと地面にヒビが入るほどの拳を避け懐に入ると、首元に向かって剣を斬りつける。


「《獄炎斬》!」


 薄暗い闇の中で一際眩い炎を纏った剣で攻撃してやると、またもゴブリンロードは叫ぶ。大量の血しぶきを太い首から排出し、懐にいる僕を掴もうとしてきたのでバックステップで避けると、手の甲を斬ってやる。


 炎を纏った剣で攻撃するとダメージの通りが良く、巨大な体躯をした奴にも痛みが走ることがわかった。


 その証拠に、先ほどまでは微動だにしていなかった攻撃も、炎を纏わせ攻撃してみると怯むのだ。


 攻撃をすることにより、更なる隙が生まれる。奴のでかい身体と僕の小さな身体の相性も良いらしく、距離を置かず懐に潜り込んで剣戟けんげきを繰り返すと、みるみるうちにゴブリンロードのHPが減っていった。


「小賢しい!」


 両手でバコンと地面を叩くがジャンプして交わし、目ん玉に向かって剣先を差し込んでやると、絶叫するモンスターの甘美な声が響く。


 先ほどまで余裕の笑みを見せ僕たちをボコっていた癖に、今はこんなにも情けない声をあげ叫んでいる。


 もう何度目か分からない攻防を繰り返し、ゴブリンロードの全身が血まみれになった頃。奴は膝から崩れ落ちると。


「わが……はいが……負けるなんて……」


 そんな遺言を言い残し、バタンと地面に倒れ蒸発してしまった。モンスターを倒したことで、薄暗くなっていた洞窟内はどういう理屈か明るく照らされ、モンスターのドロップ品や経験値が舞い込んできた。


 だけど、今はそんなことどうでもいい。手に持った剣が煩わしいため投げ捨てると、倒れていた愛花ちゃんの元へ駆け寄る。


 そして直ぐにメニューウィンドウを開くと、ありったけの安いポーションを使い愛花ちゃんのHPを全回復させる。


 するとみるみる傷は癒え、気を失っていたはずの身体がピクリと動く。


「ん……んぅ。かなた?」


 ゆっくりと瞼を開き僕の名前を呼んだ彼女を確認する。よかった、ちゃんと生きてた……。本当に大丈夫か確認するために、もう一度彼女の顔を覗き込むと、どうしてかポツリポツリと水が滴る。


 なんだこれ? 疑問に思い彼女の顔にかかった雫を眺めていると、愛花ちゃんは不思議そうな顔で。


「なんで泣いてるの?」

 

 そう問いかけてきた。泣いてる? 僕が? 自分の状況が理解できずに目元を拭うと、確かに手の甲には水が付着していた。


 なんで泣いていたのか、自分でも全くわからない。ただ、胸の奥が焦げるほど熱くなっているせいだろうなと考える。でも、うまく伝える方法が思いつかない。


 言うなれば無意識的なもので、僕に言語化するのは不可能だ。ただ安堵の感情のみが渦巻く今の心情を吐露するのは、難しくもあり恥ずかしくもあったから。


 だから簡潔に。


「ほんと、なんでだろ」


 そんな風に、ごまかしてみる。

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