第11話 三月場冬乃の懇願
嘘吐き……。
◆ ◆ ◆
今日は、とても体調が良い。
今日の事が楽しみで、あまり寝られなかったけれど、寝覚めもスッキリしていたし、朝ごはんも、ちゃんと食べる事が出来た。
快晴の空が眩しく、登校だって、途中で休む事は無かったし、何だか、いつもより心臓が、ちゃんと血液を、送り出す様に、動いてくれている気がする。
電車で片道45分。
行きも帰りも座れるのには、大分と感謝している。急な貧血は怖いけど、それでも、立っているだけなら、特に問題は無いから、席を譲る機会だってあるし、そうする事で、自分は何かに許されているような、そんな気さえしてくる。
教室には、行かなかった。
今行くと、誰か、例えば、クラスの学園祭実行委員とか、そういう役職の人に迷惑が掛かりそうだったので、やめた。
代わりに私は、保健室へと向かった。
「おぅ、おはよう。三月場」
「えぇ、おはようございます。朧先生」
二学期になって、初めて保険医の先生の、名前を教えてもらった。
何だか難しい名前だけれど、カッコいい名前であるとは思う。
「三月場も教室の方行ってくれば良いのに。ここに居るよりは賑やかで楽しいかも知れないぞ?」
「良いんですよ。ここで。賑やかなのは好きでしたけど、それも何年も前の話ですし」
遠くに聞こえる賑やかな声を聞けるだけで、私は、ある程度満足なのだ。
吹奏楽部が、中庭でゲリラ的にライヴをしたり、それに負けずと、軽音楽部が、校庭でライヴをしたり。美術部の作った正門アーチに来賓が驚いていたり、各クラスの模擬店が賑わっていたり、そういう、突出して特別な事のない、そんな学園祭の賑わいだけで、私は、満足なのだ。
◆ ◆ ◆
「駄目だよそれじゃあ!」
「……えっと」
「先生も何か言ってよ!」
「そうだぞー、三月場ー。無理のない程度には動かないと、逆に身体に悪かったりするんだぞー」
モモちゃんは、頬を膨らませてそう怒り、朧先生は、何か書類に加筆しながら、そうやって適当に相槌を打っていた。
お昼過ぎ、保健室にやってきたモモちゃんは、両手に模擬店の軽食を抱えて、「一緒に食べよう」と、私を誘ってくれた。
蓋を開けられたそこには、まるで創作料理か何かの様なモノが、たっぷりとよそわれていたけれど、「お好み焼き。私が失敗しちゃったから持ってって良いって言われたの!」と、そのモモちゃんの言いを聞いて、合点がいく。
見た目はあまりにもだったけれど、ソースの香りは私の空腹を刺激した。
「見た目はあんまりだけど、食べれば美味しいから大丈夫だよ!」
そう言ったモモちゃんに、心を読まれたのかと思った。
箸を貰い、小さく一口。
「うん、美味しいよ」
それは、ちゃんと本心だった。
学園祭という雰囲気と、モモちゃんと一緒に食べるという、プラス要素が無かったとしても、それはちゃんと、美味しいお好み焼きだった。
そう言えば、モモちゃんと一緒にご飯を食べるのは、初めてかも知れない。
そうしてそれらを食べ終えて、少しだけ話をした後、モモちゃんから「これから少し学園祭を見て回ろうよ」という提案を受けた。
少し迷った後に私の発した「ここで、学園祭の賑わいを聞いてるだけで、私は楽しいよ」の言葉に対しての、モモちゃんの『駄目だよそれじゃあ!』だった訳だ。
「ね? 行こうよ三月場さん! 美術部の展示にはハルちゃんの絵も飾ってあるんだよ!」
「春真さん。モモちゃんのお友達よね?」
「そうだよ! 私ハルちゃんの絵は三月場さんと一緒に観るって決めてたんだよ!」
「……うーん、でも。朧先生……」
「黒宮ー、三月場困ってるぞー。無理して誘ってやるなー」
「黒宮って呼ばないで下さい!!」
あぁ、朧先生は、本当にどうでも良いんだな。
「ハルちゃんの絵! 絶対綺麗だよ! 一緒に観に行こうよ! お得だよ! お得!」
そうやって食い下がってくるモモちゃんに、尚も私が「……うーん」と返答を言い淀んでいると、彼女は、興奮気味の自分を少し落ち着かせて、改めて言いを発した。
「ねぇ……、どうしても駄目? 三月場さん?」
少し上目を遣われて、唇を尖らせるモモちゃん。
彼女にそういう顔をされると、少し心が揺らいでしまう。
もう流石に、ここまで食い下がられてしまっては、私も折れるしかないだろうと、思ったその時、モモちゃんのスマートフォンから着信を知らせるメロディが流れ始めた。
「――ちょっと待ってて!」
反応を見る限り、それは通話の様だった。
……あっ、はい、……はい。
……えっと、でもですね……。
うーん、……今ですか?
受け答えを聞いていると、どうやらモモちゃんは、あまり乗り気では無いらしい。
「……えっと、じゃあ、はい。分かりました。それじゃあ。はーい……」
そうやって通話を終えると、モモちゃんは、私に向き直り、開口で「……ごめん、三月場さん」と、項垂れて見せた。
「部活の集まりで、緊急ミーティングが入っちゃって……。一緒に回れなくなっちゃった……。ごめんね」
「良いよ。大丈夫。そっちの方が大事だもんね」
言うと、モモちゃんは「ううん」と、首を左右に振ってみせた。
「違うよ。部活も三月場さんも、どっちも大事なんだよ」
「…………うん」
…………うん。
「三月場さんは何回目に観に来てくれるご予定?」
今回、演劇部の舞台公演は三回。
私は「最後の回に。絶対に観に行くよ。それまでは、少し休んでようかなって」と、モモちゃんに告げると、彼女は、さぞそれが嬉しい事の様に、一気に破顔して見せた。
「うん! 分かった! 楽しんでくれたら嬉しいな!」
後ろ手に手を組み、少しだけ乗り出して、彼女はニコっと笑って見せる。
その仕草と笑顔が、私には、どうしても眩しく見えて。
ばいばいと手を振り、モモちゃんは保健室を後にして行った。
「嬉しそうだな? 三月場」
「分かりますか? 朧先生」
朧先生にも見て分かるという事は、きっと私は笑顔だったのだろう。
◆ ◆ ◆
………………。
………………。
………………。
…………どうやら、いつの間にか、寝てしまっていた様だった。
耳元で、けたたましく鳴るスマートフォン。アラームを設定していたのは16時半。
17時から、演劇部の舞台が、始まるのだ。
『絶対に観に行くよ』
私はモモちゃんと、そう約束した。
自動販売機で水を買って、ゆっくり向かっても、余裕で間に合う。
席はどの辺りに坐ろう。
真ん中辺りが、空いていると嬉しいな。
それか、最前列に座って、モモちゃんを驚かせてみようかしら。
そんな、色々な事を考えて、私はスマートフォンのアラームを止め、身体を起こす。
……の、
だけれど…………、
身体を、上手く起こす事が、出来ない…………。
身体を、
上手く、
起こす事が…………。
「………っ、先生? 朧、先生……。居ますか……?」
どうした事か、声も、上手く出す事が、出来ない……。
何度目かの呼び掛けで、漸く、朧先生は、私に気が付いてくれた。
「はいはい。なん――、何やってんだ三月場⁉︎」
「……いや、なんか、分からないんですけど、身体が、上手く、動かなくって……」
上体を、腕で支えて起き上がろうとするけれど、やはり腕にも、上手く力が、入らない。
漸く身体を起こせても、直ぐに自重で、ベッドに縛り付けられて、しまう……。
「三月場、頭がぼぅっとしてないか? 頭がふらふらしたり、そういう感覚が無いか?」
…………そういえば、目が覚めた時から、頭がふらふらしている、気がする。倦怠感が強くて、視界も少しだけ、霞んでいる…………。
「……いえ、大丈夫です」
「三月場、嘘は吐くなよ? 今どんな感じだ?」
「問題ありません。起き上がる事が、出来ないだけです。ちょっと、手伝って、くれませんか?」
「三月場、三度目だ。正直に言わないと私はお前を助けられない。良いか? 三度目だ。今はどんな感じだ?」
…………。
………………。
「…………頭が、ふらふらしていて、視界も、霞んでます……」
言うと、朧先生は、息を一つ吐いて、「そのまま寝てろ」と、一言、私に言い付ける。
「……いえ、大丈夫です。問題無いんです」
「正直に答えろ。いつもは何時間寝てる?」
「8時間です」
「正直に答えろ。昨日の夜は何時間寝た?」
「……3時間です」
昨日は、今日の事が楽しみで、なかなか寝付けなかった。
…………。
…………それだけの事で?
…………たったそれだけの事なのに?
「このまま寝てろ。下校の時間には起こしてやる。あと、ポカリ買ってきてやるから飲め」
演劇部の舞台は諦めろ。
と、朧先生は、肩を竦めて、そう、私にーー。
「……いえ、大丈夫です。行けます。少し寝てないだけですよ」
しかし、身体を起こそうとするのに、やはり、上手く力が、入らなくて……。
無理矢理に腕を使って、如何にか身体を起こして、けれども、自力ではそこまでで……。
「すみません、立ち上がるのだけ……。それだけ、手伝って、くれませんか?」
「駄目だな。そんなんで行かせてもどっかで倒れる。頭を打つか、歯でも折るか、それが軽いと思う位の、もっと酷い怪我をするって事も十二分にあり得る。残念だけど諦めろ」
朧先生の言いは、変わらない。
…………大丈夫ですよ。
何で、そんな事言うんですか?
だって、今日は、とても気分が良かったんですよ? 体調だって良かったし、朝ごはんもちゃんと食べられたんですよ?
来る途中だって、どこでも休まなかったし……。
「…………嫌です」
「三月場、お前――」
「約束したんです!」
朧先生は、私の言いに、少しだけ驚いた様子だったけれど、何故だか、私の方が、自分の声に驚いて、しまった。
声の大きさと、声の響きで、頭が、少しだけ揺さぶられる。
こんな声を出したのは、一体いつ振りだろうか?
俯瞰して見ている私が、そんなどうでも良い事を、考えている。
「……だって、私、約束したんです。モモちゃんと……。絶対舞台、観に行くって、私、約束したんですよ……?」
何か言って下さいよ?
朧先生?
何か、何か言って下さいよ?
「……だって、私約束したのに、今日は、とても調子が良いんです。朝もスッキリ起きれたし、ご飯だって、ちゃんと食べられたんです。私、約束したんですよ……?」
そうだ、私は約束したんだ……。
モモちゃんと……。
「誰かと約束したのなんて、何年振りでしょうか。約束、破りたく無いんです。私、絶対行くって、だって……。私、モモちゃんと……。私…………」
頭に血が上手く行っていないのか、さっきから視界が定まらない。
それなのに、何故だか、自分の意思では無い様に、変な風に、涙が、次から次へと…………。
勿体無い。
お願いだからさ。
……お願いだから。
…………お願いだよ。
「…………っ、こんな身体、嫌だぁ……」
こんな身体嫌だ。
こんな身体なんて…………。
何で…………?
「泣くなよ三月場。勿体無いぞ?」
言って、朧先生は、私の頭を抱いてくれる。
そうされる事で、漸く私の頭は、ふらふらと彷徨っていたところから、定点を定めた様に止まる事が出来た。
「…………っうぁ……、っ私、約束も、守る事が、出来なくて……。もぅ、嫌ですよっ…………、こんな…………」
どんなに我慢しようとしても、どんなに拭っても、どうにも涙が、止まってくれない。
涙が。
涙が……。
お願いだよ。
涙で流れるくらいならさ、
私の血液になってよ。
…………本当に、お願いだよ。
…………頼むよ。
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